2019年6月12日 更新

アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アル・カポネは、20世紀のアメリカを代表するギャングです。アメリカで禁酒法が施行された時代に犯罪組織の近代化に成功し、絶大な権力を誇りました。その影響は現在まで続いています。今回は、アメリカ史上最も有名なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。

目次

「アンタッチャブル」エリオット・ネスによる徹底的な調査

Businessman Office Tie - Free photo on Pixabay (352573)

カポネ逮捕に向けての捜査は、主に2つの容疑を中心に進められました。1つは脱税容疑、もう1つは禁酒法のボルステッド法違反です。この時のカポネ捜査で活躍した人物が、財務省の捜査官、エリオット・ネス(Eliot Ness)です。

ネスは、ポルステッド法違反を軸にカポネを徹底的に調査しました。ネスが調査して立件したポルステッド法違反は、実に5000件に上ります。
Handwriting Sütterlin Vintage - Free photo on Pixabay (352576)

ネスの活躍は、後に自伝である「アンタッチャブル(The Untouchables、手出しできない奴ら)」で有名になり、テレビドラマや映画にもなって世界中で有名になりました。

ただし、自伝で描かれているネスの活躍には誇張されている面があります。現代では、ネスがカポネ逮捕に貢献したことは事実だが、自伝の記述には信用できない面もあるとされています。

脱税で告発され逮捕、そして裁判へ

Gavel Auction Law - Free photo on Pixabay (352579)

最終的に、カポネは脱税容疑が決め手となって逮捕されました。実際の裁判でも脱税容疑が主な焦点となっています。ネスによるボルステッド法違反の立件は、脱税調査からカポネの目をそらすためのおとりでした。

裁判では、カポネの会計係による証言や、カポネの組織の弁護士だったエドワード・J・オヘア(Edward Joseph O'Hare)による証拠のリークもあり、終始検察側有利で進められました。
Depression Sadness Man I Feel - Free photo on Pixabay (352584)

カポネは陪審員を買収することで罪から逃れようとしますが、裏切ったオヘアの密告によって裁判所に知られてしまいます。裁判所は陪審員を全て入れ替えたため、買収は意味をなしませんでした。

カポネは脱税疑惑で有罪となり、11年の懲役と8万ドルの罰金に処されました。判決を聞いたカポネは笑顔を浮かべていましたが、実際には予想以上に重い刑にショックを受けており、怒りを感じていたといいます。

アルカポネの刑務所生活

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (352585)

ついに罪人となったカポネは、刑務所に収監されます。始めの頃は比較的自由な生活をしていたカポネですが、徐々に自由を奪われていきます。

カポネの刑務所生活について解説します。

刑務所長を買収

Euro Bill Rich - Free photo on Pixabay (352598)

1931年10月、カポネはイリノイ州のクック群刑務所に収監されます。しかし、ここでもカポネは刑務所の責任者や職員を買収し、以前の自作自演の逮捕・収監と同じように悠々自適な刑務所生活を送っていました。

さらに、刑務所から組織に指示を出して仕事をしており、逮捕前とほとんど変わらない生活ぶりでした。カポネが仕事に対する意欲を失わなかったのは、再審請求に望みをかけていたからだと言われています。

しかし、結局再審請求は却下されてしまい、カポネは失意に沈むことになりました。

アトランタ刑務所へ移送される

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (352601)

1932年5月、カポネはアトランタ刑務所に移送されました。アトランタ刑務所は、中級程度のセキュリティレベルを持つ刑務所であり、シカゴから離れていることもあってカポネの組織に対する影響力の低下が予想されました。

シカゴに住んでいる家族とも離れて暮らすことになり、さすがのカポネもこの時は意気消沈したと言われています。移送前には、家族と会話をし、さらにカポネを追い詰めたエリオット・ネスとも会話を交わしています。

カポネとネスが相まみえたのは、この時が最後でした。

アトランタ刑務所での生活

Prison Fence Razor Ribbon Wire - Free photo on Pixabay (352602)

アトランタ刑務所に収監されたカポネは、世間からはクック群刑務所と同じように責任者や職員を買収して刑務所を支配しているかのように思われていました。しかし、実際のカポネの扱いは、それまでとは全く違っていました。

アトランタでは、刑務所を自分の支配下におくことはできず、むしろ、いじめの標的になっていました。ただし、中に収監前にカポネと親交のあった者もおり、味方がいないわけではありませんでした。

カポネは屈辱に耐えながら、刑務所での仕事だった靴工場での作業を従順にこなしていたと言われています。

アルカトラズ刑務所

Alcatraz San Francisco Island - Free photo on Pixabay (352607)

カポネはアトランタ刑務所の次に送られたのは、凶悪な犯罪者を収容するアトランタ刑務所でした。この刑務所での生活から、カポネの転落が始まります。

カポネのアルカトラズでの生活ぶりを見ていきましょう。

アルカトラズ刑務所への移送

Gun Tower Castle - Free photo on Pixabay (352621)

1932年8月、カポネはアルカトラズ刑務所に移送されます。アルカトラズ刑務所とは、カリフォルニア州のサンフランシスコ湾に浮かぶ島、アルカトラズ島にあった刑務所です。

刑務所になる前は、軍事要塞として利用されており、その後は、カポネのように社会的な影響力を持った犯罪者を収容するための最高レベルのセキュリティを誇る刑務所として利用されました。
Bodyworn Body Camera Police - Free photo on Pixabay (352623)

カポネのアルカトラズへの移送は、厳重な警備の元に行われました。アルカトラズへの囚人の移送は、船に乗り換えて行われるのが一般的です。しかし、カポネの逃亡を恐れた当局は、カポネが乗った列車ごと船で牽引して移送するという前代未聞の方法を取りました。

カポネの移送は無事成功し、Az-85号という囚人番号を与えられたカポネの囚人生活が始まりました。

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