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志操堅固
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「志操堅固(しそうけんご)」は自分の意志や主義主張を貫きとおし、それを堅く守り通す意味を持ちます。付和雷同の相手の考えや言葉の正誤など関係なく同調する意味に反し、こちらの言葉は自分の考え方をただ押し通すといったニュアンスの熟語となっています。
この志操堅固を人間に例えて、さらに解りやすくすると「頑固者」と言っても差し支えないでしょう。あなたの近くにも、こうした自分の考えを変えないで押し通してしまう頑固者はいるはず。
彼ら、または彼女らのこうした強固な意志をくつがえすのは大変難しい事です。これは、志操堅固の考え方を持つ人の特性なので仕方ない事ではありますが、少しはこちらの考え方も聞いてくれると有難いと感じる人は少なくないはずです。
この志操堅固を人間に例えて、さらに解りやすくすると「頑固者」と言っても差し支えないでしょう。あなたの近くにも、こうした自分の考えを変えないで押し通してしまう頑固者はいるはず。
彼ら、または彼女らのこうした強固な意志をくつがえすのは大変難しい事です。これは、志操堅固の考え方を持つ人の特性なので仕方ない事ではありますが、少しはこちらの考え方も聞いてくれると有難いと感じる人は少なくないはずです。
付和雷同の使い方例文
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付和雷同を、実際に使用する例をいくつか紹介します。ここで使用例を覚える事で、あなたの言葉のレパートリーが増える手助けになれば幸いです。
ケース①会社の会議
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付和雷同のスタンダードな使い方の一つとして、一般企業での会議のシーンで使われる場合を考えましょう。例えば会議中で、何かしらの案や意見の発言をしている人がいた場合です。
発言がもっともらしく聞こえるばかりに、その内容を自分で考え判断せずすぐ賛成してしまう人を指して、その人は「意見や発言にすぐ付和雷同する人」といった使い方が出来ます。
発言がもっともらしく聞こえるばかりに、その内容を自分で考え判断せずすぐ賛成してしまう人を指して、その人は「意見や発言にすぐ付和雷同する人」といった使い方が出来ます。
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これが人の意見や考えをあまり聞かず、同調するといった意味を持つ最たる例を表します。ただ、この付和雷同の解釈のしかたとしては人それぞれで変わってくるのです。
例えば会議が長引きそうで面倒になり、すぐ終わらせたいがためになんとなく賛成したり、意見を言った人に気を使って賛成したりなど、その人ごとに心理的な思惑が様々です。
しかし結局は、自分でしっかり考えて賛成をしていない事になるので、これらも「意見や発言にすぐ付和雷同する人」といった表現が当てはまるのです。
例えば会議が長引きそうで面倒になり、すぐ終わらせたいがためになんとなく賛成したり、意見を言った人に気を使って賛成したりなど、その人ごとに心理的な思惑が様々です。
しかし結局は、自分でしっかり考えて賛成をしていない事になるので、これらも「意見や発言にすぐ付和雷同する人」といった表現が当てはまるのです。
ケース②スポーツの判定
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野球やサッカーなどスポーツの際どい場面で、審判が判定しジャッジを下す状況は多く見られます。実はこんな状況にも「付和雷同する」という使い方が出来るのです。
例えば野球ですが、一見してアウトかセーフか素人目に見ても判断しかねる場合には、やはりプロの審判の判断が要になります。
例えば野球ですが、一見してアウトかセーフか素人目に見ても判断しかねる場合には、やはりプロの審判の判断が要になります。
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ここに落としどころがあるのですが、スポーツの審判というものはいわばゲームのルールを司っています。そんな人間が間違った判断をするとは中々考えづらいもの。
なのでその審判が下した判断は正しいものと思い込み、我々は自分の頭で考える事をやめて「あーやっぱりアウトか」と信じ、その後もゲームの進行を見守り続けます(もちろんスポーツには疑惑の判定も多いですが)。
これは、正しいか間違いかを自分の頭で判断することなく、そういうものだと信じ込んで、そのままゲームを見守るといった事に対し「判定や判断に付和雷同する」と表現出来るのです。
なのでその審判が下した判断は正しいものと思い込み、我々は自分の頭で考える事をやめて「あーやっぱりアウトか」と信じ、その後もゲームの進行を見守り続けます(もちろんスポーツには疑惑の判定も多いですが)。
これは、正しいか間違いかを自分の頭で判断することなく、そういうものだと信じ込んで、そのままゲームを見守るといった事に対し「判定や判断に付和雷同する」と表現出来るのです。
ケース③流行品の購入
