2021年5月25日 更新

フリッツル事件の犯人の現在は?事件の動機と子供たちのその後も

最近ようやく毒親という言葉が知られるようになりましたが、今回紹介するフリッツル事件の犯人は父親です。しかしこの父親は、毒親を通り越してただの鬼畜な犯罪者と言えます。今回はフリッツル事件の全容と父親の動機、そして被害者である子供のその後と現在を紹介します。

目次

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エリーザベトは1992年(平成4年)に、次女のリザを出産。この3人目の子供が生まれるまでの間も、ヨーゼフはエリーザベトを手伝わせながら、地下室の増築や改築を進めています。

しかし、まだ手狭だった為か、それとも慣れない育児に追われる娘を多少は考えたのか、ヨーゼフはこのリザをダンボールに入れて自宅の玄関に置きました。

リザが生後9か月頃になった時、エリーザベトが捨てて行った子だとヨーゼフは装い、妻のロゼマリアに話して自分の養子にしたのです。

モニカ

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1994年(平成6年)には、三女のモニカが生まれました。この時点で、長女ケルスティンは5歳、長男のシュテファンは4歳です。部屋が手狭になったのか、モニカが生まれた年に、ヨーゼフは地下室を35㎡から55㎡に拡張しています。

そのわりに、モニカが10ヶ月になった頃、またしてもヨーゼフは自宅の外に置き、捨て子を装ったのです。モニカを発見したという直後、ロゼマリアの元にエリーザベトから電話があり、「子供を頼みます」と告げたと言います。こうしてモニカもまた、養子となって育てられました。

ロゼマリアは娘からの電話後、違和感を覚えて警察に通報しています。失踪した娘からの電話ということもありますが、この電話番号は娘が知らない新しい番号だったことに驚いたのです。ちなみにこの電話は、事前にヨーゼフがエリーザベトの声を録音しておき、彼が掛けたと言われています。

アレクサンダー

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1996年(平成8年)、エリーザベトは今度は双子の男児を出産することになりました。この時エリーザベトも30歳になっていますが、病院も行かずに1人でよく出産出来たと感じます。

しかし、すでに5回目の出産とは言っても、初めての双子の出産で産後の処置に手間取ってしまったのです。そして、1人は生まれて3日目でこの世を去りました。

亡くなった子はヨーゼフがさっさと連れ出し、どこかのボイラーで焼いたのです。もう1人の子は、アレクサンダーと名付けられ、やはり捨て子と装って養子にされ地上で暮らしています。

フェリックス

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双子出産から少し離れた2002年(平成14年)、エリーザベトの最後の子供が誕生します。7番目で三男に当たる男児は、フェリックスと名付けられました。

この時点で、エリーザベトも36歳、ヨーゼフはもう67歳です。ヨーゼフの妻で、エリーザベトの母でもあるロゼマリアも、63歳になっていたのです。

ヨーゼフは、この子も今までのように養子にしようと考えていましたが、ロゼマリアの元にはすでに3人の子が養子に入っています。その頃リザは10歳、モニカは8歳、アレクサンダーは6歳とまだまだ手の掛かる年齢です。これ以上はロゼマリアも面倒を見れなさそうということで、最後に生まれたフェリックスは地下室で暮らすことになりました。

なぜ24年間も気づかれなかったのか

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自宅の地下室、そしてこの後詳しく説明しますが、実はフリッツル家は1階部分を貸し部屋や、テナントとして使用していました。

事件発覚後、妻のロゼマリアは地下室の状況や、娘が監禁されていたことなどを全く知らなかったと述べていますが、不自然な点もある為、もしかすると彼女も知っていたのではないか?という疑惑も持たれています。

しかし、世間には24年間も一切気付かれずにいました。何故、そんなに長い時間、誰もエリーザベトと子供達の存在に気が付かなかったのでしょう?ここでは、ヨーゼフがどのように犯行を隠していたかを解説していきます。

