目次
付和雷同のメリット
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すぐさま相手に同調することで、事態の収拾や結論出しは早くなります。他にも相手への同意が多くなる事で、コミュニケーションが円滑になるのが付和雷同的であることの良い点でしょう。
人間たるもの、大半の人々は自分の考えや行動に共感してほしいもの。もし、あなたなら自分に「それでいいと思うよ」や「そのとおりだね」など、肯定的な事を言ってくれる人間には親しみが持てるはずです(よほど態度や語調が不自然でなければ、相手がただ何となく同調しているなんてわかりっこないのです)。
これを逆手に取るわけではないのですが、ある程度考え無しでも相手に同意してしまった方が自分も楽になりますし、波風が立つことなく相手との関係も進行していくでしょう。
向こうも話を否定せずに聞いてくれる人間を有難がるはず。人間同士の関係性を良好にする為の一つの考え方と捉えるのが、付和雷同的であることの利点です。
人間たるもの、大半の人々は自分の考えや行動に共感してほしいもの。もし、あなたなら自分に「それでいいと思うよ」や「そのとおりだね」など、肯定的な事を言ってくれる人間には親しみが持てるはずです(よほど態度や語調が不自然でなければ、相手がただ何となく同調しているなんてわかりっこないのです)。
これを逆手に取るわけではないのですが、ある程度考え無しでも相手に同意してしまった方が自分も楽になりますし、波風が立つことなく相手との関係も進行していくでしょう。
向こうも話を否定せずに聞いてくれる人間を有難がるはず。人間同士の関係性を良好にする為の一つの考え方と捉えるのが、付和雷同的であることの利点です。
付和雷同のデメリット
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ただし、自分の意志を持たずに他人に同調ばかりしていると、その浅はかなキャラクターがバレて人の信用を失う事が付和雷同のデメリットであると考えられます。
信用を失う事はかなり良くない事態でしょうが、そこまではいかなくとも誰にでも同調するという事で、人に良く思われたいだけの八方美人とも思われかねません。
つまり、何も考えないで人への肯定が過ぎてしまうと上記の様になってしまう恐れがあるのです。何事もバランス感覚でしょうが、これは先に述べたメリットと実は紙一重なのです。
付和雷同になりすぎてもダメで、かといって相手を即座に否定するのも考え物です。自分でその限度を見極める事が、実のところ一番難しいのではないでしょうか。
信用を失う事はかなり良くない事態でしょうが、そこまではいかなくとも誰にでも同調するという事で、人に良く思われたいだけの八方美人とも思われかねません。
つまり、何も考えないで人への肯定が過ぎてしまうと上記の様になってしまう恐れがあるのです。何事もバランス感覚でしょうが、これは先に述べたメリットと実は紙一重なのです。
付和雷同になりすぎてもダメで、かといって相手を即座に否定するのも考え物です。自分でその限度を見極める事が、実のところ一番難しいのではないでしょうか。
付和雷同が起こりやすいシチュエーション
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付和雷同は現代の様々な状況において、発生しやすい事象とも言えます。それは人に合わせがちで意志を前面に押し出す事を、あまりしない日本人の気質も原因として関係しています。
以下の三点は、日本人のそういう気質が強く表れた為に付和雷同が発生した例です。日本人全員が当てはまるとは断言出来ませんが、比較的解りやすいシーンを挙げてみました。
以下の三点は、日本人のそういう気質が強く表れた為に付和雷同が発生した例です。日本人全員が当てはまるとは断言出来ませんが、比較的解りやすいシーンを挙げてみました。
いじめ
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大変嫌な例ではありますが、特定の人に悪口を言ったり、いやがらせをしていたりする人間が居たとします。この悪口を言っている人間に付和雷同した別の人達が同調する事で、上記の特定の人は同調した人達からもいやがらせなどを受け、やがて大きな「いじめ」に発展する可能性があります。
これは付和雷同のデメリットの最たるものです。善悪すら解らず自分の頭で考えることさえやめてしまった人間達が、特定の人への悪口・いやがらせを常習化させることでよりタチが悪くなります。
警鐘として記述しますが、例えばあなたがいじめの大本となりそうな人間から「あの人ムカつくよね」など根拠のない同意を求められたとしても、モラルをもって毅然と対応してほしいです。あなたの軽はずみな同調が、やがて特定の人を深く傷つけることに発展しかねないからです。
これは付和雷同のデメリットの最たるものです。善悪すら解らず自分の頭で考えることさえやめてしまった人間達が、特定の人への悪口・いやがらせを常習化させることでよりタチが悪くなります。
警鐘として記述しますが、例えばあなたがいじめの大本となりそうな人間から「あの人ムカつくよね」など根拠のない同意を求められたとしても、モラルをもって毅然と対応してほしいです。あなたの軽はずみな同調が、やがて特定の人を深く傷つけることに発展しかねないからです。
SNS
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今では我々の生活に浸透しきっているSNSでも、付和雷同が起こり得ます。たとえばLineやFacebookなどで情報や近況の発信があるとします。不特定の他人が、こうしたSNS記事を閲覧した際はどういった事が起こっているでしょう?
