2019年6月12日 更新

アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アル・カポネは、20世紀のアメリカを代表するギャングです。アメリカで禁酒法が施行された時代に犯罪組織の近代化に成功し、絶大な権力を誇りました。その影響は現在まで続いています。今回は、アメリカ史上最も有名なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。

目次

1919年の憲法修正とボルステッド法の成立

Law Books Legal - Free photo on Pixabay (352345)

20世紀に入ると、禁酒運動はさらに活発化しました。20世紀の禁酒運動は、単に道徳的な理由だけでなく、禁酒をすることで労働者の生産効率が高まるという実利的な理由も主張されました。

1917年にはいくつかの州が禁酒法の制定に踏み切ります。1919年、ついに合衆国憲法修正第18条が成立してアメリカ全土が禁酒法の影響下に入りました。

さらに18条の細則であるボルステッド法(Volstead Act)が成立し、禁酒法の時代が幕を開けました。

徐々に批判が高まり1933年には廃棄

Glass Dark Alcoholic - Free photo on Pixabay (352350)

人々の振る舞いを道徳的にさせ、労働者の生産効率を上げると喧伝された禁酒法ですが、実際にはアメリカ社会に大きな混乱をもたらしました。

マフィアは禁酒法によって表立って販売できなくなった酒の製造・販売に目を付けます。酒の密造・密売を裏ビジネスとして成立させて莫大な利益を上げました。
Glasses Drink Alcohol - Free photo on Pixabay (352353)

禁酒法は道徳心の涵養どころか犯罪の温床となってしまい、アメリカ社会を腐敗させました。禁酒法に対する批判が徐々に高まり、法律の見直しを求める動きが始まります。

法成立から14年後の1933年、禁酒法を廃棄する合衆国憲法修正第21条が可決され、禁酒法の時代は幕を閉じました。

マクスウィギン事件

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (352362)

カポネが組織のトップになった直後、後にマクスウィギン事件と呼ばれることになる殺人事件が起き、カポネは危うく警察に捕まりかけます。しかし、機転を利かせて難を逃れ、組織をさらに拡大させていきました。

組織のトップに立ったカポネに最初に訪れた試練であるマクスウィギン事件について解説します。

事件概要

Accident Hit And Run Police - Free photo on Pixabay (352365)

マクスウィギン事件とは、ウィリアム・H・マクスウィギンという若い検事がカポネの組織のメンバーに殺害された事件です。実は、マクスウィギン殺害の犯人は検事ではなく、ギャングのライバルであるオドンネル兄弟を殺害するつもりでしが、間違えて検事を殺してしまいました。

すぐにカポネの組織の仕業だと分かったため、組織のトップだったカポネも指名手配されます。しかし、警察の必死の捜索にもかかわらず、カポネは一向に見つかりませんでした。カポネは海外に逃亡したのではないかとまで言われ、警察の捜査は行き詰まってしまいます。

ミシガン州に身を潜める

Indiana Dunes State Park Beach - Free photo on Pixabay (352367)

実は、カポネは警察の捜査の手が伸びる前にミシガン州に逃亡していました。警察の必死の捜索を尻目にミシガンで悠々自適な生活をしていたとされています。

3カ月後にカポネはシカゴに戻り、警察に出頭しました。警察はカポネを罪に問うべく、さらに捜査を続けますが、カポネの事件への関わりを証明することはできませんでした。

さらに殺されたマクスウィギン検事がギャングと付き合いのある問題の多い人物だったことが判明し、事件は不幸な事故だったと結論付けられます。結局カポネは起訴されず、釈放されることになりました。

ランシングでの生活

The Alps Spring Meadows - Free photo on Pixabay (352371)

カポネが逃亡していたのは、ミシガン州の州都ランシングです。ランシングでのカポネの生活はのどかなものでした。警察から逃亡中であることなど微塵も感じさせない余裕の生活をしており、現地で子供と遊んだり散歩をしたりして過ごしていました。

一方で警戒も怠っておらず、シカゴから部下を呼び寄せてボディーガードをさせています。また、当時のランシングはほかのギャングの犯罪に頭を悩ませていましたが、カポネがギャングを牽制したことでおとなしくなりました。

さらにカポネは貧困層への金銭的な支援を行ってランシングの人たちの心をつかみ、人気者になりました。カポネの人心掌握のうまさが垣間見えるエピソードです。

アル・カポネの人柄が分かるエピソード

Parent Father Holding - Free photo on Pixabay (352372)

凶悪な犯罪者という印象が強いカポネですが、一方で魅力ある人柄の持ち主でもありました。カポネの人柄が分かるエピソードを紹介します。

結婚後建設会社に就職

Child Family Love - Free photo on Pixabay (352379)

早くに学校をドロップアウトし、ギャングへの道を突き進んだと思われているカポネですが、実は堅気の仕事をしていた時期があります。

カポネは1918年に結婚しました。相手はメアリー・ジョセフ・カフリン(Mary Josephine Coughlin)というアイルランド系の女性です。メエという愛称で知られており、カポネが亡くなるまで共に過ごすことになります。

同じ年に息子のアルバート・フランシス・カポネ(Albert Francis Capone、ソニーという愛称で知られる)が生まれました。
Beard Business People - Free photo on Pixabay (352386)

カポネは結婚を機にギャングをやめ、生活を安定させるためにメリーランド州のボルチモアにある建設会社に就職しました。

建設会社では簿記を担当しており、スーツ姿で出勤して真面目に働きました。周囲のカポネに対する印象も非常に良かったと言われています。

退職後も恩師への感謝を忘れず

Handshake Hand Give - Free photo on Pixabay (352401)

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