2021年5月25日 更新

フリッツル事件の犯人の現在は?事件の動機と子供たちのその後も

最近ようやく毒親という言葉が知られるようになりましたが、今回紹介するフリッツル事件の犯人は父親です。しかしこの父親は、毒親を通り越してただの鬼畜な犯罪者と言えます。今回はフリッツル事件の全容と父親の動機、そして被害者である子供のその後と現在を紹介します。

目次

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ケルスティンが病院に運ばれてきたあと、遅れてヨーゼフ・フリッツルが病院にやってきました。診察した医師は、その前にケルスティンの服の胸ポケットから、「助けて」と書かれたメモを発見していたと言われています。

不審に思った医師は、今までの病歴を知りたいと母親の所在をヨーゼフに尋ねたところ、「母親は行方不明なので分からない」などと答えたのです。ヨーゼフのそのような言動に矛盾を感じた医師は、21日(月)に警察に通報しました。

ヨーゼフの主張

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ケルスティンの胸ポケットに入っていた「助けて」のメモを見つけた医師は、ヨーゼフに母親の所在を聞きました。それに対し、ヨーゼフは「娘は子供を捨てた」「エリーザベトはカルト宗教に入った」などと話していたのです。

更に、今年(2008年)の1月にエリーザベトから手紙が届いたことや、エリーザベトが書いたノートが見つかったなども主張しました。そして、近々エリーザベトが戻ってくると決意したと、妻のロゼマリアにも話しています。

行方不明者として捜査

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母親が行方不明という情報を聞いて、医師が警察に通報した後、エリーザベトを行方不明者としての捜索が開始されました。医師は、警察と同時にテレビなどのマスコミにも情報を流し、彼女の情報提供も求めたのです。各社は翌日から、この話題で持ち切りになります。

エリーザベトと残されていた息子2人は、このニュースを地下室のテレビで観ていました。ケルスティンの胸ポケットに入っていたメモは、エリーザベトが書いたと言われているので、このニュースを知った時は娘の安否も確認し、自分達の存在を世に知らせることが出来たことを知って、どんなにか安堵したことでしょう。

エリーザベトと子供2人の解放

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警察がついにエリーザベトの捜索を開始したことや、テレビなどで大々的に報道されてしまったせいか、父親はエリーザベトと2人の息子を開放することにしました。

この辺りの状況は、ネットでも何通りかの説があり、どれが正確な情報かは分かりません。1つは、娘が突然帰ってきたとして、ケルスティンが入院した翌日の20日(日)に病院に連れてきたというもの。

そしてもう1つは、ニュースを見てケルスティンの容態を心配して、エリーザベトがヨーゼフに懇願して、26日(土)に病院に連れてきて貰ったというものです。何れにせよ、エリーザベトと2人の息子もようやく警察に保護され、地下室での長い暮らしから解放されました。

ヨーゼフの逮捕

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エリーザベトが保護されたのは、ケルスティンが最初に運ばれた病院ではなく、治療の為に移された別の病院の敷地内でした。

保護された後、それぞれが警察によって事情聴取されるのですが、エリーザベトは最初は何も話さなかったのです。彼女は事実を話した後で、父親に会うことに怯えていたようです。

父とこの先、一生会うことは無いという約束を警察が受け入れてから、ようやく今まで起きたことを話し始めました。ここで初めて、父親の恐るべき本性が暴かれることになり、ヨーゼフ・フリッツルは逮捕されたのです。

逮捕に踏み切った証拠はDNA鑑定

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エリーザベトが話した内容は、衝撃的なものでした。24年間にも亘る地下室での監禁、そして近親相姦による出産などを聴いた警察もさぞかし驚いたことでしょう。

普通の人間であれば、何故実の父親がそのようなことをするのか、全く理解出来るという人はほとんどいません。警察は、念の為に子供達のDNA検査をすることにしました。

その結果、エリーザベトの子供達の父親は、間違いなくヨーゼフ・フリッツルだということが判明したのです。これが監禁と近親相姦の証拠となり、警察はようやくヨーゼフの逮捕に踏み切ることが出来ました。

エリーザベトは最初は口を閉ざしていた

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先程も少し触れましたが、保護されてからのエリーザベトは、警察の事情聴取に対して詳しい話をしませんでした。この後自分達がどうなるのか、もし話したことが父親にバレたらという不安と恐怖があり、長い時間口を閉ざしていたのです。

この先、父親とは一生会うことは無いという確約が取れてから、ようやく少しずつ24年間にあったことを話し始めます。2時間掛けて彼女は、父親に監禁されたこと、長い間強姦されて子供を産んだことなどを警察に語りました。

強姦や出産など、いくら警察だとは言っても、見ず知らずの他人に女性としてはとても恥ずかしい状況を、エリーザベトはどのような気持ちで語っていたのでしょう。事情聴取は、保護された深夜まで掛かったのです。

監禁中にエリーザベトが産んだ子供たち

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エリーザベトが監禁されたのは18歳の頃です。その後、彼女は光の当たらない地下室で、7人もの子供を出産しています。流産も1度しているので、妊娠は8回もしていました。

その子供たちの父親は全て、エリーザベトの実の父親なのです。自分の子供でありながら、弟妹にも当たるという複雑な関係でも、エリーザベトは子供たちを可愛がっていたようです。

長女が意識を失った時、「助けて」というメモを入れたことや、病院に何とか駆け付けたことからも、エリーザベトの愛情が窺えます。ここでは、監禁中にエリーザベトが産んだ子供たちについて紹介します。

1人目

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監禁されて2年目近くの、1986年(昭和61年)11月。父親に犯されていたエリーザベトに、恐るべきことが起きます。ついに妊娠してしまったのです。

7人も子供がいたという事実からも、ヨーゼフ・フリッツルは、避妊もしていなかったということです。子供を産ませたりしているところを見れば、育てるという気持ちはあったのでしょう。

しかし、妊娠は人によって様々であり、その都度状況も変わります。時には母子共に命を落とすこともあるにもかかわらず、ヨーゼフはエリーザベトを1度も病院に連れて行きませんでした。最初の妊娠は、わずか10週目で流産することになるのです。状況や近親相姦を考えれば、ある意味幸いだっとも言えますが、流産の処置もきちんと出来てはいなかったでしょう。

ケルスティン・シュテファン

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流産して約3年後の1989年(平成元年)エリーザベトが23歳の時、事件発覚のきっかけを作ってくれたとも言うべき、長女のケルスティンが誕生しました。

そして、その翌年の1990年(平成2年)に、シュテファンと名付けられた長男が生まれます。年子ということは、出産後すぐにヨーゼフに犯されたということでしょう。

初めての妊娠、出産、育児は、夫や自分の母親、そして病院などの支えがある状況ですら、不安や恐怖心を感じる女性は多いのが普通です。エリーザベトはそれらを1人で耐え抜くしかありませんでした。この上の2人の子供は、この時からエリーザベトと共に地下室の中で育つことになるのです。

リザ

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