たまたま良い評価が付いている投稿を見て「きっと良い情報なのだろう」または「みんながいいねと言っているからこれは良い発信だ」とよく調べたりもせず、他の同意・評価に乗っかってしまう事に対し付和雷同が起こったと言えます(もちろん内容の真偽や良し悪しなどは考えていません)。
果たしてその中の何割が、自分の頭でしっかり考えて同意や評価をしているのでしょう。なにもSNSの投稿全てを否定している訳ではありません。
あくまで自分で情報を掘り下げずに他人に同調してしまっている事が問題なのです。この事例は、手軽なネットワーク上で頻繁に起きている付和雷同の一例と言えるでしょう。
たまたま良い評価が付いている投稿を見て「きっと良い情報なのだろう」または「みんながいいねと言っているからこれは良い発信だ」とよく調べたりもせず、他の同意・評価に乗っかってしまう事に対し付和雷同が起こったと言えます(もちろん内容の真偽や良し悪しなどは考えていません)。
果たしてその中の何割が、自分の頭でしっかり考えて同意や評価をしているのでしょう。なにもSNSの投稿全てを否定している訳ではありません。
あくまで自分で情報を掘り下げずに他人に同調してしまっている事が問題なのです。この事例は、手軽なネットワーク上で頻繁に起きている付和雷同の一例と言えるでしょう。
討論会
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討論の場において、自分で考え判断することなく、発言者の主張や案などに安易に乗っかって良しとしてしまう場も多いことでしょう。
煩わしい場を早く終わらせたいという都合もあるかもしれませんが、これでは本来の正しい方向さえ定まらない上に、自分の意見すら発信する事なく討論の意味自体が薄れてしまう事でしょう。
もっともらしい主張に無心で乗ってしまうことは、そもそも討論の意味が無いのです。意見をぶつけ合う場として有意義にする為にも、付和雷同することなく勇気をもって「自分はこう思っている」と主張を重ねあうのが正しい形でしょう。
ただし本当に正しいことを相手が言っていると、本心から思った場合はその主張を尊重してあげることは大切です。
煩わしい場を早く終わらせたいという都合もあるかもしれませんが、これでは本来の正しい方向さえ定まらない上に、自分の意見すら発信する事なく討論の意味自体が薄れてしまう事でしょう。
もっともらしい主張に無心で乗ってしまうことは、そもそも討論の意味が無いのです。意見をぶつけ合う場として有意義にする為にも、付和雷同することなく勇気をもって「自分はこう思っている」と主張を重ねあうのが正しい形でしょう。
ただし本当に正しいことを相手が言っていると、本心から思った場合はその主張を尊重してあげることは大切です。
付和雷同に意味が似てる?混同されやすい言葉
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先に挙げた唯唯諾諾の様に、付和雷同に意味合いがとても似ている言葉が他にも存在します。以下の二点ですが、どちらも一般的に聞く事が多い言葉です。
ここで意味の確認とともに、それぞれの付和雷同との違いも記述します。
ここで意味の確認とともに、それぞれの付和雷同との違いも記述します。
優柔不断
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「優柔不断(ゆうじゅうふだん)」は物事の判断力が無く、どの選択をしたら良いかいつまでも迷っているといった意味となります。
何も考えず人の判断や考えを鵜呑みにして、すぐそれに合わせるという付和雷同的な考えとは違い、こちらは合わせるどころか物事をいつまでも決められないといった様子を表しています。
よって、物事を判断するスピードだけならば、付和雷同する人間の方が早いと言えます。一方で優柔不断な人間は、言い換えれば慎重という事でしょう。しかし、いつまでも答えを決めあぐねている頼りない部分がある為、どちらの考え方が良いかはそのケース次第といった所です。
もっとも、どちらに振り切っていても困る考え方同士ではあるので、似て非なる言葉ではありますがマイナスな面としては、共通の熟語と思っても良いでしょう。
