2019年4月3日 更新

足るを知ると説いた老子の教えとは?仏教や竜安寺との関係も

足るを知るは老子の説いた教えですが、これと同じような教えが仏教にもありました。今回は、この足るを知るについて、語源をはじめ、仏教や竜安寺の知足のつくばいとの関係について、さらにはミニマリストの生活についても考察していきます。竜安寺の見どころも紹介しますよ。

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広辞苑第6版によると、老子は、「中国春秋戦国時代にいたとされる思想家。道教の祖。史記によれば、姓は李、名は耳、字は聃(たん)または伯陽。…」と本人についての説明と、もう1つ、「老子の著書。2巻。宇宙の本体を大または道といい、現象界のものは相対的で、道は絶対的であるとし、…」といった解説がなされています。

これからも、「老子」というのは、道教の祖となる思想を説いた人物を表す言葉でもあると同時に、彼の残した書を表す言葉でもあるのがわかります。

広辞苑でいっているように、老子の本名は「李耳」。…といわれても、ピンときませんよね。そもそも「老子」というのは、当時、偉大な人物の呼称とされていたもので、これが老子の本名ではないのですね。老子自身が、この思想を説くにあたって、自分の名前を公にしたくなかった、という記録も残っているようですが、老子のその生涯は謎に包まれていて、未だに解明されていません。
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彼の教えは、後に道教の礎となり、後世では老子は道教の始祖といわれるようになります。果たしてそれが彼が望んていたことかどうかは定かではありません。

史実によれば、老子は周王朝に使えていたといわれています。そのときに、かの孔子も教えを乞うて老子のもとを訪れたという記録が残っています。孔子は、人に教えを乞うような人物ではありませんでした。しかし、当時のうわさに心を動かされたのか、老子にだけは、彼のもとにわざわざ足を運んで教えを乞います。

そのときに孔子が老子のもとにどのくらい滞在して、何を教わったか、は残念ながら、残っている記録からは推察できません。が、孔子が老子のもとを去って、自分の弟子たちにいった言葉は残っているようです。
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そのときに孔子が弟子たちにいった言葉は、次のようなものだといわれています。

「鳥がよく飛び、魚がよく泳ぎ、獣がよく走ることは私も知っている。走るものは網で捕えることができるし、泳ぐものは釣糸で釣ることができるし、飛ぶものは矢で捕えることができる。しかし、風雲に乗じて天に昇る龍は捕えることができない。今日、老子に会ったが、あたかも龍のような人物である」。(出典:https://ameblo.jp/jinieiki/entry-12029867955.html

一説には、このときに、孔子は老子に厳しく諭された、ともいわれています。老子と孔子の確執、どこにその真実があるのかは今となってはわかりませんが、大自然の中にとけこんであるがままに生きよ、という老子の教えと、世の中で人があるべき道を説く孔子の教えには、当時の世の中で生き抜いていくためには相入れないものがあったのだろと推測することはできます。

知足者富

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「知足者富」(老子33章):今回のテーマの言葉。「足るを知る者は富む」と読みます。この場合の「富む」は、すでに理解しておられるように、決して金銭的または物質的な豊かさを表している言葉ではありません。

老子は、この「知足者富」という語句で、今の境遇に不平不満を持たず、今のままで十分に満ち足りていることを知ることこそ、心富む者になる、といったことをいっているわけですが、その奥にもっと深い意味がこめられているのではないでしょうか。
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満ち足りた思いになるためには、何が必要でしょうか。朝起きて、今日も生かされている、と知ったときに湧き上がる気持ちは何でしょう。外に出て太陽の光を浴び、風に吹かれ、鳥の声を聞き、大きく深呼吸をするときに、湧き上がってくる気持ち…、それは「感謝」ではないでしょうか。

つまり、老子がこの「知足者富」という語句にこめた思いは、「感謝をすることを知りなさい。そうすると知足者富になりますよ」というものだったと考えられるのです。

知足不辱、知止不殆

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「知足不辱、知止不殆」(老子44章):「知足」がここでも登場しています、これは老子の言葉の中でもとても有名な名言で、「足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず」と読みます。

「足ることを知ると欲心に目がくらんでいろいろな災いに巻き込まれることもないし、それによって恥をかくこともない。また限度をわきまえてとどまることができれば危険な目に合うこともない」という意味です。

