2019年5月26日 更新

津山事件の詳細と都井睦雄の生い立ち!犯行の動機になった村の悪習

日本史上最悪の大量殺人事件、津山事件を知っていますか?「津山30人殺し」という言葉の方が有名かもしれません。今回は、たった1人で集落内の村人を30人も殺した犯人、都井睦雄の生い立ちと、「昭和の鬼熊事件」と報じられていた、戦慄の津山事件について紹介します。

新聞やラジオで大きく報道

Radio Old Tube - Free photo on Pixabay (329853)

事件後、新聞やラジオで各社が大きく取り上げた為、世間はこの小さな集落で起きた、恐怖の一夜を知ることになりました。当時の新聞には、被害者達の顔写真や、たくさん並んだ棺桶などの写真も掲載されています。

「呪われた猟銃兇火を吐き」「戦慄!30人殺し」など、どの新聞でも恐怖を煽る見出しが躍り、犯行の内容や睦雄の生い立ちなど、事件の経緯を発表しています。

昭和の「鬼熊事件」として号外が出る

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津山事件は、昭和の「鬼熊事件」として号外が出されるほどの騒ぎとなりました。「鬼熊事件」とは、千葉県にあった久賀村というところで起きた殺人事件のことです。

1926年(大正15)年8月20日、岩渕熊次郎という荷馬車引きの男が、手を出そうとしていた女含む、関係者の3人を殺害し、家に火をつけ、逃走中警察官にも傷を負わせて、山を逃走していましたが、最後は取材陣前で自殺したのです。

逃走中、「鬼熊」と呼ばれた熊次郎を、警察5万人を動員して山狩りをしていましたが、村人は熊次郎に同情的で匿ったり、嘘の証言をしたりして、中々捕まえることが出来なかったのです。1か月程の逃走劇は、連日報道され、「鬼熊狂恋の歌」という歌が出る程、こちらは犯人に人気が出てしまった事件でした。

夜這いの風習を強く批判

Angry Man Point Finger - Free photo on Pixabay (329983)

事件をきっかけに、夜這いの風習をマスコミは強く批判しました。そのせいか、田舎では事件後、夜這いの風習があったことを隠すようになります。

今の価値観で考えれば、どうしても批判的になるのは分かりますが、明治維新後は政府も西洋人にバカにされることを嫌い、銭湯の混浴を禁止したり、婦女子の貞操観念も厳しくしていったりと、性に対する大らかさをどんどん消そうとしていました。

その為、維新から50年近く経った昭和時代になれば、都会ではそのような思想がある程度染みつき、批判されてしまうことも仕方のないことだったのでしょう。

都井睦雄の犯行動機

Punch Fist Hand - Free photo on Pixabay (330009)

睦雄が犯行をする為に、準備や計画を念入りにしていたのは、当日の躊躇もない行動の仕方で分かりますが、最初の頃は決行日を決めていた訳ではありませんでした。

しかし、とあることがきっかけで、彼は犯行日時を決定したのです。ここでは、遺書から判明した都井睦雄の犯行動機を紹介します。

犯行のきっかけ

Raven Crow Night - Free image on Pixabay (330022)

睦雄が犯行を決めたきっかけは、隣の集落に嫁いでいた2人の娘が、里帰りすることが分かったからです。自殺する前に書いた遺書には、実名入りでそのことが記されています。

自分と関係のあったと書いていることから、どちらの娘も睦雄と身体の関係があったのでしょう。狭い村のことですし、睦雄はその里帰りする情報を聞いて、「この日にしようと思いついた」と書いていることからも、このことが事件のきっかけになったことが分かります。

犯行動機

Hand Fear Despair - Free photo on Pixabay (330055)

睦雄の犯行動機として考えられるものは多々あります。何か大きなことが1つあった訳ではなく、日々の積み重ねで恨みを募らせていったのです。

始めは中学進学出来なかった自分の環境、次に兵役検査での結果と肺病、そのことによる女達の夜這いの拒否。これらのことが積み重なり、犯行動機となっていきました。

祖母殺害の動機

Woman Old Senior - Free photo on Pixabay (330064)

遺書のところでも少し触れましたが、祖母を殺害した理由は、「後に残る不憫を考えて」と睦雄が書き残しています。そのことからも、自分が事件を犯して死んだ後、祖母に迷惑を掛けることになると考えたのでしょう。

その他にも、犯罪心理的に考えれば、最初の進学を止めた祖母への恨みや怒り、そして自立という心理もあったと考えられます。

津山事件後の村人たちや村の様子

Forest Fog Morning - Free photo on Pixabay (330076)

都井家の親族はどの家も襲われていなかった為、村人達からは村八分の扱いを受けたと言われています。貝塚集落の11軒もが被害に遭ったことを思えば、親族が恨まれるのも仕方ありません。

計画を知っていたのではないか?協力したのではないか?と、疑心暗鬼になる気持ちも理解できます。現代でも、事件を起こした犯人の家族や親族は批判を浴びるのですから、狭い村で逃げ場も無いこの状況は、今よりもっと酷かったでしょう。

都井の生家の取り壊し

Forest Fly Agaric Fog Moss - Free photo on Pixabay (330110)

睦雄が生まれた家は、実はわりと最近まで残されていました。廃屋ではありましたが、倉見地区にあった睦雄の生家は、2015年(平成27年)になってようやく取り壊されたのです。

ネットなどで見られる睦雄の生家は、あまり壊れておらず、ほぼ当時のままの姿で残されていたようです。そこには、祖母と睦雄の墓もありましたが、それも現在は取り壊されてしまいました。

当時の村人は1人も住んでいない

Nature Bulgaria Stara Planina - Free photo on Pixabay (330122)

事件後、貝塚の集落では引っ越した人も多く、事件からすでに80年程の時間も過ぎている為、当時の村人は1人も住んでいません。

2010年(平成22年)の時点で、貝塚の集落には13世帯37人と人口は確実に減っており、このまま誰も移住者が増えなければ、いつか消えてしまうのかもしれません。

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