2019年10月12日 更新

ホロドモールとは?食人せざるを得ない状況に陥ったウクライナ人

ソ連時代のウクライナで起きた大飢饉ホロドモール。人肉を食べる食人行為まで起こった世界史上最悪レベルのこの大飢饉は、いったいなぜ起こってしまったのでしょうか?また、ホロドモールとユダヤ人との間には、どのような繋がりがあるのかを紹介していきます。

ロシア帝政末期に迫害の対象とされていたユダヤ人。ウクライナ人の中にも300年もの長きに渡り、反ユダヤ主義が根付いていました。

やがて、ロシア革命が起こり、それまで虐げられてきたユダヤ人たちが、今度はソヴィエト政権の中枢の大部分を占めるようになります。

そのため、このホロドモールは、ユダヤ人にとっては、ウクライナに対するそれまでの報復行為としての意味合いがあったのではないかとする説が生まれたようです。

ロシア帝政末期のユダヤ人迫害

Fist Blow Violence - Free photo on Pixabay (705007)

ヨーロッパにおいては、古くからユダヤ人に対する迫害が行われており、ウクライナにおいての反ユダヤ主義はとりわけ厳しいものでした。

さらにロシア帝政末期になると、日露戦争や第一次世界対戦での敗戦や、首相暗殺などで国内情勢の混乱が起こり、国民は帝国への不満を募らせていきます。

そこで、政府は国民の不満の矛先がユダヤ人排斥主義へと向かうよう誘導したため、ウクライナを含むロシア国内での反ユダヤの動きはより一層増長されることとなりました。

国策としても、ロシア帝国最後の皇帝となったニコライ2世は、ユダヤ人の居住地を狭い地域に限定し、ユダヤ人がロシア風の名前に改名することを禁止するなど、ユダヤ人のみに限定した規制を敷いていました。

ロシア革命でソビエト政権の中枢に

Protest Demonstration Communism - Free vector graphic on Pixabay (705013)

日露戦争での敗戦や、デモで集まった民衆に軍隊が発砲した「血の日曜日事件」などで民衆の怒りが頂点に達したロシアは、二度にわたるロシア革命によってついに帝政が終わりを迎えます。

国内では未だに「反ユダヤ」の機運が高い状況でしたが、革命によって打ち立てられた臨時政府は、ユダヤ人を含む全市民の平等を宣言し、レーニン、トロツキー、スヴェルドロフなど、多くのユダヤ人が新政府の中枢で指導者として据えられることとなりました。

これによって実権を得たユダヤ人たちが、それまで特に強く迫害されてきたウクライナ人に対しての報復行為としてホロドモールを引き起こしたというのがこの説です。

しかし、ホロドモールが起こった時代の最高指導者スターリンはユダヤ人ではなくグルジア人であり、後にヒトラーと同じく「ユダヤ人世界陰謀説」のもとでユダヤ人の迫害を行っています。

1941年のポーランドのポグロム

Violence Against Women Domestic - Free photo on Pixabay (705009)

ポグロムとは、ロシア語で「破壊・破滅」を意味する言葉ですが、歴史的にはユダヤ人に対する暴力行為として使われることが多い言葉です。

1941年、当時のポーランド領(現ウクライナ)のリヴィウで、大規模なポグロムが行われました。ウクライナの政治家であったステパーン・バンデーラ率いる、反ユダヤ主義組織「ウクライナ民族主義者組織」は、短期政府を樹立するとともに、「民族浄化」を訴え、ユダヤ人を標的とした暴行、強盗、強姦、殺人を行いました。

このリヴィウポグロムは、ウクライナ民族主義者組織が自発的に行ったとする説と、ナチスへの懐柔のために行ったとする説があります。

人肉を食べざるを得ない状況になった革命など

Barbecue Barbeque Bbq - Free photo on Pixabay (704968)

このホロドモールの大飢饉において、ウクライナの人々は生き残るために人の肉まで食べなければならない状況に陥りました。

飽食の時代と言われる現代の日本に住む我々には想像し難い事態ですが、人々がこのように人肉を食べざるを得ないほどの状態に陥った事件は、世界の歴史において、たびたび起こっています。

ここでは、日本を含む、世界各地で起こった「人肉を食べざるを得ない状況になった」事件について紹介していきます。

血の日曜日事件

Protest Action Group Of - Free photo on Pixabay (704919)

1905年、ガポン神父率いる民衆は、日露戦争の中止や国民の自由権保障を訴えるべく、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで請願行進を行いました。

6万人にも及んだ参加者らは、皇帝ニコライ2世に直訴することによって、状況が改善されると信じ、非武装で臨みましたが、これに軍隊が発砲するという事態が起こります。

1000人とも4000人とも言われる死者数を出した、この「血の日曜日事件」は、後の一連のロシア革命の発端となり、情勢不安が続くロシア国内では大量の難民が発生しました。

諸外国からの援助が彼らに行き渡ることはなく、ロシアの市場では、公然と塩漬けにされた人肉が売られていたといいます。

日本の三大飢饉

Ashes Volcano Eruption - Free photo on Pixabay (705023)

日本の歴史においても、人が人を食らうほどの飢饉が起こっており、「享保の飢饉」「天明の飢饉」「天保の飢饉」の3つは江戸の三大飢饉と呼ばれています。

この中でも、東北地方を中心に大きな被害をもたらした「天明の大飢饉」は日本の近世における最大の飢饉とされ、1780年から1786年の間に、全国で92万人もの人が亡くなりました。

特に東北地方では1770年代から冷害や火山の噴火などの天災が相次ぎ、農作物が壊滅的な被害を受けます。「死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状」と記録されており、人の肉を食べるほどの極限状態に陥っていたことが伺えます。

中国の文化大革命

Weapon Violence Children - Free photo on Pixabay (705006)

文化大革命は1966年から1976年にかけて中国で起こった毛沢東主導の革命運動です。大躍進政策の失敗により失脚した毛沢東が自身の復権を画策した権力闘争でしたが、毛沢東は政敵の攻撃に学生運動を扇動するという方法を使い、その結果、多くの人が亡くなりました。

これまでの例とは異なり、この文化大革命においては飢饉があったわけではありませんが、食人行為が行われていたといいます。扇動により暴徒と化した民衆は毛沢東の敵対分子とされる知識人や地主を公開処刑し、処刑した人間の肉や内臓を切り分けて食べるという行為が横行していました。

広西省の武宣県にある中学校では、生徒らが数名の教師を囲んで暴行、殺害。さらに、リーダー格の生徒は、「肝臓は体に良い」と言って、教師の肝臓を取り出し持ち帰って食べたといいます。

無残で残酷な大量虐殺である

Ukraine Science Selection - Free photo on Pixabay (703812)

このホロドモールの大飢饉が、ソ連によって引き起こされた大量虐殺であったことは明白です。しかし、そこにはただ単にウクライナ人とソ連の被害者と加害者という構図のみがあるのではなく、さらに古くから連綿と続いている人種問題が大きく影響しているという可能性も、また忘れてはなりません。

ウクライナの青と黄色の国旗は、一説によると、青空と豊かに実る小麦を象徴しているとされています。ホロドモールという悲劇を繰り返さないためにも、この国旗のように、全世界の人々が豊かに暮らしていける世の中を作っていくことが重要なのではないでしょうか。

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