人間、足ることを知らないと、どんどん欲が出てきて、それで失敗して恥をかくことになります。また、もっともっと、と限度を知らずに突っ走るとどこかでつまずいてけがをするのがおちです。だから足ることを知り、とどまることも知りましょう、ということを老子はこの語句でいっているのですね。

自知者明

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「自知者明」(老子33章):「知足者富」と同じく、老子33章に出てくる言葉です。「自らを知る者を明とす」と読みます。老子はこの直前に「知人者智」(他人を知る者は智)、つまり「他人を理解するには智恵がいる」といっています。それに対しての「自らを知る者を明とす」です。

これは、「他人を理解するにはその人といろいろなことを話し合う必要がある。それには知識がいる。しかし自分自身を知らない者が他人を知ることなどできるのだろうか。まずは自分自身を知る、つまり自分の心の内側に光りを当てて内観をし悟りを得ることこそが必要なのだ」と解釈されます。

孔子は、論語の中で「言を知らざれば以て人を知ること無きなり」(語彙や知識が豊富でなければ人と話もできなければ理解することはできない)といって、知識を得ることの大切さを説いていますが、老子は、これに対する批判として「知人者智、自知者明」(他人を知るには智恵がいるだろうが、自分自身を知る悟りこそ大切なのだ)といったのだ、といわれています。

善勝敵者不與

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「善勝敵者不與」(老子68章):「善く敵に勝つ者は与(あらそ)わず」と読みます。これも老子の残した名言として有名です。老子の説いた「不争」の教えで、「上手く勝つ者は争わないものだ」という意味です。つまり「戦わずして勝つ」という教えです。

「むやみに相手にいどみかかって争いを起こし、力や人材や財力を失うよりも、受け身に回って相手の力をうまく利用した方が結果としては勝利につながる」と解釈されていますが、現代社会での生き方にも通用する教えだといえます。

仏教における「足るを知る」

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老子のこの「足るを知る」の教えは、仏教にもありました。釈尊はことあるごとに「足ることを知れ」と説いて回っていたといわれています。以下では、仏教に見られる、そういった「足るを知る」の教えについて考察していきます。

仏教は中国が始まり

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仏教の祖、ブッダはインド東部の菩提樹の下で悟りを開きました。その後、当時カースト制で苦しむ人々をその苦から救うために中道の教えを説いて回ります。弟子たちもできて、アショカ王をはじめとして当時のインドの王朝から手厚い保護を受け、急速に信者を増やしていきました。

しかしその仏教は、その発祥の地のインドに根付くことはありませんでした。理由としては、王朝が滅亡したこと、仏教の教えが民衆救済を目的とする大乗から、僧侶たちが自分たちの悟りを求めることに主眼を置いた小乗へと変わっていき、その救済力を失って民衆の心が離れていったこと、ヒンズー教が勢力をつけていったこと、イスラム教徒の迫害を受けたことなどがあげられます。

やがて仏教は仲国へ伝えられ、そこで中国仏教として発展していくことになります。日本に仏教が伝えられたのもインドからではなく中国からです。つまり、日本にとって仏教は中国がはじまりだったのです。

お釈迦様の説いた「小欲知足」

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お釈迦様が説いた教えは数多くありますが、その中に、老子の「知足」と類似している教えがあります。「小欲知足」というものです。これは、「あれもこれもと欲張らず、足ることを知れ」という意味の言葉です。

お釈迦様は、人間の苦は煩悩から起こる、として、心の三毒「貪・瞋・痴」を説いていました。これは「むさぼり・(自己中心的な)怒り・無知」という、人間の煩悩の中で最も根源的な三大煩悩を表す言葉です。この中の「貪」(むさぼり)をいましめるためにお釈迦様は「小欲知足」を説いていました。

人間は、物質的に豊かさを手に入れると、もっともっと、という欲に駆られてしまう生きものです。それがむさぼりの心です。そしてそのむさぼりの心があるがために、欲しいものが手に入れられないことで苦しむことになるわけです。この教えは、物があり余って無駄をたくさん生み出している現代のわたしたちにこそ必要とされる教えなのかもしれません。

竜安寺について

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