目次
- いとをかしとは?
- 「いとをかし」の意味とは?
- いつの時代の言葉か?
- 「いとをかし」の表現が使われている作品
- こんな使い方もされた!?「をかし」の意味とは
- 興味深い 心惹かれる
- 趣がある 風情がある
- 美しい 優美だ
- 愛らしい
- すぐれている 見事だ 素晴らしい
- 滑稽だ 変だ 可笑しい
- 枕草子ではどのように使われた?「をかし」の例文
- 他にはどんな言葉があった?平安時代の言葉
- もののあはれ
- わろし
- めでたし
- つきづきし
- うつくし
- にくし
- したり顔なり
- をかしが多用される枕草子はどんな作品?
- 平安時代に書かれた随筆
- 日本で最も有名な古典文学のひとつ
- いとをかしが有名な表現
- 作者は中宮定子に使えた清少納言
- 同じ時代の作品に、紫式部「源氏物語」がある
- 枕草子とよく比較される源氏物語とは?
- 枕草子と同じ時代に書かれた長編小説
- 宮中の政治や恋愛模様がわかり、歴史的価値が高い
- 「もののあはれ」の世界観を表現されているとした
- 作者は中宮彰子に仕えた紫式部
- 枕草子と源氏物語はなぜ比較される?
- 同じ平安時代に書かれているから
- どちらも日本を代表する古典だから
- 作者の置かれていた立場が似ていたから
- 現代でも使う?「いとをかし」という言葉
- 「いとをかし」という言葉自体は現在にはない
- 使うことはなくても教養として知っている人は多い
- 「エモい」という言葉 同じ概念という意見も
- 教養を磨こう!平安時代に思いをはせて
それでは次に、同時代の紫式部の「源氏物語」についてみていきましょう。
枕草子と同じ時代に書かれた長編小説
紫式部は、清少納言と同じく受領階級の娘として生まれました。24,5歳のとき、20歳年上の藤原宣孝と結婚。幸せな結婚も宣孝の死によって二年余りで終わります。
こうした絶望の中で、紫式部は「源氏物語」を書き始めます。そして30歳を過ぎたころ、藤原道長の推薦により、道長の娘、中宮彰子に仕えるようになりました。
仕えたころは「源氏物語」を書き始めており、すでに才媛としての評判が高かったのです。
紫式部は970?~1019
清少納言は966~1025
二人はほぼ同世代の人間だったのですね。
こうした絶望の中で、紫式部は「源氏物語」を書き始めます。そして30歳を過ぎたころ、藤原道長の推薦により、道長の娘、中宮彰子に仕えるようになりました。
仕えたころは「源氏物語」を書き始めており、すでに才媛としての評判が高かったのです。
紫式部は970?~1019
清少納言は966~1025
二人はほぼ同世代の人間だったのですね。
宮中の政治や恋愛模様がわかり、歴史的価値が高い
「源氏物語」の主人公である光源氏のモデルは、藤原道長とも源高明ともいろいろな人物がモデルと推測されますが、あくまで紫式部の創作した人物と思っていいでしょう。当時の皇室を巡る、政治や人間模様、また、通い婚であったこととか、女性の家のほうが、夫の家に援助していたとの当時の風習や、また、香合とか、歌あわせ、琴の演奏など、当時の貴族の生活風景を知るための歴史的な資料としても価値があります。
「もののあはれ」の世界観を表現されているとした
源氏物語は「もののあはれ」の物語と言われています。
「もののあはれ」は無常観です。
どんなに光り輝く存在も、やがて衰退していきます。
「源氏物語」では、前半の若く美しい光源氏の、彼を取り巻く、多くの女性との恋の話。
光源氏の愛する紫の上の死。そして、若い妻、女三の宮の不義密通あたりから、光源氏の輝きには、かげりがみえてきます。自分を裏切った女三の宮をなかなか許せない光源氏(光源氏その人もかなり多くの女性を裏切ってますね?)、女三の宮に辛く当たるようになります。そして悩んだ女三の宮は出家しますが、かつてスーパースターで、どんな女性にも気配りが細やかで、非の打ちどころのなさそうに見えた光源氏の、内省力のない、人間的な欠陥も目立ってきます。
どんなアイドルにも人気の絶頂期があって、やがて衰退、転落していくことがあるでしょう?
そのように、完全な人間など誰一人いない、というところ、人は皆、変化していくものだということ。また、どんなに光り輝くものも、やがて光を失っていくというのが、「もののあはれ」です。
「もののあはれ」は無常観です。
どんなに光り輝く存在も、やがて衰退していきます。
「源氏物語」では、前半の若く美しい光源氏の、彼を取り巻く、多くの女性との恋の話。
光源氏の愛する紫の上の死。そして、若い妻、女三の宮の不義密通あたりから、光源氏の輝きには、かげりがみえてきます。自分を裏切った女三の宮をなかなか許せない光源氏(光源氏その人もかなり多くの女性を裏切ってますね?)、女三の宮に辛く当たるようになります。そして悩んだ女三の宮は出家しますが、かつてスーパースターで、どんな女性にも気配りが細やかで、非の打ちどころのなさそうに見えた光源氏の、内省力のない、人間的な欠陥も目立ってきます。
どんなアイドルにも人気の絶頂期があって、やがて衰退、転落していくことがあるでしょう?
そのように、完全な人間など誰一人いない、というところ、人は皆、変化していくものだということ。また、どんなに光り輝くものも、やがて光を失っていくというのが、「もののあはれ」です。
via pixabay.com
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば 藤原道長
これは、紫式部のサポーターでもあった、藤原道長の歌ですが、藤原氏もどんなに権勢を誇っても、やがて衰退していきますね?
