2019年4月3日 更新

足るを知ると説いた老子の教えとは?仏教や竜安寺との関係も

足るを知るは老子の説いた教えですが、これと同じような教えが仏教にもありました。今回は、この足るを知るについて、語源をはじめ、仏教や竜安寺の知足のつくばいとの関係について、さらにはミニマリストの生活についても考察していきます。竜安寺の見どころも紹介しますよ。

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竜安寺(正式には龍安寺、りょうあんじ)と聞いてすぐに思いうかべるのは石庭でしょう。しかし竜安寺は、もう1つ、「足るを知る」でも有名なお寺です。以下では、竜安寺というお寺と「足るを知る」との間にどういった関係があるのかを、見どころも含めて説明していきます。

竜安寺について

Lantern Iron Shade - Free photo on Pixabay (138414)

竜安寺は、京都市右京区にある禅寺で、室町時代1450年に細川勝元によって創建されました。方丈庭園の体をなす枯山水の石庭が有名で、1975年に来日した英国のエリザベス2世が訪れて絶賛したことで、世界的にも有名になり、1994年に世界文化遺産に指定されました。ここではまず、その竜安寺の石庭の魅力をご紹介します。

この石庭は、枯山水の庭、つまり、水と植木を使わずに、大小の石を使ってつくられた庭です。水の代わりに細かい石が使われていて。川や海などの水の流れを表しているとされています。この庭には、15個の石が5、2、3、2、3個ずつ配置されています。どうしてこのような配置にしたのかは、諸説入り乱れて伝えられていますが、いまだに真相は不明です。

主なものに、石群をつないでいくと「心」という字がうかび上がってくる「心の字説」、「最初の5つ+2つで七、次の3つ+2つで五、最後の3つで三」という「七五三説」、虎が子どもをくわえて川を渡っているように見えるという「虎の子渡し説」、石群を線でつなぐとカシオペア座のように見えるという「カシオペア座説」など全部で50以上の説が唱えられています。
Sand Pattern Wave - Free photo on Pixabay (138709)

「竜安寺の石庭ミステリー」などといった言葉がささやかれているように、どの説が正しいのかは不明です。ひょっとしたら、それこそが製作者の意図だったのかもしれません。ここでいろいろと解説するよりも、この石庭を眺めるそれぞれの人の想像力にゆだねるのがよさそうです。

そしてこの石庭の石の配置にはもっと不思議なしかけが施されています。どの角度から見ても、石はどれか1つが隠れてみえないようになっているというしかけです。昔から15という数字は、満月を十五夜と呼ぶように、完全を表す数字とされていました。それが1つ欠けて見えることで、この庭を眺める人はこのしかけから「足るを知る」の大切さを感じとるのではないか、といわれています。

これは、見えない1つの石の存在によって、その石、つまり足りないものを心の目で見つめることで、今自分がこの世にあることに感謝できるようになるだろう、と説いているのですね。これが、竜安寺の石庭が「足るを知る」につながっていると考えられる根拠です。

つくばいに刻まれた文字

Trough Stone Bowl - Free photo on Pixabay (138815)

竜安寺というと、どうしても石庭ばかりに目がいってしまいますが、実は竜安寺に行ったらぜひ見てほしいものがあります。つくばいです。このつくばいは、方丈の北東にある茶室のそばに置かれていて、「吾唯知足(われただ足るを知る)」という4文字が刻まれているために「知足のつくばい」と呼ばれています。

水穴を「口」という文字に見立てて、4つの漢字に使われている「口」に当たるようにと考案されたこのユニークなつくばいは、江戸時代に水戸藩主の徳川光圀が寄進したものだといわれています。

禅の「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という押し問答を表すためにデザインして彫られたものだそうですが、奇しくも老子の「知足者富」と同じ精神がここに彫られているということで、これを目当てに訪れる人も少なくないそうです。

徳川光圀について

Matsumoto Castle Japan - Free photo on Pixabay (138916)

では、竜安寺に「知足のつくばい」を寄進した徳川光圀という人物はどういう人だったのでしょう。なぜに竜安寺に「知足のつくばい」を贈ったのでしょう。

徳川光圀は、徳川家康の孫で、当時水戸藩主の徳川頼房の側室の子として生まれました。5歳で水戸城に入城し、9歳で元服します。少年時代は腕白で周囲の者を困らせたようですが、側近の教育によって18歳頃には自らを反省して言動を改めたそうです。第2代水戸藩主でした。

