2021年5月25日 更新

フリッツル事件の犯人の現在は?事件の動機と子供たちのその後も

最近ようやく毒親という言葉が知られるようになりましたが、今回紹介するフリッツル事件の犯人は父親です。しかしこの父親は、毒親を通り越してただの鬼畜な犯罪者と言えます。今回はフリッツル事件の全容と父親の動機、そして被害者である子供のその後と現在を紹介します。

目次

Bathroom Dilapidated Disrepair - Free photo on Pixabay (432931)

ヨーゼフはまず、作業場とした部屋の本棚の裏に、隠しドアと狭い通路を作り、その後ろに貯蔵庫や寝室を2つ作ります。トイレや小さい風呂、洗面所設置して、ラジオ、テレビも置きました。

簡単な調理が出来るように、ホットプレートもあり、ベッドは寝室に2つずつ設置したようです。部屋を広げたと言っても55㎡で、各寝室は畳2~3畳分しかありません。高さは約170cm程度しかなく圧迫感がありました。

しかし、事件発覚後に発表された部屋のトイレ周辺には、エリーザベトが貼ったと思われる、カラフルな太陽や花などのシールや飾りがあり、子供達を少しでも楽しませようとしていた様子が窺えます。

隠し地下室の出入り口

Book Read Old - Free photo on Pixabay (432935)

ヨーゼフは、電気技師の資格も持っており、隠し地下室の出入り口には、電子ロックなども付けていました。エリーザベト達がいる奥の部屋までたどり着くまでには、少なくとも8つの鍵を開ける必要があったのです。

地下室には使っていないと思われる重さ500kgもある引き戸もありましたが、ヨーゼフしか知らない秘密の廊下も設置していました。

本棚の裏にある隠し扉は、暗証番号を入力するタイプの鍵が付いており、幅60cm程の通路を通り、更に鍵を開けなければエリーザベト達のいる部屋には入れません。鍵などは厳重でしたが、配線はかなり雑だったと言われています。実はヨーゼフは、この家で3度も失火を出しているのですが、もしかすると漏電が原因だったのかもしれません。

画像で環境の劣悪さが分かる

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そもそも違法に作られた隠し地下室ですから、換気などのシステムはありません。狭い地下の中で太陽の光も当たることのない場所は、湿気や結露がとてもひどい劣悪な環境でした。狭い場所に人が3~4人もいる上に、洗濯物やお風呂などで水を使えば、尚更湿度は高まったでしょう。中はカビの臭いがひどかったと言われています。

更に空気口も一か所しか無く、エリーザベト達がいた場所は酸素すら少なく、息苦しさを感じる程だったのです。事件後捜査に入った警察官も、呼吸がしづらかったと述べています。こうした環境は、フリッツル事件の詳細を伝えるサイトなどで画像が転載されているため、うかがい知ることができます。

フリッツル事件被害者のその後や現在

Beach Birds Dawn - Free photo on Pixabay (432982)

事件が発覚して、エリーザベト達が解放されてから2021年の時点で、すでに13年の時が流れています。今、彼女達が何処で何をしているかまでは分かりません。

エリーザベトが生きていれば50代です。監禁中の動きや、事件発覚後に娘のケルスティンを運び出し、病院に行けたことを思えば、ネットに出回っている骨と皮だけになった悲惨な写真は、エリーザベトの姿では無いと考えられます。

では、事件発覚後の被害者達はどのような状態だったのでしょうか?ここでは、フリッツル事件被害者のその後を紹介します。

その後のケルスティンの容態

Hospital Labor Delivery - Free photo on Pixabay (432985)

意識不明の重体で病院に運ばれてきたエリーザベトの長女、ケルスティンは1ヶ月半程意識が回復しませんでした。多臓器不全や腎不全の他にも、心因性の病気やてんかんなども持っていたのです。

しかし、2008年(平成20年)6月に意識が回復。8日(日)には、エリーザベト達家族と同じ病院に移動することが出来ました。その頃はまだ医療用のチューブなど付いたままでしたが、好きな音楽に合わせて腕を動かせるほどに回復したのです。

