目次
- 神戸連続児童殺傷事件の概要
- 別名「酒鬼薔薇事件」
- 神戸連続児童殺傷事件の詳細
- 第一の事件
- 第二の事件
- 第三の事件
- 男児の首と手紙が発見される
- 犯行声明文がきっかけで事件解決
- 犯行声明文詳細
- 正門に置かれていた声明文
- 事件後郵送された声明文
- 加害者の奇怪な行動
- なかなか死なない男児に腹を立てる
- 首を切断し射精
- 切断した首との会話
- 男児の血を飲む行為
- 首をじっくり観察
- 興味を失い家に持ち帰る
- 事件の真相は?真犯人は別にいる?!
- 正門に置かれた首の位置
- 科捜研の筆跡鑑定は完全一致ではなかった
- 別の不審者の目撃証言多数!
- 胴体発見場所に元々遺体はなかった?!
- 犯行声明文の切手にコーティング
- 真犯人=元警察官説
- 声明文に警察が手を加えた説
- 加害者の精神鑑定や犯行の動機は?
- 過去には動物虐待
- 精神鑑定について
- 犯行動機は
- 加害者のこれまでや現在
- 関東医療少年院に収容される
- 東北少年院へ移送
- 被害者や遺族側とは示談が成立
- 出所後「絶歌」を勝手に出版
- 名前を変えて整形手術も?!
- 加害者のこれまでの足取り
- 加害者の現在は?家族がいる?!
- 当時中学生の少年が起こした猟奇的な事件
神戸連続児童殺傷事件の概要
神戸連続事項殺傷事件とはいったいどのような事件だったのでしょうか。ここでは概要をみていきましょう。
神戸連続児童殺傷事件とは、1997年(平成9年)に神戸市須磨区で発生した当時中学生で14歳の少年が起こした連続殺傷事件の事です。数か月の間に同地区の複数の小学生が被害にあい2名が死亡、3名が重軽傷を負った痛ましい事件です。
非力な小学生ばかりを狙った卑劣な犯行であったこと、特に被害者男児の頭部が犯行声明文とともに中学校の正門前に置かれていたことは日本中を震撼させましたこのような猟奇的な殺傷事件を起した犯人がいわゆる普通の中学生であったは日本中に衝撃を与えました。
別名「酒鬼薔薇事件」
被害者の頭部と共に置かれていた犯行声明文や地元の新聞社に送られた犯行声明文では少年Aが酒鬼薔薇聖(さかきばらせいと)と名乗っていた事から別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれています。
神戸連続児童殺傷事件の詳細
では、神戸児童殺傷事件はどのように行われていったのか、詳細をみていきましょう。ここからは犯人である酒鬼薔薇聖斗を少年Aとします。
第一の事件
1997年(平成9年)2月10日午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で下校途中の小学生女児2人がゴム製のハンマーで殴打され1人が重傷を負う事件が発生しました。少年Aは中学校の制服を着用し、学生鞄を持っていたことを被害にあった女児に聞いた父親は、近隣の中学校に対し生徒の写真をみせてほしいと要望しますが、学校側は警察を通して欲しいと拒否しました。兵庫県警察に被害届を提出し生徒の写真の開示を再び要求しましたが、結局開示はされませんでした。
この事件は被害者家族の要望もあり、非公開とされていましたが、次々と事件が起こり第三の事件後少年Aが逮捕されこの事実が明らかになると学校側に対して「はじめにきちんと対応していれば次の事件は防げたのではないか」など非難の声があがりました。
第二の事件
1997年(平成9年)3月16日午後0時25分に神戸市須磨区竜が台にある公園付近にいた小学4年生の女児に「手を洗える場所はないか」と尋ね学校へ案内させました。その後「お礼を言いたいのでこっちを向いて」と言い振り返った女児を金槌の一種である八角玄翁で殴りつけそのまま逃走しました。発見された女児はすぐに病院へ搬送されましたが1週間後の1997年(平成9年)3月23日に脳挫傷で死亡となりました。
さらに、逃走途中の同日午後0時35分ごろには別の小学3年生女児の腹部を刃渡り13cmのナイフで刺しています。被害にあった女児は全治2週間の怪我を負い、手術の際には、1.8Lもの輸血を行いました。ナイフの刃先は胃を貫通し背中の静脈の一歩手前まで達していました。
第三の事件
1997年(平成9年)5月24日少年Aは殺人を犯したいという欲望をが湧きあがり、それを満たす事が出来る人間を探しに家を出ました。町内を自転車で約10分くらい走った後、多井畑小学校の北側の歩道を東から西へ自転車で移動していました。少年Aとは反対方向から1人で歩いてくる男児を偶然見つけました。少年Aは咄嗟にこの男児であれば自分よりも小さい為、殺すことができると思い声をかけます。
男児は少年Aと同じ地区に住む放射線科医師の次男で当時小学5年生の11歳でした。この男児は少年Aと同じ小学校内にある身体障害者の児童のための「なかよし学級」に在籍しており、少年Aの一番下の弟の同級生であったため少年Aとは顔見知りでした。男児は少年Aの自宅に遊びに来たこともありその際少年A宅で飼育していたカメに大変興味を持った事を知っていたため「あっちの山にカメがいたから一緒に観に行こう」と声をかけました。
少年Aは男児を地元ではタンク山と呼ばれている高台へと誘いました。チョコレート階段を登り山頂手前にあるケーブルテレビのアンテナ施設の入り口付近まで男児を連れて行きました。そして、その場で絞殺して遺体を隠しました。
男児の首と手紙が発見される
1997年(平成9年)5月27日未明、少年Aは午前1時頃から午前3時の間に、自宅の天井裏に保管していた男児の頭部が入ったカバンを自転車の前カゴに入れて、友が丘中学校の校門前に遺棄しました。初めは正門右側の塀の上に首を起きましたが、男児の首が手前の地面に落下してしまいます。そこで、地面なら据わりもいいだとろうと考え正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置き、犯行声明文を取り出し"酒鬼薔薇聖斗"の文字が見えるように縦に”酒”という文字の方を口にくわえさせました。
同日早朝に友が丘中学校の正門前で犯行声明文をくわえた男児の頭部が発見されました。記者会見で警察は犯行声明文を読み上げた後「酒鬼薔薇聖斗」を「さけ「おに」「ばら」と1文字ごと読みあげこの名前が何を意味するかは不明だと発表しました。
犯行声明文がきっかけで事件解決
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