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世の中で流行っているものだからといって、すぐ自分も取り入れてしまう。こんな例には「付和雷同的な考え」という表現が使用できます。
例えば、化粧品で新色のルージュが発売されたとします。のちにそのルージュが口コミで広まり、またたく間にヒット商品となりました。
そのルージュが段々気になってきたあなたは、本来なら買った人に使い心地を聞いたり、ネットのショッピングサイトで評価や、上記のように口コミを見た上で購入を決めるのではないでしょうか。
例えば、化粧品で新色のルージュが発売されたとします。のちにそのルージュが口コミで広まり、またたく間にヒット商品となりました。
そのルージュが段々気になってきたあなたは、本来なら買った人に使い心地を聞いたり、ネットのショッピングサイトで評価や、上記のように口コミを見た上で購入を決めるのではないでしょうか。
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しかし付和雷同的な考えを持つ人は違います。なまじ流行っているという事だけで、自分で詳しくリサーチもせずにすぐそのルージュを購入するのでしょう。
こういう人に対して「付和雷同的な考えで商品を買った人」と形容出来ます。要するに流行に流されやすいといった人の事です。商品などを購入する際にはこうした付和雷同的な考えにならず、良く調べてから購入したいものです。
こういう人に対して「付和雷同的な考えで商品を買った人」と形容出来ます。要するに流行に流されやすいといった人の事です。商品などを購入する際にはこうした付和雷同的な考えにならず、良く調べてから購入したいものです。
付和雷同を英語で表すと?
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付和雷同を英訳すると「Following blindly」となります。解りやすいように単語を分割してみましょう。Following(ファラウィング)はFollowの現在形で、意味は「以下・次に続く・従事…」などの形となり、blindly(ブラインドリィ)は副詞として使われ「盲目的に・闇雲に…」などといった意味になっている単語です。
よって、この二つの単語が合わさったものが「Following blindly」となり、これを日本語に直すとしたら「盲目的に従う」というニュアンスの言葉に出来るわけです。
これは、まさしく付和雷同そのものの考え方を指していると言えます。しかし、英語が絡むとなんとなく難しく感じ、敬遠しがちになってしまう事でしょう。ですので、付和雷同を英語の意味で覚えたい場合は、疑う事なく命令に従う人=イエスマンなんだな程度に考えられれば良いでしょう。
よって、この二つの単語が合わさったものが「Following blindly」となり、これを日本語に直すとしたら「盲目的に従う」というニュアンスの言葉に出来るわけです。
これは、まさしく付和雷同そのものの考え方を指していると言えます。しかし、英語が絡むとなんとなく難しく感じ、敬遠しがちになってしまう事でしょう。ですので、付和雷同を英語の意味で覚えたい場合は、疑う事なく命令に従う人=イエスマンなんだな程度に考えられれば良いでしょう。
付和雷同は日本人の国民性?
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日本人は自らの主張や意見を前面に出さない性質があります。良い言い方をするなら遠慮深いとも言えるでしょう。たとえば会話上の話ですが、心の底では相手を否定しているのに、相手の機嫌を損ねない様にとりあえず建前で「うん、そうだね」と同調してしまうケースなど、日本の社会ではそれほど珍しいことではありません。
とりわけ日本人は謙虚で礼儀正しい民族といったイメージがあります。こうした根っからの気質もあってか、相手との関係を良好に保つためにも、本来の意志とは裏腹な言葉でとりあえずの相槌を打ちます。
こういった事は、この国の会話においてシーンを選ばず大変多いのだと考えます。諸外国と比べると、付和雷同を体現しているのは我々日本人の気質が一番近いのではないでしょうか。
とりわけ日本人は謙虚で礼儀正しい民族といったイメージがあります。こうした根っからの気質もあってか、相手との関係を良好に保つためにも、本来の意志とは裏腹な言葉でとりあえずの相槌を打ちます。
こういった事は、この国の会話においてシーンを選ばず大変多いのだと考えます。諸外国と比べると、付和雷同を体現しているのは我々日本人の気質が一番近いのではないでしょうか。
付和雷同のメリットとデメリット
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言葉の意味には良し悪しが共存している事もしばしばあります。日常の行動においても、この付和雷同的な考えがさまざまな良悪を引き起こすきっかけとなっているのです。
以下でこの付和雷同的であることのメリット・デメリットを紹介しましょう。
以下でこの付和雷同的であることのメリット・デメリットを紹介しましょう。
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