目次
- 大月孝行とは?
- 大月孝行の光市母子殺害事件
- 強姦目的で被害者宅へ侵入
- 母親を殺害・屍姦
- 娘を殺害
- 殺害後の行動
- 大月孝行と被害者との接点
- 大月孝行と被害者の接点
- 以前から親子で狙っていた
- 大月孝行の裁判
- 無期懲役
- 最高裁にて死刑判決
- 道徳的な成熟度が低い
- 悪魔の弁護人「安田好弘」について
- 悪魔の弁護人
- 安田弁護士は死刑廃止主義者
- 裁判での出張
- 死刑確定後のコメント
- 大月孝行の不可解な発言
- 「死刑になって来世で夫になる」
- これに対する被害者遺族のコメント
- 「ドラえもんに何とかしてほしかった」
- これに対する世間の反応
- 友人に宛てた手紙
- 被害者遺族に対してのコメント
- 大月孝行の生い立ち
- 大月孝行の家族構成
- 父親から母親への虐待
- 大月孝行も虐待を受ける
- 実母の自殺
- 母親の遺体処理
- 父親はすぐに再婚
- 高校卒業後就職
- 就職後10日目に犯行
- 大月孝行の家族構成
- 父親
- 自殺した母親
- 父親の再婚相手
- 弟
- 祖母
- 大月孝行は在日?!
- 大月純子との養子縁組
- 大月純子
- 養子縁組の経緯・目的
- 大月孝行の現在
- 広島拘置所に収監中
- 拘置所内での生活は?
- 大月孝行の死刑執行はいつ?
- 事件後の大月孝行と父親
- 父親のインタビューでの問題発言
- 父親の被害者や遺族に対しての発言
- 判決前に7年ぶりの接見
- 父親が語った接見の様子
- 大月孝行の事件に対する世間の反応
- 被害者遺族のコメント
- 死刑制度の是非
- 少年法とは何か
- 被害者遺族の権利
- 実名入りの著書で裁判沙汰
- 少年に死刑が確定した過去の事件
- 市川市一家4人殺害事件
- 娼婦等連続4人殺人事件
- 石巻3人殺傷事件
- 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
- 光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件
- 橋下徹の発言
- 弁護士4人が損害賠償請求
- 弁護士19人の名誉毀損訴訟
- 橋下徹のその後
- 加害者だけでなく加害者家族も注目を集めた事件
少年法とは、法を犯してしまった18歳未満の少年少女が、将来社会復帰をする為に人権を守るようにと定められた法律です。大月は事件当時、18歳1ヶ月という年齢でした。この年齢は少年法の適用年齢外に当たります。ですが、大月の精神は12歳で止まってしまっていました。
大月に死刑を適用してしまうと、少年法に反するという意見が上がっていたのです。弁護団は無期懲役を主張しますが、最高裁では死刑が正式に確定することとなりました。このような結果を受けて世間の一部では「少年少女を守る為にある少年法は何だったのだ」と声が聞こえています。
大月に死刑を適用してしまうと、少年法に反するという意見が上がっていたのです。弁護団は無期懲役を主張しますが、最高裁では死刑が正式に確定することとなりました。このような結果を受けて世間の一部では「少年少女を守る為にある少年法は何だったのだ」と声が聞こえています。
被害者遺族の権利
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弥生さんの夫・洋さんはこの事件をきっかけに日本では犯罪被害者遺族が何1つ守られていないことを痛感することになりました。以前、とある事件で妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長の岡村勲さんと共に、犯罪被害者の会を設立しました。
弘さんは犯罪被害者の会の幹事に就任し、犯罪被害者等基本法の成立に力を注いでいました。洋さんは犯罪被害者の権利確率の為に、現在でも書籍の執筆・講演会などを開き遺族たちの声を多くの人に届ける為に活動をしています。
弘さんは犯罪被害者の会の幹事に就任し、犯罪被害者等基本法の成立に力を注いでいました。洋さんは犯罪被害者の権利確率の為に、現在でも書籍の執筆・講演会などを開き遺族たちの声を多くの人に届ける為に活動をしています。
実名入りの著書で裁判沙汰
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2009年に「福田君を殺して何になるー光市母子殺害事件の陥穽ー」という本が出版されました。著者である増田美智子さんは実際に大月孝行と面会をし、彼の姿に衝撃を受けて本の執筆に乗り出しました。
そして大月と「死刑回避できるよう尽力する」と約束をした上でインタビューに協力をしてもらったそうです。ですが、出版された本は死刑が前提と取れるような内容で描かれていました。これを見た大月側は出版の差し止めを要求し、賠償請求を起こしました。