・・・・いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ 「源氏物語」若紫
(とても幼くしていらっしゃるのが、どうしようもなく悲しく気がかりです)
幼い少女だった若紫もあっという間に成人し、やがて光源氏よりも先に亡くなってしまいます。その対象のはかなさを感じとって、しみじみ感動するのが「あはれ」であります。見るこちらも無常なのです、対象との一期一会の出会いだけに、(愛おしい)という感情も生まれますね。
「あはれ」は、枕草子の「いとをかし」に比べるとやや情緒的なものになります。「いとをかし」のほうがもっと対象を突き放したクールな感じです。それは「をかし」の語源、ルーツが「滑稽」にあるのと関係あるかもしれません。「滑稽」という感情は、その対象を突き放した醒めた視点から生まれるからです。
これは、紫式部のサポーターでもあった、藤原道長の歌ですが、藤原氏もどんなに権勢を誇っても、やがて衰退していきますね?
・・・・いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ 「源氏物語」若紫
(とても幼くしていらっしゃるのが、どうしようもなく悲しく気がかりです)
幼い少女だった若紫もあっという間に成人し、やがて光源氏よりも先に亡くなってしまいます。その対象のはかなさを感じとって、しみじみ感動するのが「あはれ」であります。見るこちらも無常なのです、対象との一期一会の出会いだけに、(愛おしい)という感情も生まれますね。
「あはれ」は、枕草子の「いとをかし」に比べるとやや情緒的なものになります。「いとをかし」のほうがもっと対象を突き放したクールな感じです。それは「をかし」の語源、ルーツが「滑稽」にあるのと関係あるかもしれません。「滑稽」という感情は、その対象を突き放した醒めた視点から生まれるからです。
via pixabay.com
「もののあはれ」は仏教の無常からきた、世界観といわれています。日本人独特の感性ともいわれていますが、フランスには「失われたときを求めて」のプルーストがいます。「源氏物語」とも比較されますね?「失われたときを求めて」では、ブルジョワの勃興により、衰退、没落していく貴族の生活が書かれています。ちなみに作者のプルーストが、貴族ではなく、紫式部と同じような中流階級出身というのも似ていますね。滅びゆく貴族に対して、客観的な視点を持つことができるからでしょう。
また、最近の「廃墟ブーム」なんかにも「もののあはれ」に近いものがありますね。美術だとフリードリッヒ、ユベール・ロベールが、そうした滅びてしまったものに美意識を感じて描いた絵が見られます。
「源氏物語」が素晴らしいのは、「もののあはれ」という普遍的な感性を描いたことにあるでしょう。
また、最近の「廃墟ブーム」なんかにも「もののあはれ」に近いものがありますね。美術だとフリードリッヒ、ユベール・ロベールが、そうした滅びてしまったものに美意識を感じて描いた絵が見られます。
「源氏物語」が素晴らしいのは、「もののあはれ」という普遍的な感性を描いたことにあるでしょう。
作者は中宮彰子に仕えた紫式部
紫式部の父は藤原為時。式部は兄弟とともに、父から漢籍の英才教育を施されました。父、為時から「男に生まれればよかった」といわれるほど、優秀な女性でした。
時の権勢である藤原道長に抜擢されたのも、すでに当時、紫式部は才媛として誉れ高かったからです。
紫式部は、藤原道長の娘、中宮彰子に仕えます。
中宮彰子は一条天皇に嫁ぎました。中宮彰子は文芸を好み、紫式部や和泉式部などと文芸サロンを開いていました。
時の権勢である藤原道長に抜擢されたのも、すでに当時、紫式部は才媛として誉れ高かったからです。
紫式部は、藤原道長の娘、中宮彰子に仕えます。
中宮彰子は一条天皇に嫁ぎました。中宮彰子は文芸を好み、紫式部や和泉式部などと文芸サロンを開いていました。
枕草子と源氏物語はなぜ比較される?
枕草子と源氏物語。清少納言と紫式部という同時代の二人の才媛。
比較されることの多い二人ですが、つぎには二人の比較についてみていきましょう。
比較されることの多い二人ですが、つぎには二人の比較についてみていきましょう。
同じ平安時代に書かれているから
via pixabay.com
なんといっても、平安時代という貴族の文化が栄えていた時代の感性を代表する「もののあはれ」「いとをかし」を文学として完成させたのはこの二人でしょう。
どちらも日本を代表する古典だから
via pixabay.com
そして「枕草子」「源氏物語」という、日本を代表する古典を生み出したのが、両方とも女性であるというのは注目すべきところです、
今から一千年以上も前に、こういった素晴らしい文学を生み出したのは女性なんです!
今から一千年以上も前に、こういった素晴らしい文学を生み出したのは女性なんです!
作者の置かれていた立場が似ていたから
また、二人とも高貴な身分の女性に仕えていた立場も似ていました。
清少納言の仕えていた、中宮定子のほうは父を亡くしてから、凋落した不遇の日々を送っていました。
「枕草子」の明るさは、不遇な定子を慰めようとする、清少納言の気持ちもあったのかもしれませんね。
清少納言の仕えていた、中宮定子のほうは父を亡くしてから、凋落した不遇の日々を送っていました。
「枕草子」の明るさは、不遇な定子を慰めようとする、清少納言の気持ちもあったのかもしれませんね。
現代でも使う?「いとをかし」という言葉
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