目次
- 津山事件とは?
- 有名小説「八つ墓村」のモデル
- 津山事件の犯人「都井睦雄」
- 都井睦雄の生い立ち
- 姉に対する強い執着心
- 異常な性欲
- 結核が原因で村から孤立?!
- 都井睦雄の事件前の行動
- 凶器の入手
- 祖母の殺人未遂容疑
- 再度凶器を入手
- 事前に遺書を用意
- 津山事件の詳細
- 決行日前日に停電
- 約1時間半の犯行
- 津山事件の被害者
- 殺害方法詳細
- 一方で助かった人も
- 都井睦雄の事件後の行動
- 隣の集落で遺書を書く
- 遺書の内容
- 遺書には関係者の実名も
- 仙の城で自殺
- 当時の文化や村の風習
- 兵役
- 夜這い
- 事件当時の世間の反応
- 新聞やラジオで大きく報道
- 昭和の「鬼熊事件」として号外が出る
- 夜這いの風習を強く批判
- 都井睦雄の犯行動機
- 犯行のきっかけ
- 犯行動機
- 祖母殺害の動機
- 津山事件後の村人たちや村の様子
- 都井の生家の取り壊し
- 当時の村人は1人も住んでいない
- 70年後の取材で分かったこと
- 犯行の引き金となったのは当時の婚約者?!
- 元婚約者は社会から孤立
- 都井睦雄の姉のうどん屋
- 津山事件と類似する事件
- ワグナー事件
- 山口連続殺人放火事件
- 昭和最大級の大量事件
祖母の殺人未遂容疑
via pixabay.com
武器を集め出したある日のこと、睦雄は祖母の味噌汁に薬を入れるところを祖母に見られ、「孫に殺される!」と祖母は近所に助けを求めて逃げ込みました。
そのことがきっかけで、警察に訴えがあり、家宅捜索を受けることになったのです。睦雄は、祖母がいつも飲んでいる胃薬の「わかもと」だと訴えましたが、本当かどうかは分かっていません。
しかし、この時猟銃免許を取り消され、猟銃や日本刀など集めた武器を押収されてしまいました。
そのことがきっかけで、警察に訴えがあり、家宅捜索を受けることになったのです。睦雄は、祖母がいつも飲んでいる胃薬の「わかもと」だと訴えましたが、本当かどうかは分かっていません。
しかし、この時猟銃免許を取り消され、猟銃や日本刀など集めた武器を押収されてしまいました。
再度凶器を入手
via pixabay.com
祖母の殺人未遂事件で、大量の武器を押収された睦雄に対して、村人達は更に怒りと怖さから離れていき、睦雄は村人達の態度に、益々逆恨みの感情を増加させていきました。
彼は再び、猟銃や弾薬、日本刀などを知人を通じて手に入れ、武器を揃えていくのです。この頃、大阪に住む悪友に、「どうせ死ぬなら、阿部定に負けないほどの事をして死にたい」と呟いたと言います。
治らない結核や、男として受け入れて貰えない村の女達の態度と、お国の為にも役に立てない自分、全ての不満を解消出来ることもなく、恨みと後悔を募らせていたのでしょう。死なば諸共と、ヤケクソになっていたのかもしれません。
彼は再び、猟銃や弾薬、日本刀などを知人を通じて手に入れ、武器を揃えていくのです。この頃、大阪に住む悪友に、「どうせ死ぬなら、阿部定に負けないほどの事をして死にたい」と呟いたと言います。
治らない結核や、男として受け入れて貰えない村の女達の態度と、お国の為にも役に立てない自分、全ての不満を解消出来ることもなく、恨みと後悔を募らせていたのでしょう。死なば諸共と、ヤケクソになっていたのかもしれません。
事前に遺書を用意
via pixabay.com
睦雄は事件を起こす数日前に、姉宛にとても長い遺書を書いていました。その他にも、知人に遺書を書いていたようです。姉宛には、「大罪人になります」という言葉と、謝罪の言葉を残していたことから、殺人を計画していたことは間違いないでしょう。
しかし、この時点ではまだ、いつにするという明確な意志は固まっていなかったようです。後に、その理由を述べますが、最後に残された遺書に決行した理由が残されていたことから、最初の遺書の時点では日時を決めていた訳ではなかったことが読み取れるのです。
しかし、この時点ではまだ、いつにするという明確な意志は固まっていなかったようです。後に、その理由を述べますが、最後に残された遺書に決行した理由が残されていたことから、最初の遺書の時点では日時を決めていた訳ではなかったことが読み取れるのです。
津山事件の詳細
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睦雄が犯した、大量殺人事件。村人達を恐怖のどん底に陥れた、1938年(昭和13年)5月21日土曜日の深夜、彼は一体どのようにして村人達を襲ったのでしょうか?