ですが受け入れられることはなく、敗訴。本は予定通り出版されることになりますた。この本は全国の本屋・ネットショップなどで購入が可能です。
そして大月と「死刑回避できるよう尽力する」と約束をした上でインタビューに協力をしてもらったそうです。ですが、出版された本は死刑が前提と取れるような内容で描かれていました。これを見た大月側は出版の差し止めを要求し、賠償請求を起こしました。
ですが受け入れられることはなく、敗訴。本は予定通り出版されることになりますた。この本は全国の本屋・ネットショップなどで購入が可能です。
少年に死刑が確定した過去の事件
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光市母子殺害事件を起こした大月孝行には「死刑」という最高極刑が下ることとなりました。犯行を起こしたとき、彼は18歳1ヶ月という年齢でした。犯行当時少年の死刑が確定したのは、1994年に発生し2011年に判決が確定した大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件依頼でした。
大月孝行は平成の少年事件で5人目の死刑判決を受けた人物でもあるのです。死刑判決が下された少年事件にはどのようなものがあるのでしょうか。平成時代に本当に起きた、少年事件を紹介して参ります。
大月孝行は平成の少年事件で5人目の死刑判決を受けた人物でもあるのです。死刑判決が下された少年事件にはどのようなものがあるのでしょうか。平成時代に本当に起きた、少年事件を紹介して参ります。
市川市一家4人殺害事件
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市川市一家4人殺害事件は1992年、千葉県市川市で発生しました。事件の犯人は当時19歳の少年・関光彦でした。関光彦は買い物帰りの当時高校一年生の少女を強姦し、身分証明書を脅し取りました。そしてその1ヵ月後に少女が住むマンションの一室に強盗目的で押し入り、少女を除く4人を次々と刺殺・絞殺しました。
殺害の方法は極めて残酷なものでした。1人で留守番をしていた祖母を脅し殺害、その後に帰宅した少女と母親を脅し、母親だけを殺害。少女に母親の遺体を運ぶ手伝いをさせました。夜に帰宅をした父親を殺害、そして少女を翌朝まで監禁・強姦しました。
殺害の方法は極めて残酷なものでした。1人で留守番をしていた祖母を脅し殺害、その後に帰宅した少女と母親を脅し、母親だけを殺害。少女に母親の遺体を運ぶ手伝いをさせました。夜に帰宅をした父親を殺害、そして少女を翌朝まで監禁・強姦しました。
娼婦等連続4人殺人事件
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娼婦等連続4人殺人事件は1967年4月24日に愛知県のホテルで発生しました。逮捕されたのは当時19歳だった渡辺清という少年でした。少年は売春婦であった女性とホテルで言い争いになり、首を絞めて殺害をしました。そして8月5日には男娼を刺殺しました。
1972年4月には大阪府で売春婦と性交をした後に、刺殺を行いました。そして1973年の3月にも同じ手口で売春婦を殺害したのです。大月の判決と同様、当初無期懲役の判決が言い渡されましたが、1988年6月2日に再構成が判決を棄却、死刑が確定しました。
1972年4月には大阪府で売春婦と性交をした後に、刺殺を行いました。そして1973年の3月にも同じ手口で売春婦を殺害したのです。大月の判決と同様、当初無期懲役の判決が言い渡されましたが、1988年6月2日に再構成が判決を棄却、死刑が確定しました。
石巻3人殺傷事件
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石巻3人殺傷事件は2010年2月10日、宮城県石巻市で発生しました。犯人は当時18歳の千葉祐太郎という男性でした。犯人は元交際相手の少女の実家に押し入り、2階で寝ていた少女の姉・少女の友人の女子高生を牛刀で殺害しました。
そしてその場に居た男性の右胸を刺し、重傷を負わせました。目の前で3人もの殺傷をみていた少女には軽傷を負わせ車に乗せました。逃走を続けますが、同日の午後1時には少年2名を逮捕。2名のうち主犯格であった千葉祐太郎は死刑判決を受けました。
