ホロドモールとは?食人せざるを得ない状況に陥ったウクライナ人

ソ連時代のウクライナで起きた大飢饉ホロドモール。人肉を食べる食人行為まで起こった世界史上最悪レベルのこの大飢饉は、いったいなぜ起こってしまったのでしょうか?また、ホロドモールとユダヤ人との間には、どのような繋がりがあるのかを紹介していきます。

ホロドモールとは?

Bread Crumbs Crumb - Free photo on Pixabay (704917)

1932年から1933年にかけて、ソ連統治下のウクライナにおいて、人類史上稀に見る大飢饉が起きました。ホロドモールと呼ばれたこの飢饉による犠牲者は250万人とも1450万人とも言われていますが、ソ連はこの飢饉の存在自体を長年に渡って隠蔽し続けてきました。

人々が人肉食を行うまでに追い詰められたこの大飢饉はなぜ起こってしまったのでしょうか?後にウクライナ議会はホロドモールをソ連によるウクライナ人へのジェノサイド(大量虐殺)であるとしていますが、果たしてその真相とはいかなるものなのでしょうか。

食人せざるを得ない状況に陥った理由

Skull Cemetery Genoa - Free photo on Pixabay (703817)

ホロドモールによって極限まで飢えさせられたウクライナ人たちは世界的にタブーとされている食人行為に手を染めるまでに陥ってしまいます。

歴史上、戦時下のような社会的混乱期の中では、このような飢饉という事態はしばしば見受けられますが、このホロドモールに関しては、そういった外的要因が無いにも関わらず、なぜここまで大規模な飢饉が起こってしまったのでしょうか?

ウクライナで、食人という凄惨な事態が起こった背景を見ていきましょう。

集団化政策による被害

Wheat Grain Cornfield - Free photo on Pixabay (703822)

当時のソ連は日露戦争での敗戦などの要因により、世界的大国の地位が揺らいでいた時期でした。そのような状況を打開するため、一党独裁体制の共産主義のもと、工業化を推し進めるべく長期的な国家成長計画である「五ヶ年計画」を行っていました。

その「五ヶ年計画」の中核となった政策が農業の集団化でした。コルホーズという集団農場の形式は、表向きには農民同士で収穫物を分配するための協同組合とされていましたが、その実態は国家が農産物を強奪するための仕組みでしかなく、農民たちには生きていくために必要最低限な量の農産物すら分配されない状況でした。

ソ連政府が農産物を飢餓輸出

Dock Container Export - Free photo on Pixabay (703821)

ソ連は帝政時代に西欧諸国から負った債務の返済に追われており、ウクライナで獲れる小麦の輸出はその返済や外貨獲得のための有効な手段となりました。

しかし、その輸出量は国内消費分が不足するほどの過剰なものであり、それによって国民が飢えに苦しむ飢餓輸出でした。

当時の最高指導者であるスターリンは、ウクライナで大飢饉が発生しているにも関わらず、ソ連の工業化を進めるための外貨獲得に躍起になり、この飢餓輸出を行い続けていました。

動物を食べていたがそれすらも足りず

Cow Head - Free photo on Pixabay (703818)

これらの要因が重なり、ウクライナにおける飢饉は深刻なものとなっていきました。ろくに食糧すらない状況下で、人々は鳥やペットにしていた犬・猫、ドングリや雑草を食べることで何とか飢えをしのいでいましたが、それすらも底を尽きてしまいます。

飢えに耐えられなくなった人々は、遂には病死した馬や人間の死体を掘り起こして食べるようにまでなり、ウクライナでは疫病による死者も増えていきました。中には誘拐してきた赤ん坊を食べるケースすらあったといいます

集団化政策(農業集団化)とは

Countryside Harvest Agriculture - Free photo on Pixabay (703825)

ホロドモールが起こった最も大きな要因は、コルホーズと呼ばれる集団農場を生み出す仕組み、集団化政策にあったと言えるでしょう。

ここまで多くの餓死者を出し、国民からも反対を受けながらも、スターリンやソ連政府がこだわり続けたこの集団化政策とはいかなるものだったのでしょうか?

ここでは、集団化政策がどういった政策であったのか、また、なぜこの政策が要因となって大飢饉を引き起こしてしまうこととなったのかを掘り下げて見ていきましょう。

集団農場、コルホーズ

Tractor Old Antique - Free photo on Pixabay (703828)

ロシアでは、1926年から穀物を中心とした農作物の不足が続いており、その打開策としてこのコルホーズのシステムが導入されることとなりました。

集団化政策で作り出された集団農場、コルホーズは、耕地と農場施設や機械、家畜、種子などの、生産をしていくうえでメインとなる部分に関しては国有や農民らの共同保有とされ、家屋とその付属地にある農園などに関しては私有を認めるというものです。

私有地で生産した農作物等に関しては自由な販売が認められており、このような小規模個人農経営の側面も持っているという点は、それまでの全て国有としてきたソフホーズとは大きく異なるものとなりました。

ソ連政府はこの政策を推し進め、1930年代に入る頃にはウクライナの農民の70%がこのコルホーズとして働いていたといいます。

農村に活動家を派遣

Boy Male Man - Free photo on Pixabay (703838)

コルホーズにおいては、ソビエト連邦共産党の官僚ネットワークから派遣された活動家たちが農場の管理責任者として農民を監視する役割を担いました。

しかし、この活動家たちは農業知識に乏しく、怠慢であったため、多くの農場では農産物収穫の効率が上がらない状況が続くこととなります。

農場にはトラクターなどの機械が導入されるようになりましたが、故障が多く、部品のスペアもないため修理すらままならないという状態で、生産の効率は下がる一方でした。

家畜の大量殺処分が起きた

Skull Horns Animal - Free photo on Pixabay (703836)

農業集団化が進むと、ウクライナのコルホーズには過重な農作物調達ノルマが課されるようになっていきましたが、生産の効率は一向に上がらず、結果としてコルホーズの生産物の大半が国家に徴収される形となります。

また、農業集団化が本格化する前に、農民たちはコルホーズ加入に抵抗して家畜の大量殺処分を行っており、すでに家畜の数は8分の1にまで激減していました。

農作物のみでなく、家畜をも失ってしまった農民たちの飢えは加速度的に悪化していき、農業の集団化政策はホロドモールを招くこととなっていきました。

最終的に政府が大きな負担を背負った

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