2019年8月20日 更新

カスパーハウザーの出生の謎や暗殺事件の真相は?未だに残る多くの謎

カスパーハウザーという名前を聞いたことがなくても、肖像画を見れば「あー!」と思い当たる人も多いと思います。16歳で突然発見された少年は、ほとんどまともに言葉を話せず、一度も折り曲げたことがなかったような膝を持ち異様な様子でした。

目次

1799年、ナポレオン・ボナパルトは、妃ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの姪『ステファニー・ド・ボアルネ』をパリに連れ帰り、1806年、政治的な理由で自分の養子にし、バーデン家と対等の身分での結婚を演出するため彼女のために「フランスの娘」という称号を新設しました。

バーデン大公の世継ぎ『カール・ルートヴィヒ・フォン・バーデン』は、結婚後も放蕩無頼の独身者のような生活を送り、妃ステファニーと同居せず、1810年、ナポレオンはその祖父『カール・フリードリヒ』に公式に不快の念を書面で通告しました。夫妻は後に和解し、1811年6月には第1子のルイーゼ大公女が誕生した。

取り替えられた子は、カスパー・ハウザーの生まれる寸前に死亡しているが、カスパー・ハウザーは鼻と上唇の間や顎、額の髪の毛などがナポレオンによく似ていました。ステファニー大公妃とナポレオンの子供というのは、バーデン大公家にとっても、実の父親にとってもとんでもない厄介ごとだったでしょう。

ピルザッハ城に幽閉されていた可能性

Stirling Castle Scotland - Free photo on Pixabay (565311)

ニュルンベルクからおよそ35kmほどの距離に、オーバーファルツのノイマルクトにあるバーデン大公家ゆかりの『ピルザッハ城』という小さな水城があります。

1924年、たまたま発見された秘密の部屋があり、その広さや形は、カスパー・ハウザーが説明して見せたものと一致しています。1982年の改装工事で、瓦礫の下からおもちゃの馬が発見され、それはカスパー・ハウザーが説明してみせたものに正確に一致しており、また半ばカビの生えた衣服の一部もそこで見つかっています。

このことから、カスパー・ハウザーは、その捕囚の第2期を『ピルザッハ城』で過ごしたと言われることになりました。

謎のボトルレター

Fountain Pens Pen Filler - Free photo on Pixabay (565310)

1816年9月、ライン川で謎のボトルレターが発見されました。差出人は不明でしたが「自分は王位を奪われ、ラウフェンブルクの近くのある地下牢に閉じ込められている」と書かれており、これはカスパー・ハウザーの書いたものではないか?という憶測を呼んでいます。

このボトルメールをカスパー伝説に加えるためには、この手紙がライン川で発見されるに到るまでどれくらいの期間、川を漂っていたのか?知ることが必要です。特にそれが、今想定されているよりも長期間にわたっていたとすれば、なおのこと事態は分かりにくくなります。

天才詐欺師説

Face Woman Mask - Free image on Pixabay (565312)

孤児であることが明白であったカスパー・ハウザーですが、後に彼は研究者たちの間で様々な肩書を得ることになります。

その中には「高貴な貴族の御落胤」「地位にある兵士が女中に産ませた隠し子」「実は人々の注目を集め、名士たちからの庇護を受けることに成功した詐欺師」というものまで見られます。

カスパーハウザーが暗殺された時に、カスパーハウザーのものとみられる足跡しか残されていなかったことから、自分で自分を深く刺しすぎた事による自作自演の事故死だという意見があったからです。

カスパーハウザーが暗殺された理由

Horror Assassination Attempt - Free photo on Pixabay (565313)

もしカスパー・ハウザーが何者かによって殺害されたとするなら、カスパーハウザーが暗殺された理由は何だったのでしょうか?カスパーが暗殺された理由は明らかになっていませんが、彼が生きていては困る者による口封じのためであった可能性が高いと言われています。

いくつか説がありますが、カスパー・ハウザーは一度襲われおり、二度目に襲われた時に殺害されたことや、めんどうをみていたアンゼルム・フォン・フォイエルバッハが同じ年に殺害されていたことで、一気に「これはただごとの事件ではない」とされました。

カスパーハウザー関連作品

Assassination Attempt Crime Scene - Free photo on Pixabay (565314)

カスパー・ハウザーが登場してから、噂が噂を呼び、今でも19世紀で最も不可解で有名な事件のひとつとされ、たまに、日本の地上波のテレビでも特集されていますが、様々な媒体でも紹介され続けています。

今まで様々な不可解な人物は表れましたが、2つとして同じような人物はいないことで、人々のカスパー・ハウザーに対する興味は失われることはないのでしょう。

ここではカスパーハウザーがモデルとなった作品や関係の深い作品をご紹介していきます。

フォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」

Old Books Book - Free photo on Pixabay (565315)

この本は、カスパー・ハウザーの保護者でもあり、カスパー・ハウザーと同じ年に殺害されたとみられるアンゼルム・フォン・フォイエルバッハ法学者が記したという、カスパー・ハウザーに関する貴重な資料の本です。

カスパー・ハウザーが実際にどのような人間であったかを記録しており、普通の暮らしに順応していく様子が書き留められています。

憶測で書かれたものなく事実に基づいて書かれたノンフィクション作品なので、カスパー・ハウザーについて知りたいという方におすすめです。

映画「カスパー・ハウザーの謎」

Film Projector Movie - Free image on Pixabay (565316)

1974年に公開された作品で、ヴィム・ヴェンダース、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらと並んでニュー・ジャーマン・シネマの代表的な監督で、ドイツの映画監督・脚本家・オペラ演出家『ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)』の監督作品です。

この映画は、1975年、カンヌ映画祭に出品され、審査員特別賞と国際批評家賞を受賞するなど高い評価を得ています。

また、この映画でカスパー・ハウザーを演じた『ブルーノ・S』が実際に孤児であったことや、彼の真に迫った演技なども注目を浴びました。

カスパーハウザー症候群

Woman Gothic Dark - Free photo on Pixabay (565317)

カスパー・ハウザーの名前は「カスパー・ハウザー実験」として行動科学の専門用語のなかに見られます。こうした行動科学の実験で「幼い動物は、正常な経験を剥奪された環境の中では、生まれながらに備わった行動様式から逸脱していく」ということが観察されました。

医学や心理学では、いわゆる「カスパー・ハウザー症候群」と呼ばれるものがあります。これは「乳児期や幼児期に、人間的な接触や愛情のこもったケアや温もりのあるベッドを与えられないまま成長し、社会的、認知的な刺激をほとんど受けることなく成長した者に見られる症状」とされます。

カスパーハウザーの記念碑

Statue Gold Marian Column - Free photo on Pixabay (565318)

カスパー・ハウザーの謎が後少しで解明されそうになっていた頃に、彼は何者かの手で殺害されてしまいました。カスパー・ハウザーが殺害された後、暗殺現場に「ここで謎の人物が謎の方法で殺された」とラテン語で刻まれた記念碑が建てられました。

カスパー・ハウザーの殺害現場は、ロマンチック街道の町ではありませんが「バロック都市の宝石」と謳われロココの花開いた同じ街『アンスバッハ』にあり、近所には墓もあります。

2年に1度、アンスバッハ・バッハ週間、カスパール・ハウザー・フェスティバルが開かれることでも有名です。

暗殺現場に記念碑

Gun Shoot Cartridge - Free photo on Pixabay (565320)

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