2019年9月22日 更新

エベンキ族って何?韓国・朝鮮・中国・ロシアとの関係を詳しく紹介

朝鮮半島の歴史に深くかかわっているのがエベンキ族です。なぜ韓国人はルーツを隠すのか、その理由に驚きの事実が隠されています。トーテムポール、アリランなどの風習・文化や習慣・衛生観念に関する驚きの共通点をご紹介します。エベンキ族を知るほど、韓国人が見えてきます。

エベンキとは

市場 民族 マスク - Pixabayの無料写真 (640254)

エベンキ(エヴェンキ)族の居住地は主として、ロシアのクラスノヤルスク地方にある旧エベンキ自治管区地域です。

ロシア連邦内ではほかに、オビ川とエルティシ川からオホーツク海沿岸や、サハリンに達するシベリア全域に広く分散し、ロシア連邦を構成するサハ共和国にも居住しています。

ロシアでは約7万人が居住し、人口と居住する領域が最大の少数民族です。中国では興安嶺(こうあんれい)山脈周辺にある内モンゴル自治区のエベンキ族自治旗や、黒竜江省などに数千人が居住しています。
トナカイ の群れ 牧草地 - Pixabayの無料写真 (640452)

また、オロチョン族・ビラール族・マネギル族は、言語や文化的な面からエベンキ族に含まれるのです。エベンキ族全体の共通点として、食料においては狩猟・漁労・トナカイ飼養の複合的な生産性が挙げられます。

文化的な面では、前開きの外套と胸当てが特徴的な衣服、円錐形天幕の住居、白樺の樹皮で作った舟やゆりかごなどです。

しかし、エベンキ族は広い範囲に分散しているため、言語や文化、社会性などあらゆる面で地域差が激しく、全てにおいて共通ではありません。

ツングース系民族のうちのひとつ

テディベア おもちゃ アジア - Pixabayの無料写真 (640268)

エベンキ族はツングース系民族に分類される一つの民族です。またツングースとは、エベンキ族とエヴェン族の旧称でもあります。

エベンキ族とエヴェン族は共通点がとても多く、過去にはエベンキ族とエヴェン族の総称としてツングースと呼ばれていました。

現在はエベンキ族やエヴェン族のように自称をもって民族名としているため、一つの部族名としてツングースは用いません。ツングースは「言語系統名のツングース諸語を話す民族の総称」として使われています。

ユラツ人と生活を営んでいた

歳の男性 インド サードゥ - Pixabayの無料写真 (640269)

エベンキ族は、サモエード人の中の一つの民族であるユラツ人と生活を営んでいました。サモエード人とは北部シベリアに住むウラル語族のネネツ人、エネツ人、ガナサン人、セルクプ人全体に対する呼称です。

しかし、現在はサモエード人とは呼びません。ロシア語の「サモ(自己)」と「エード(食べる人)」の発音に似ていることから「人肉を食べる人」という見方をされ、サモエードは差別的な意味を持ったのです。

そのため、20世紀に入ってからサモエードという言葉は使われなくなり、ネネツと呼称されるようになりました。
男性 冬 ライフスタイル - Pixabayの無料写真 (641034)

サモエード諸語に属する民族でも、言語の違いから北部サモエードと南部サモエードに分類されます。エベンキ族と共存していたユラツ人は、北部サモエードに属す民族です。

ユラツ人とエベンキ族が共存することで混血が繰り返され、エベンキ族と同化しました。そのため、民族としのユラツ人は消滅しています。

エベンキの住居について

遊牧生活 パオ 風景 - Pixabayの無料写真 (641319)

エベンキ族の伝統的な住居は円錐形天幕です。白樺の幹で上方向に細長い円錐形の柱を組み、夏は樹皮で、冬はトナカイの毛皮で外部を覆います。

設営が簡単な天幕式の住居は、家畜の餌を求めて草原を移動する遊牧民の住居として珍しくはありません。天幕式の住居で有名なものとして、モンゴルに住む遊牧民のゲルが挙げられます。

定住化をしている現在の住居は、近隣のロシアや漢民族のものと変わりません。しかし、トナカイの餌が豊かな場所へ移動した時や狩猟で家を離れる場合は、移動先で伝統的な円錐形天幕を設営します。

エベンキと高麗のトーテムポール

장승 韓国 伝統 - Pixabayの無料写真 (639299)

トーテムポールとは、宗教的な意味合いを持つ柱状の木の彫刻のことです。トーテムとは、宗教と結び付けられた人や動植物を象徴したもので、朝鮮半島ではチャンソンと呼ばれています。

北米の先住民にも柱状の木の彫刻はありますが、正確にはトーテムポールではありません。北米のものは出自や家系を表す紋章、伝説や物語に登場する者を表しているのであり、宗教的な象徴ではないからです。

そのため、先住民の子孫が英語名で呼ぶ時は、トーテムポールとは呼ばずにポールと呼びます。
トーテム 極 - Pixabayの無料写真 (641575)

一方、朝鮮半島のチャンソンには宗教的な意味があるので、トーテムポールと読んでも間違いではありません。そして、宗教的な意味合いを持つトーテムポールは、エベンキ族と朝鮮半島に共通した文化なのです。

高麗の、朝鮮人のトーテムポール

장승 村 屋根瓦 - Pixabayの無料写真 (639290)

朝鮮半島にある高麗のトーテムポールには、「天下大将軍」や「地下女将軍」などの文字が彫られています。将軍標と呼ばれるものですが、朝鮮半島の村落に見られる魔除けの境界標なのです。

朝鮮半島には鬼神信仰があり、疾病や災難をもたらすと言われていました。そのため、魔除けとして村落の出入り口に建てていたのです。
장승 韓国 伝統 - Pixabayの無料写真 (641818)

近年の朝鮮語では将軍標と呼ばれますが、ほかの表現では棒の頭に鳥が止まっているものを「ソッテ」と呼び、柱状の人面の木彫りを「チャンスン」と呼びます。

天と地を往来する鳥は神の使いとして信じられて神格化されました。また、神木には人面を掘って人格神化したのです。

両陛下が高麗神社をご訪問

韓国 伝統 故宮 - Pixabayの無料写真 (639356)

2017年9月20日に、当時の天皇陛下と皇后陛下が高麗神社を親拝されました。埼玉県日高市にある高麗神社(こまじんじゃ)は、高麗王若光が鎮座する神社です。

高麗神社の主祭神である高麗王若光が、いつ渡来したかについて社伝はありません。しかし、「日本書紀」の中に666年(天智天皇称制5年)10月、高句麗から派遣された使節として「若光」の名が見られます。

「続日本紀」には703年(文武天皇大宝3年)に、「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されているのです。また、716年に高麗人が武蔵国に移住し、高麗郡を建郡したことも記されています。

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