何も考えず人の判断や考えを鵜呑みにして、すぐそれに合わせるという付和雷同的な考えとは違い、こちらは合わせるどころか物事をいつまでも決められないといった様子を表しています。
よって、物事を判断するスピードだけならば、付和雷同する人間の方が早いと言えます。一方で優柔不断な人間は、言い換えれば慎重という事でしょう。しかし、いつまでも答えを決めあぐねている頼りない部分がある為、どちらの考え方が良いかはそのケース次第といった所です。
もっとも、どちらに振り切っていても困る考え方同士ではあるので、似て非なる言葉ではありますがマイナスな面としては、共通の熟語と思っても良いでしょう。
他力本願
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「他力本願(たりきほんがん)」とは元は仏教用語なのですが、広く一般的な意味合いとしては「他人任せ」にする事です。つまり人の力ばかり当てにして、自分の力で物事を解決しようとしない意味合いの言葉となります。
付和雷同は自分で物事を考えないだけで、判断(または行動)をしない事ではありません。例え考え無しでも相手に合わせて、一応のリアクションはするのです。それに比べると他力本願は、最初から終わりまで他人に依存しきっているという事です。
言葉を比べた時の解釈は少し難しいですが、解りやすい言い方にしたとして、付和雷同は「あなたの考えが正しいので、それに従い行動・判断します」とするのに対し、他力本願の場合は「全部、あなたがなんとかしてください」と若干の丸投げ感がある言葉になります。
よって、二つともマイナスイメージの言葉とした場合、他力本願の方があまり好まれないのではないでしょうか。
付和雷同は自分で物事を考えないだけで、判断(または行動)をしない事ではありません。例え考え無しでも相手に合わせて、一応のリアクションはするのです。それに比べると他力本願は、最初から終わりまで他人に依存しきっているという事です。
言葉を比べた時の解釈は少し難しいですが、解りやすい言い方にしたとして、付和雷同は「あなたの考えが正しいので、それに従い行動・判断します」とするのに対し、他力本願の場合は「全部、あなたがなんとかしてください」と若干の丸投げ感がある言葉になります。
よって、二つともマイナスイメージの言葉とした場合、他力本願の方があまり好まれないのではないでしょうか。
時には付和雷同的な態度が必要なことも?!
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他人に対して「絶対に違う」または「自分はそう思わない」などと考えた人は数多くいる事でしょう。しかし日本人の遠慮しがちな気質を考えた場合、結局考えの相違があっても相手にすぐ同意してしまう事も多々あります。
これによりコミュニケーションを円滑に出来る可能性があるという事は、メリットの項においても記述しました。なのでもし現在、特定の相手と付和雷同の関係を重ねていても、その相手との距離は何もしないよりもグッと縮まるはず。
後々に気の置けない関係にまで発展したならば、その時に互いの考えを主張し合うのも良いでしょう。上手くいけばより関係が深まり、その相手とは本当の意味で一生の付き合いとなるかもしれません。
よって、付和雷同的である事は必ずしも悪い事では無く、仕事やプライベートで人と関わる場合(交友や恋愛でも)まずは親密な関係までたどり着くための「入口のカギ」として考えることも出来るはずなのです。
これによりコミュニケーションを円滑に出来る可能性があるという事は、メリットの項においても記述しました。なのでもし現在、特定の相手と付和雷同の関係を重ねていても、その相手との距離は何もしないよりもグッと縮まるはず。
後々に気の置けない関係にまで発展したならば、その時に互いの考えを主張し合うのも良いでしょう。上手くいけばより関係が深まり、その相手とは本当の意味で一生の付き合いとなるかもしれません。
よって、付和雷同的である事は必ずしも悪い事では無く、仕事やプライベートで人と関わる場合(交友や恋愛でも)まずは親密な関係までたどり着くための「入口のカギ」として考えることも出来るはずなのです。
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