逃げないように脅していた

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そもそも、地下室は厳重に施錠されおり、エリーザベトが逃げようとするには、父親を殺すなり殴り飛ばして気絶でもさせない限り、隙は無かったと考えられます。

ましてエリーザベトは、小さい頃から父親に暴力を受けて育っており、間違いなく恐怖心を持っていたでしょう。その上途中からは、妊娠や出産の時期があったり、幼い子供がいたことから、逃げ出そうという気力も薄かったかもしれません。

ヨーゼフも、「逃げたらガスで殺す」「ドアに近づくと電気ショックで死ぬ」などの脅しや、彼女達が反抗したりすると数日電気を停めたり、食料を与えないなどの虐待もしていました。

地下室には妻も近寄れなかった

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ヨーゼフの妻は、本当に娘の監禁を知らなかったのでしょうか?事件発覚後、妻のロゼマリアは知らないと答え、ロゼマリアの妹は、妻(姉)を地下室に近づかせなかったという証言もしています。

ヨーゼフは、仕事だと偽って地下室に引き籠っていましたが、ロゼマリアにはその間、コーヒーを持っていくことも許されていなかったと言われています。

実はヨーゼフは、ロゼマリアと結婚した後に、2人の女性を強姦目的で襲い、懲役18ヶ月の実刑を受けています。結婚しているのによその女性を強姦するなどの行為や、娘にすら手を上げるような男です。ロゼマリアも当然、暴力を受けていたということが考えられるでしょう。近所の人達の噂では、ロゼマリアが大量の食材を買っていたという話もあり、少なくとも夫に逆らえる状況では無かったことが窺えます。

ヨーゼフのごまかし行為

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1995年(平成7年)頃、フリッツル家の1階にある部屋を借りていた1人が、床下から奇妙なノックの音や声が聴こえたと証言しています。不思議に思ったその人は、ヨーゼフに確認したところ、「ガス暖房の音だ」とごまかしています。

また、もう1人1990年(平成2年)から4年程部屋を借りていた人は、自分の部屋の電気代が異常に高いことに気が付きました。そのことで、地下室と自分の部屋の電気回線が繋がっているということを知ったようです。

電気代のことをヨーゼフに問い詰めたかは不明ですが、その後彼の飼っていた犬が、地下室の入口に向かって吠えていたことでヨーゼフに嫌がられ、部屋を退去してしまったのです。90年~95年だとすれば、エリーザベトにはすでに子供がいる頃なので、1人の時のような静けさは無かったでしょう。子供を守る為に、助けを求めるノックをしたのかもしれません。しかし、やはりどちらもヨーゼフに阻止されてしまいました。

ヨーゼフの地下室詳細!画像は残ってるの?

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元々ヨーゼフの家には、食糧庫としての狭い地下室はありましたが、エリーザベトを監禁する目的としか考えられないような時期から、彼はどんどん地下室を改造していきました。

のちに監禁しているエリーザベトも手伝わせた地下室は、一体どのようなものだったのでしょうか?監禁されているのですから、劣悪な環境には違いはないのですが、中を調べてみるとそこには小さいながらも、もう1つの家庭を作ろうとしていたかのような片鱗も見えます。

ここでは、ヨーゼフの地下室の詳細ついて紹介していきます。

ヨーゼフが違法に部屋を追加

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元々は食糧庫であった地下室を、ヨーゼフは核シェルターを作るとして改造を開始しました。その時は、2度も堂々と建築申請を出しています。

1983年(昭和58年)には、土地家屋調査士が確認し、違法ではないとお墨付きを貰っていますが、この時はまだ核シェルター兼、彼の作業場としての部屋しかありませんでした。

その後ヨーゼフは、コツコツと部屋を増やしていくのです。時期的には、4人目の子供であるモニカが生まれたことによって、部屋が狭くなると感じ、1994年(平成6年)頃に3つの小部屋を作りました。

隠し地下室の広さや内装

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