2019年10月15日 更新

津久井やまゆり園で起きた事件のその後と現在は?犯人の生い立ちも

相模原障害者施設殺傷事件を覚えているでしょうか?戦後最大の事件として大きく取り上げられた事件です。事件によって亡くなった方は19名もいます。今回は相模原障害者施設殺傷事件の概要と事件のその後の建て替え計画や犯人植松の思考回路や生い立ちまでを紹介していきます。

目次

2017年9月28日横浜地裁で第1回公判前整理手続が開かれました。協議は非公開で実施され、検察、弁護側双方が主張内容を記載した書面をそれぞれ提出しました。しかし犯人は欠席。

その後、検察側、弁護人双方との間で計3回の打ち合わせが行われ、検察側から合計631点の証拠請求がなされた一方、弁護人からは予定する主張内容を記載した書面が提出されます。

横浜地裁は2018年1月23日までに弁護人側の請求を受けて「被告人Aに対し再度の精神鑑定を実施する」ことを決めました。2018年9月4日、犯人の精神鑑定結果について「捜査段階とは別の精神科医による再度の精神鑑定は2018年8月に終了し、1回目と同様に「パーソナリティー障害」との診断結果が出た」と報道しされます。

2020年3月までに判決が言い渡される

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初公判は2020年1月8日。以降、1月に11回、2月に13回の審理を行った上で2020年3月4日に論告求刑公判を行って結審することとなります。

判決公判は2020年3月16日に開かれる予定。審理の進行具合によっては同月23日に延期される可能性もあります。時間関係者、施設関係者、遺族としては即刻判決を出してほしいところですが、2020年3月まで待たなくてはいけません。

その間には事件のことを忘れてしまう人も出てくるでしょう。しかしこればかりは待つしかありません。

加害者の生い立ち

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事件を起こした加害者はどんな人物だったのか?これまでの犯行の流れなどを見てみると、とても人として自立している人間には思えません。しかしその反面、犯行を計画的に行っている冷静さも見られます。

周りからはどのように思われ、どんな風に育ってきたのか、加害者の生い立ちに迫っていきましょう。ただ上記でも軽く触れていますが、周りからの評判はよく「犯罪を起こすような子じゃない」という印象です。

では加害者の人生の中で、どんなことが事件を起こすネックとなってしまったのでしょうか。

幼少期は心優しい少年であった

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加害者1990年1月20日に東京都日野市の多摩平団地で生まれました。父親は東京都内の小学校に図工教師として勤務しつつ自治会活動に積極的に参加するような父親で、母親は漫画家。

子供の頃はいじめられている猫をかばうなど、とても優しい少年だったそうです。中学時代は熱心なバスケットボール部員で勉強も真面目に取り組んでいました。

どちらかといえば「優等生」と呼べるような人間性です。家族に関して父親も母親も立派な仕事をしているため、性格が歪んでしまうきっかけがあったとは考えられません。

高校入学後からグレはじめた

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幼いころは優等生だった加害者ですが、高校に入った頃から性格が少しずつ変わっていきます。高校入学後、同級生を殴って転校。更に帝京大学在籍時には刺青を入れていていました。

当時加害者は「強い人間」に憧れ、ナイトクラブに通い、2010年ごろからは大麻などにも手を出していたのです。幼い頃の優等生から一気に生活が一変し、いわゆる「不良」になっていきました。

なぜ加害者がグレてしまったのは不明です。加害者の中での「強い人間」の理想像が人とは違う方向に向いてしまったのかもしれません。

大学卒業後

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大学卒業後は「不良」という言葉では済まされないほど、加害者は道を外してしまいます。半グレ集団や右翼関係者とも交友を持つようになっていました。

そして事件の4~5年ほど前になると、夜中に加害者宅の母親とみられる女性の泣き叫ぶ声が聞こえるようになります。その約半年後、加害者との同居に耐えかねた両親は加害者を1人残して東京都八王子市のマンションに引っ越すことに。

1人になった加害者が、自動販売機の設置業者、運送会社、デリヘルの運転手など職を転々とし、相模原市内のクラブにも頻繁に出入りしていました。

やまゆり園入社後

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加害者は2012年12月1日付で「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用。2013年4月1日から常勤職員として採用され、2016年2月まで勤務していました。

加害者は2012年8月、施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の就職説明会に参加し、「明るく意欲があり、伸びしろがある」という判断で採用されますが、採用後の勤務態度には「施設入居者への暴行・暴言」などの問題があったため何度も指導を受けていたのです。

2015年6月ごろからからは尊敬していた彫り師に弟子入りして本格的に彫り師修業を始めていました。その頃から「障害者を皆殺しにすべきだ」と発言するなどの異常な言動があり、師匠である彫り師から「ドラッグを使用している可能性が濃厚だ」と判断され破門となってしまいます。

Aは2016年2月中旬ごろに衆議院議長公邸を訪れて衆議院議長の大島理森に宛てた『犯行予告』とされる内容の手紙を職員に手渡した[91]。

同級生に犯行の加担を求める

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実は加害者は元々犯行を1人で行うつもりではなかったのです。加害者は2016年2月17日、LINEで同級生に「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」などと自説を展開するメッセージを一斉送信しています。

その後直接電話をかけた同級生には犯行への加担を要求。反論した友人に「お前から殺してやる」と脅したこともわかっています。それを聞いて激怒した友人からと殴られたこともありましたが、加害者は考えを改めませんでした。

さらに加害者は2016年2月18日の勤務中に同僚職員に「重度の障害者は安楽死させるべきだ」という発言をしています。施設側からは「ナチス、ドイツの考えと同じだ」と批判されされるものの、その主張を変えることはありませんでした。

大麻の利用などから精神病へ

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度重なる加害者の発言をきっかけに、施設側は警察に通報。津久井署は「他人を傷つけるおそれがある」と判断して相模原市長精神保健福祉法23条に基づき通報を行い、措置診察を行うことを決めました。

1人の精神保健指定医が「入院の必要がある」と診断し北里大学東病院へ緊急措置入院。さらに翌尿から大麻の陽性反応が見られ、「大麻精神病」「非社会性パーソナリティー障害」妄想性障害」「薬物性精神病性障害」などと診断されました。

犯行の日時は前倒しされていた

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実際に犯行が行われたのは7月26日でした。しかし実は加害者は違う日に犯行を予定していたのです。加害者は「イルミナティ」と呼ばれるカードゲームの愛好者で「1001」は聖なる数字」という考えを持っていました。

そのため本来は2016年10月1日に犯行を計画していましたが、事件前日に暴力団関係者と親交があるとされる知人から「お前は暴力団組員に追われている」と告げられたことが心理的な圧力になり、犯行できなくなることを心配して計画を前倒しにしたのではないかと考えられています。

事件のその後の動き

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