そしてその場に居た男性の右胸を刺し、重傷を負わせました。目の前で3人もの殺傷をみていた少女には軽傷を負わせ車に乗せました。逃走を続けますが、同日の午後1時には少年2名を逮捕。2名のうち主犯格であった千葉祐太郎は死刑判決を受けました。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は1994年9月28日から10月8日までの11日間で発生をした事件です。犯人は小林・大倉・芳我の3名の18歳~19歳の少年達でした。最初の殺害は大阪で起きました。元すし店員の男性に因縁をつけて暴行を加えました。飯場で働かせて報酬を得ようとしますが、拒否されたため首を絞めて殺害。
10月6日には遊び仲間の男性とトラブルを起こして殴り合いの喧嘩に発展。集団リンチは次の日午前2時まで続き、意識不明の状態にさせました。意識不明に陥った男性を土手から蹴り落として逃走しました。
7日の午後10時にはボウリング場の駐車場で2人組の男性に因縁をつけ暴行を加え、拉致。金を強取した後に2人を金属パイプで滅多打ちにして殺害しました。2011年3月10日に最高裁で3人の死刑判決が確定しました。
10月6日には遊び仲間の男性とトラブルを起こして殴り合いの喧嘩に発展。集団リンチは次の日午前2時まで続き、意識不明の状態にさせました。意識不明に陥った男性を土手から蹴り落として逃走しました。
7日の午後10時にはボウリング場の駐車場で2人組の男性に因縁をつけ暴行を加え、拉致。金を強取した後に2人を金属パイプで滅多打ちにして殺害しました。2011年3月10日に最高裁で3人の死刑判決が確定しました。
光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件
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光市母子殺害事件は犯人の死刑判決により、幕が閉じたかと思われていました。ですが、光市母子殺害事件は犯人が死刑判決を受けた後も、続くことになってしまったのです。遺族たちは新たな人生を歩もうとしていたに違いありません。ですが、周囲はそのようにさせてくれませんでした。
光市母子殺害事件は長いこと、好奇の目に晒されることとなってしまったのです。この事件は「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」とも言われています。光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件はどのような事件内容だったのでしょうか。事件の概要について迫っていきます。
光市母子殺害事件は長いこと、好奇の目に晒されることとなってしまったのです。この事件は「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」とも言われています。光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件はどのような事件内容だったのでしょうか。事件の概要について迫っていきます。
橋下徹の発言
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橋下徹は当時レギュラー出演をしていたテレビ番組で、光市母子殺害事件で犯人・大月の弁護団を非難しました。発言した内容は「死体を黄泉がえらす為にその姦淫したとかね、それから赤ちゃんに対しては、あやすために首にちょうちょ結びをやったという事を堂々と21人の資格を持った大人が主張する事。これはね、弁護士として許していいのか」
「明らかに今回はあの21人というか…あの安田っていう弁護士が中心になり、そういう主張を組立てたとしか考えられないね」「あの弁護団に対して許せないって思うのなら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけたらいい」
「懲戒請求は誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますので、あの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたい」などと発言をしました。
「明らかに今回はあの21人というか…あの安田っていう弁護士が中心になり、そういう主張を組立てたとしか考えられないね」「あの弁護団に対して許せないって思うのなら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけたらいい」
「懲戒請求は誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますので、あの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたい」などと発言をしました。
弁護士4人が損害賠償請求
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