彼が藩主になって取り組んだことには、寺社改革や殉死の禁止などがあります。また、後年になってさまざまな文化事業を行いましたが、その代表となるものが、かの有名な「大日本史」の編纂事業です。
Books Library Education - Free photo on Pixabay (139488)

彼は、徳川家の長老として、当時の徳川綱吉の幕政にもかなりの影響力をもっていたといわれています。こういうこともあって、当時、お上の重圧に苦しんでいた民のために、講談や歌舞伎などで「水戸黄門」として徳川光圀は取り上げられていたようです。テレビなどでおなじみの水戸黄門がそれをよく語っています。

ですが、あの話は実際にあったものではなく、当時の講談や歌舞伎などの脚本として面白おかしく書かれていただけというのが本当のところのようで、徳川光圀自身が実際に訪れたのは、日光、鎌倉、金沢八景、房総などに限られている、という記録が残っています。また藩主、つまり為政者としては、文化事業に藩の財政をあまりにもつぎ込んだために、当時すでに苦しかった藩の財政をさらに悪化させたといわれています。

彼は儒学を奨励したそうです。どうやらそのあたりに、中国の老子の「知足者富」にちなんだ「知足のつくばい」を寄進したわけがありそうですね。

竜安寺を観光するならオススメの時期

Camellia Blossom Bloom - Free photo on Pixabay (139230)

竜安寺は、石庭も有名ですが、その美しい庭園も見どころの1つです。境内の南半分を占めるこの庭園は、鏡容池(きょうようち)を中心とした回廊式庭園となっていて、なかなか見ごたえがあります。四季折々の草花も植えられていていつ訪れても楽しめますが、特に、青葉若葉の頃と紅葉の頃のその美しさは言葉に表せないくらいです。

また、竜安寺で忘れてはならない見どころの1つに、「知足のつくばい」のそばに植えられている「侘助椿(わびすけつばき)」があります。昔、侘助という人が朝鮮から持って帰ってきたというこの椿は、日本最古のものといわれています。わびさびをその姿から醸し出しているこの椿は、3月上旬から4月上旬にかけて開花するとのこと。豊臣秀吉も絶賛したというこの侘助椿もひそかな人気を保っています。

■足るを知るミニマリストの生活

Wood Feet Floor - Free photo on Pixabay (139521)

「ミニマリスト」という言葉を耳にしたことはありますか?もともと、ミニマリストというのは、ブリタニカ国際大百科事典によると、「最小限綱領派と訳す。最小限度の要求を掲げる社会主義者の一派をいう。かつてロシア社会革命党内の妥協的な穏健分子がこう呼ばれた」そうです。

しかし現代の世の中で「ミニマリスト」は、断捨離という言葉と相まって、自分にとって何が大切かを見極め、そのために必要最小限のものだけで暮らす人のことをさす言葉になっています。

ではそのミニマリストは、その生活において、どのような特徴的な生き方をしているのでしょう。以下でそのことについて考察していきます。
Rustic Table Wooden - Free photo on Pixabay (139855)

今ある幸せを噛みしめる

Little Girl Wildflowers Meadow - Free photo on Pixabay (140302)

ミニマリストの生き方の根本にあるのがこの「今ある幸せを噛みしめる」気持ちです。朝目が覚めたとき、食事の支度をしているとき、コーヒーを口にふくんだとき、外に出て大地を踏みしめたとき、お風呂につかったとき、夜布団の中に入ったとき…、すべてが今こうして生きているからこそ味わえる幸せだ、と思う気持ちです。

つまり、ミニマリストは、生きていること自体への感謝をすべての根源に置いているということです。今あること=生きているからこそ、いろいろなことができるしいろいろなことを感じることができます。これぞ、まさしく、老子のいう「知足者富」ではないでしょうか。

不幸なことは考えない

Soap Bubbles Fun - Free photo on Pixabay (140380)

ミニマリストの特徴として、「不幸なことは考えない」というのがあります。ミニマリストにとって大切なことは、自分にとって必要なものに囲まれているということです。つまり、幸せなこと、幸せな気持ちにしてくれるものに囲まれていることです。

そう考えると、ミニマリストにとって不幸なことは不要なことになります。そのために不幸なことは考えない、という概念ができあがったと考えられます。

楽しかったことを再びやる

Girl Swing Rocking - Free photo on Pixabay (140447)

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