睦雄は、事件の数日前に遺書を書いたあたりから、行動をある程度計画的に考えていたようで、隣村にある駐在所までの距離や、助けを呼ぶまでの時間なども計算していました。ではここで、事件の詳細を紹介していきます。
睦雄は、事件の数日前に遺書を書いたあたりから、行動をある程度計画的に考えていたようで、隣村にある駐在所までの距離や、助けを呼ぶまでの時間なども計算していました。ではここで、事件の詳細を紹介していきます。
決行日前日に停電
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睦雄は決行日を決めた前日、5月20日金曜日の夕方5時頃、送電線を自ら切断して集落の電気を停めてしまいました。実はこの送電線、たまに切れることがあり、村人達もとくに不審に思わずいたのです。
孤立していたとは言っても、話し掛けてくれる人達も多少残っており、電気がおかしくなると睦雄が直していたことから、この日も何人かが修理を依頼してきました。しかし睦雄は見たフリをして、これは自分では今直せそうもないから、明日電気屋に行くと答えています。
村人達もあっさり諦め、この日貝尾の集落は、真っ暗な夜を迎えることになったのです。
孤立していたとは言っても、話し掛けてくれる人達も多少残っており、電気がおかしくなると睦雄が直していたことから、この日も何人かが修理を依頼してきました。しかし睦雄は見たフリをして、これは自分では今直せそうもないから、明日電気屋に行くと答えています。
村人達もあっさり諦め、この日貝尾の集落は、真っ暗な夜を迎えることになったのです。
約1時間半の犯行
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睦雄は日が変わった21日の午前1時半頃、いよいよ犯行の為に準備を開始します。頭にハチマキを巻いて、そこに2本の懐中電灯を付け、詰襟の学生服に着替えました。首には自転車用のランプをぶら下げ、脚にはゲートルをしっかり巻いて、走りやすいように地下足袋を履いたのです。武器は9連発撃てるように改造した猟銃と、日本刀と匕首(あいくち)二振りを持ちました。
準備を終えた睦雄は、真っ先に寝ていた祖母の首を斧で飛ばして殺害、そのまま隣の家に行きその家の妻と子供3人を殺した後、次々と目的の家を襲撃していきました。被害者達は、ほとんどが女と子供で、睦雄に冷たくあしらったり、悪口を言ったと恨みを買っていた者達が射殺されていったのです。
命乞いをしても、殺された人と助かった人がおり、「悪口を言わなかったから堪えてやる」と言われていることから、睦雄は冷静に殺す人物を決めて行動していることが分かります。逆に、恨みを買った訳ではなく、恨んでいる家から嫁を貰ったというだけで、「こらえてつか~さい」と懇願する老婆は、至近距離から撃たれて亡くなっています。
準備を終えた睦雄は、真っ先に寝ていた祖母の首を斧で飛ばして殺害、そのまま隣の家に行きその家の妻と子供3人を殺した後、次々と目的の家を襲撃していきました。被害者達は、ほとんどが女と子供で、睦雄に冷たくあしらったり、悪口を言ったと恨みを買っていた者達が射殺されていったのです。
命乞いをしても、殺された人と助かった人がおり、「悪口を言わなかったから堪えてやる」と言われていることから、睦雄は冷静に殺す人物を決めて行動していることが分かります。逆に、恨みを買った訳ではなく、恨んでいる家から嫁を貰ったというだけで、「こらえてつか~さい」と懇願する老婆は、至近距離から撃たれて亡くなっています。
津山事件の被害者
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被害者は33人。その内、即死は28人で、重軽傷者のうち2人が翌日死亡して、最終的には11軒の家が襲われて30人死亡しました。
