2021年5月25日 更新

フリッツル事件の犯人の現在は?事件の動機と子供たちのその後も

最近ようやく毒親という言葉が知られるようになりましたが、今回紹介するフリッツル事件の犯人は父親です。しかしこの父親は、毒親を通り越してただの鬼畜な犯罪者と言えます。今回はフリッツル事件の全容と父親の動機、そして被害者である子供のその後と現在を紹介します。

目次

Bus Stop Waiting Public - Free photo on Pixabay (435607)

ジェイシー・リー・デュガード誘拐事件は、1991年(平成3年)6月10日(月)、当時11歳だったジェイシーが登校前のバス停で何者かに連れ去れた事件です。

アメリカで起きたこの連れ去り事件は、なんと18年経ってから被害者のジェイシーが発見されたのです。しかも、彼女は犯人の男との間に子供を2人産んでおり、更に男の経営する印刷会社でグラフィックデザイナーとして働いていました。

犯人はフィリップ・クレイク・ガリドーという麻薬中毒で、性犯罪者としても前科のある男です。この男と妻がジェイシーを拉致し、「ラン」と呼ばれる洗脳方法を使ってジェイシーさんは監禁されていた訳でもないのに、逃げ出すことが出来ませんでした。ちなみに「ラン」とは、麻薬と暴力を使う洗脳方法だったようです。

オーストラリア少女監禁事件

Auto Vehicle Dare - Free photo on Pixabay (435623)

オーストラリア少女監禁事件は、1998年(平成10年)3月2日(月)、オーストラリアのウィーンに住む当時10歳の少女が、何者かに車に連れ込まれ誘拐された事件です。

被害者の少女は、ナターシャ・カンプッシュ。彼女は犯人のヴォルフガング・プリクロピルという男の家にある、ガレージの下に作られた地下室に8年間監禁されていました。

最初の数年間、暴力と食事をあまり与えないなどして抵抗力を無くさせ、ナターシャが思春期になった頃から、強姦を始めたと言います。ナターシャが18歳になった頃、声を出さずヴォルフガングの側から離れなければ、外に出る事が出来るようになりました。そのような中で、隙が出来た時に逃げ出して助かることが出来たのです。

イギリスで娘2人を19回妊娠させた父親

Birth Child Female - Free vector graphic on Pixabay (435639)

この事件には名前は付いていません。レイプされ続けた娘2人に配慮され、被害者や加害者である実父の名前などの詳細は不明です。

イギリスで起きたこの事件は、2008年(平成20年)6月に被害者である娘たちからの通報で発覚しました。この娘2人は、1981年(昭和56年)から、週に3回ずつ、約27間もの長い間実の父親にレイプされ続けていたのです。その間、19回妊娠し、9人の子供を産まされました。

1998年(平成10年)頃、娘たちは児童相談所や、病院、ソーシャルワーカーに相談したのにも掛からず、警察の捜査は入ることがなかったと言います。この事件の父親は監禁していた訳ではないものの、抵抗すると殴る、蹴る、火傷をさせるなどの暴行を加えていました。現在父親は終身刑となり収監されています。

フリッツル事件は怪物が引き起こした事件!

Boy Child Cooperation - Free vector graphic on Pixabay (435643)

ヨーゼフ本人は「自分は怪物ではない」と主張していますが、自分の娘を24年間も地下に閉じ込め凌辱し続けるのは怪物の神経をしていないとできないことでしょう。今後、このような凄惨な事件が二度と起こらないことを祈るばかりです。

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