2019年10月12日 更新

ホロドモールとは?食人せざるを得ない状況に陥ったウクライナ人

ソ連時代のウクライナで起きた大飢饉ホロドモール。人肉を食べる食人行為まで起こった世界史上最悪レベルのこの大飢饉は、いったいなぜ起こってしまったのでしょうか?また、ホロドモールとユダヤ人との間には、どのような繋がりがあるのかを紹介していきます。

外交において、自国内でこのようなことが起きていることを認めるわけにはいかないソ連は、飢饉をひた隠しにしようとします。

イギリス、カナダ、スイス、オランダなどの国々は、国際赤十字を通じて、この飢饉に手を打つようにソ連政府に要請しましたが、ソ連は飢饉の存在を頑なに認めようとはせず、「存在しない飢饉への救済は不要」の一点張りでした。

国内においても、農民たちの診療にあたった医師らに対して、診断書に「飢え」という言葉を書くことを禁止するなど、徹底的に隠蔽しようとしました。

ドイツ軍の侵攻を解放軍と喜ぶ

Soldiers Military Usa - Free photo on Pixabay (704918)

このような大飢饉に見舞われたウクライナでは、次第にソ連に対する反感の機運が高まっていきました。そのため、後の独ソ戦の折にドイツ軍が侵攻してきた際には「解放軍」として歓迎し、大勢のウクライナ人がドイツ軍の志願兵となり共産党員引き渡しなどに協力しました。

しかし、ナチス・ドイツもまた、ウクライナ人を含むスラヴ系諸民族を排除する対象として見ており、ドイツ支配下においてもウクライナは苦しめられることとなります。

1980年代まで終わらない

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結局、ソ連政府がこの大飢饉を認めたのは1980年代になってからのことでした。ウクライナはこの事件を、飢饉を意味する「ホロド」と苦死・疫病を現す「モール」から、「ホロドモール(飢餓による殺人)」の名で呼び、ソ連政府が人為的に起こしたウクライナ人に対する大量虐殺であると国際社会に訴えました。

これに対してソ連は、飢饉の存在自体は認めたものの、この件で被害を受けたのはウクライナ人だけではないとして、虐殺については否定しています。

大飢饉による犠牲者数

Autumn Cemetery Cross - Free photo on Pixabay (704972)

こうしてウクライナでは、ホロドモールによって多くの人が犠牲になったとされていますが、ソ連政府は長きに渡って飢饉の存在そのものを隠蔽してきたため、未だにこの大飢饉の正確な犠牲者数は分かっていないという状況です。

ソ連による情報統制は、1930年代に行われた悪名高いスターリンの大粛清の犠牲者数すらも不明瞭なものとしていますが、ホロドモールに関しても情報統制の対象となっていた可能性は十分に考えられるでしょう。

250万人~1450万人

Human Man Mourning - Free photo on Pixabay (704993)

ホロドモールの犠牲者数については、未だに議論が続いています。ある説では、ウクライナの農業人口2500万人に対して、5分の1にあたる500万人の人が餓死したとも言われ、またある説では1000万人とする場合や、多いものでは農業人口の半数を超える1450万人が犠牲となったという話もあります。

かなり開きがありますが、第二次世界大戦における日本の総死者数が300万人前後であったことを考えると、いずれにしろ尋常ではない数の犠牲者が出ていることが分かります。

詳細な数字はわかっていない

Question Mark Survey - Free photo on Pixabay (705016)

詳細な数字は分かっていませんが、いずれにしろホロドモールは人類史上で最も悲惨な出来事の一つに数えられています。しかも、それは国家の工業化を進めるために行われた飢餓輸出や、それに続く数々の条例によって引き起こされた人為的なものでした。

そのため、このホロドモールはソ連の暴力行為による恐怖政治の一端であるとして「テロル飢餓」とも呼ばれ、スターリンによるでたらめな工業化が無ければ起こらなかった悲劇であるとされています。

その後の動き

Cry Harm Accident Pain - Free photo on Pixabay (704994)

あまりにも多くの犠牲者が出てしまったホロドモールですが、この件に関しては21世紀に入ってから法案の整備や犠牲者追悼などの新しい動きが出てきています。

しかし、このホロドモール犠牲者追悼においては、トラブルなども起こっていたようで、世界中で物議を醸しているようです。

果たして、この大飢饉は、長い時間が経った現代の世の中に、どのような影響を残しているのでしょうか?ホロドモールのその後の動きを見ていきましょう。

ホロドモールに関する法案政策

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2007年、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領はホロドモールを否定した人物に刑事罰を与えるための法案提出を促しました。これに関しては罰金最大1000ドル、懲役最大4年というものになる予定でした。

しかし、ホロドモールに関しては、ウクライナ国内でも意見が割れており、2010年、ユシチェンコの後継であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は、「ウクライナ人に対するジェノサイドと見なすことはできない。この大飢饉はソ連に含まれていた諸民族共通の悲劇だった」と述べ、前政権までとは異なる立場を取っています。

ウクライナ国外でのものとしては、2018年にアメリカ上院が満場一致で採択した決議は、ホロドモールをウクライナ人に対するソ連政府のジェノサイドであると認めるものでした。

ホロドモール犠牲者追悼博物館

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2008年にはホロドモール発生75年を記念して、キエフにウクライナ飢饉犠牲者追悼記念館が開設されました。2010年には国立化に伴い、「ホロドモール犠牲者追悼国立博物館」に名称を変更しています。

一方でクリミア半島のセヴァストポリで2009年に開館した「セヴァストポリ・ホロドモール博物館」では、開館後、間もなくして展示写真数点がウクライナ国外で撮影されたホロドモールとは無関係のものであることが発覚し、問題となりました。

ユダヤ人とソビエト

Team Motivation Teamwork - Free photo on Pixabay (705002)

ここまで、このホロドモールについて、ソ連政府や独裁者スターリンによるウクライナ人への虐殺行為としての面を中心に書いてきましたが、一部では、このホロドモールはウクライナ人から迫害を受けた歴史を持つユダヤ人が関与しているのではないかとも言われています。

その背景には、ロシア帝政時代から根強く残っているウクライナ人とユダヤ人の複雑な人種問題がありました。ここではホロドモールをユダヤ人迫害という、これまでとは違った側面から書いていきます。

ユダヤ人にとっては報復の意味合い

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