睦雄の祖母、隣の家のA家は妻、子供3人、次のB家は主人、妻、娘2人の一家全滅させ、続いてのC家は主人、妻、そして先程紹介した「気に食わない家から嫁を貰った」という理由で祖母、更に農作業の手伝いに来ていた親戚を含む4人を殺しました。
次にD家では、主人、妻、長男、五女、六女を殺害。四女は逃げ切り隣の家に避難できました。しかし、その家E家にも睦雄は乱入し、せっかく逃げ込んだD家の四女とE家の四女は負傷してしまいます。E家の娘は床下に隠れましたが、父は死亡。次に、F家では主人と母を殺しました。
睦雄の祖母、隣の家のA家は妻、子供3人、次のB家は主人、妻、娘2人の一家全滅させ、続いてのC家は主人、妻、そして先程紹介した「気に食わない家から嫁を貰った」という理由で祖母、更に農作業の手伝いに来ていた親戚を含む4人を殺しました。
次にD家では、主人、妻、長男、五女、六女を殺害。四女は逃げ切り隣の家に避難できました。しかし、その家E家にも睦雄は乱入し、せっかく逃げ込んだD家の四女とE家の四女は負傷してしまいます。E家の娘は床下に隠れましたが、父は死亡。次に、F家では主人と母を殺しました。
via pixabay.com
ここまでで、まだ誰も駐在所へと助けを求めには行けていません。すでに何人も殺されていますが、まだ6軒目なのです。次に睦雄が向かったのは、G家です。ここでは、妻と養蚕の手伝いに来た娘2人が殺され、恐怖でその場で動けなくなっていた主人は「悪口を言わなかった」からと見逃されました。
続いて睦雄は、H家にて主人の妹と母親を殺害、主人のHは逃げ出すことに成功し、この時ようやくこのHが駐在所まで助けを呼びに隣村に向かったのです。
睦雄はそのまま、次のI家でIの両親と妻、そして子供も殺して、その次のJ家では騒ぎを確認しようと窓から顔を出していたJの妻を殺害し、最後の11軒目であるK家ではK夫婦を殺して、ようやく彼は襲撃を止めました。
続いて睦雄は、H家にて主人の妹と母親を殺害、主人のHは逃げ出すことに成功し、この時ようやくこのHが駐在所まで助けを呼びに隣村に向かったのです。
睦雄はそのまま、次のI家でIの両親と妻、そして子供も殺して、その次のJ家では騒ぎを確認しようと窓から顔を出していたJの妻を殺害し、最後の11軒目であるK家ではK夫婦を殺して、ようやく彼は襲撃を止めました。
殺害方法詳細
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ほとんどが、改造した9連射出来るブローニング猟銃を使って、射殺されています。しかし、最初の祖母は斧、そしてA家では日本刀が使われています。
最初から銃を使うと、発砲音で気付かれて、計画が失敗することを恐れたため、最初は日本刀を使ったのでしょう。次のB家からはずっとブローニング猟銃を使って射殺を開始します。寝たまま死んだ者、気が付いた瞬間撃たれた者、様々でしたが、現場は血の海だったようです。
最初から銃を使うと、発砲音で気付かれて、計画が失敗することを恐れたため、最初は日本刀を使ったのでしょう。次のB家からはずっとブローニング猟銃を使って射殺を開始します。寝たまま死んだ者、気が付いた瞬間撃たれた者、様々でしたが、現場は血の海だったようです。
一方で助かった人も
via pixabay.com
事件当時、貝塚の集落には23世帯、111人住んでいたようなので、殺されていまった人達は一部の人達ではありましたが、1つの集落で30人も殺されてしまうような大量殺人事件は、今のところ日本ではありません。
襲撃された家で助かったのは、D家とE家の四女と、G家の主人、そして駐在所まで助けを求めに走ったH家の主人と、その場にいなかったJ家の主人の5人です。
襲撃された家で助かったのは、D家とE家の四女と、G家の主人、そして駐在所まで助けを求めに走ったH家の主人と、その場にいなかったJ家の主人の5人です。
都井睦雄の事件後の行動
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