同年12月30日(火)の報道では、エリーザベトを含む家族全員が退院し、新しい生活を迎えたと伝えられたことから、ケルスティンも元気でいることでしょう。

監禁されていた4人の状態

Curtains Decoration Indoors - Free photo on Pixabay (434386)

監禁されていたのは、エリーザベトと長女ケルスティン、長男シュテファン、そして最後に生まれたフェリックスの4人です。フェリックスは、まだ5歳でしたし、18歳になっていたシュテファンも、思ったよりは悪い症状ではなかったと言われています。

しかし、4人とも長く太陽の光に当たっていなかった為、全員がビタミンD欠乏症に掛かっていたのです。更に、狭いところにいたせいで足も弱っていました。

治療は太陽の光が当たらないように配慮されていましたが、エリーザベトはビタミン剤の補給や、紫外線照射などの治療も医者に頼み、子供達を早く太陽に慣れさせるようにと望んだのです。

精神病院での治療

Computer Business Office - Free photo on Pixabay (434459)

監禁されていた4人は、身体の回復後の2009年(平成21年)3月から精神病院でも治療を再開しています。詳しい経緯は分かりませんが、パパラッチが自宅に侵入したという話や、かつて自分達の家だった場所から追い出されたという話もありますが、エリーザベトはその時パニックになり取り乱したと言われています。

子供達も、何故か青い色、携帯電話の音、枯れ葉の落ちる音に怯えたり、舌打ちをするような癖もありました。エリーザベトはそもそも、父親に監禁されレイプされていることもあり、心はボロボロだったでしょう。

オーストリア北部の村へ移住

Austria Riegersburg Styria - Free photo on Pixabay (434537)

父ヨーゼフの裁判が終わった2009年(平成21年)3月以降に、エリーザベトと子供達は、オーストリアの北部の村へと移住したと言われています。皆が静かに暮らせるように、場所は非公開でした。

長女のケルスティンは、入院中「好きなアーティストのコンサートに行きたい」と言っていましたし、長男のシュテファンは「家族皆で太陽を浴びて新鮮な空気を吸いたい」という希望を抱いていました。当時5歳だったフェリックスは、車が大好きで「自分で車を運転したい」と話していたのです。

うまく歩くことが出来ず、手をついて歩いてたシュテファンもすぐ回復して、退院する頃には笑顔で走り回るようになっていました。2021年時点で、皆が元気でいるのであれば、長女・長男もすでに32歳、シュテファンも18歳になっています。長く辛い監禁生活を終えたこの家族には、希望を叶え幸せに暮らしていることを望みます。

母ロゼマリアのその後

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エリーザベトも被害者ですが、母ロゼマリアも大きな心の傷を負ったと言えるでしょう。自分の夫が娘に子供を産ませていたことや、孫だと思っていた子供達が夫の子だったのです。

女として、そして妻や母、祖母としても複雑な心境を抱えたまま、最終的には1人離れた場所に住むことになりました。ロゼマリアが育てたエリーザベトの3人の子は、やはりすぐにはエリーザベトをママとは呼べずにいたこともあり、更にエリーザベトも母が父からの強姦を助けてくれなかったとも言っていたからです。

育てた3人の子はたまにロゼマリアの元を訪れていたようですが、結局ヨーゼフとは離婚し、エリーザベトとも上手く行かず、1人で暮らすことになりました。最後に彼女は「疲れた…」という言葉を残したと言われています。

エリーザベトの現在は?

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エリーザベトも発見された時には、42歳とは思えないほどシワや白髪も多く、年よりもかなり老けて見えたと言います。入院中は、「早く雨を肌に感じてみたい」という希望を持っていました。

娘時代の貴重な時間に地下室に閉じ込められた彼女は、恋も遊びも結婚も出来ず、唯一の支えは自分の子供達だったのでしょう。養子に出されていた子供達も取り戻したようです。

裁判なども終わり、ようやく身辺が落ち着いた2009年(平成21年)9月頃に、エリーザベトはボディーガードに付いていた男性と交際し、一緒に暮らし始めたという話もあります。

ヨーゼフの生い立ち

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