2019年9月22日 更新

エベンキ族って何?韓国・朝鮮・中国・ロシアとの関係を詳しく紹介

朝鮮半島の歴史に深くかかわっているのがエベンキ族です。なぜ韓国人はルーツを隠すのか、その理由に驚きの事実が隠されています。トーテムポール、アリランなどの風習・文化や習慣・衛生観念に関する驚きの共通点をご紹介します。エベンキ族を知るほど、韓国人が見えてきます。

子馬 シェトランドポニー Jarod - Pixabayの無料写真 (652170)

ワイ族は産業として麻布を生産していましたが、蚕を飼育して綿も作っていました。寒冷地に住んでいるので、綿は生活の必需品だったでしょう。

また、弓も作っていました。「楽浪の檀弓(まゆみの木の弓)」と知られる弓は、ワイ族が産するものです。

沿岸部に住むワイ族は、班魚(ハモ)の皮を産していましたが、内陸では異なります。陸地では文豹(豹の皮)が主であり、果下馬(かかば)と呼ばれるポニーを飼育して漢の桓帝に献上しています。

ロシア・中国とエベンキの関係性

アドベンチャー 宝の地図 旧世界地図 - Pixabayの無料写真 (652456)

エベンキ族は隔絶された民族ではありません。ロシア領と中国に居住し、近隣諸国との交流もあり、また、影響も受けています。エベンキ族とロシア・中国との関係をご紹介します。

中国とエベンキの関係性

ドラゴンズ 中国 タイ - Pixabayの無料写真 (652447)

清帝国によって、エベンキ族はソロン八旗に取り入れられました。清の代6代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)の十全武功において、対外遠征などの活動が確認できます。

十全武功とは、乾隆帝が18世紀後半に行った対外遠征で、10の地域に対して行われました。十全武功で全勝したことにより、清の版図は最大規模に広がったのです。ラオスやタイも清に朝貢するようになりました。
中国の 壁 大規模な - Pixabayの無料写真 (652450)

エベンキ族の武将で有名なのは海蘭察(ハイランチャ)でしょう。清とジュンガルの戦争や清とネパールの戦争などで活躍をしています。

清の正規軍が敵の不正規軍に悪戦苦闘する厳しい現実の中で、エベンキ族の部隊を率いて指揮をしました。

ロシアとエベンキの関係性

教会 イサアク大聖堂 正教会 - Pixabayの無料写真 (652419)

エベンキ族は伝統的にシャーマニズム信仰です。1721年から1917年の帝政ロシア時代に、ロシア正教会の宣教師が布教活動を行いました。

布教活動とロシア人から影響を受けたことで、シャーマニズムとロシア正教を併せて信仰するエベンキ族もいます。また、ロシア領内のエベンキ族に限らず、中国側のエベンキ族もロシア人と交易を行っています。
ロシア 女の子 ロシア人 - Pixabayの無料写真 (652415)

エベンキ族の毛皮と、ロシア人の生活用品や小麦粉、銃や散弾を交換していたのです。ロシア側のエベンキ族も中国側のエベンキ族も、食生活にはロシアの影響を受けています。

ロシア人の影響を受けたエベンキ族は小麦粉でパンを焼き、トナカイの乳を入れて紅茶を飲むようになりました。現在のエベンキ族の生活はロシアの影響を強く受け、民族的にもロシア人との混血が見られます。

エベンキ人は韓国・朝鮮人のルーツである

ハンガリー 薄い 藁葺き屋根 - Pixabayの無料写真 (640270)

「韓国人のルーツは強大な軍事力と進歩した文化を持ち、朝鮮半島を統一して安定と秩序をもたらした民族だった」と信じていたのですが、事実は古朝鮮人を駆逐したエベンキ族だったのです。

韓国・朝鮮人の衛生観念と秩序の無さはあまりにも酷く、その怠惰的な暮らしは日本が朝鮮半島を併合するまで受け継がれていました。

常に日本の上を行きたい韓国人は、「朝鮮は日本より劣っていたが、日本のおかげで発展をした」という真実を認めようとはしません。
子 料金 マジック - Pixabayの無料写真 (653415)

大切なことは過去を知って今を生きること、そして今を未来に繋ぐことです。しかし韓国人は、例え数々の歴史書や史実に沿わなくても、憧れと理想で思い描いたことを歴史にします。

韓国の歴史が「メルヘン」とか「ウリナラ(我が国)ファンタジー」と揶揄される理由がそこにあります。今日もまた、韓国人にとって誇らしい歴史を作り上げていることでしょう。

そして「裸で暮らしていた未開の日本人に、文化と秩序を与えて繁栄をもたらしたのは韓国人だ」と言うのです。韓国人は、夢の中に生きていると言っても過言ではありません。

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