2019年8月8日 更新

後妻業の女と呼ばれた筧千佐子とは?生い立ちや現在の様子も

後妻業の女と呼ばれた筧千佐子は関西青酸連続死事件を起こした人物です。結婚して子供を産んだ後に夫が亡くなったことで人生が狂い始めました。多くの男性を誘惑する程のテクニックを持ち、遺産を相続させた筧千佐子の生い立ちや判決、現在の様子について解説します。

目次

関西青酸連続死事件を起こした筧千佐子

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関西青酸連続死事件とは2007年から2013年にかけて、高齢の男性が青酸化合物で殺害された事件です。逮捕されたのは殺害されたそれぞれの男性と交際や結婚をしていた筧千佐子でした。

筧千佐子は男性を夢中にさせるテクニックを駆使して複数の高齢男性と交際し、多額の遺産を相続させていました。生い立ちや事件の概要、裁判の判決、被害者の男性について解説していきます。

小説の後妻業と事件の内容が酷似しているとして当時の世間を賑わせた事件としても有名であるため、小説の内容と似ている点についてもご紹介します。ただし小説のモデルは別にいて事件と小説は関係ありません。

筧千佐子の生い立ち

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筧千佐子は福岡県の進学校出身ですが、大学へは進学せずに銀行に就職しました。その後結婚して、子どもを授かるまでは順調に過ごしていたものの夫を病気で亡くしてから人生の歯車が狂い始めます。

営んでいた印刷工場を廃業して借金を背負うことになり後妻業に手を出すようになるのです。順調に見えた人生から転落して借金を抱えたことに堪えられず、後妻業でお金を賄おうとしたのでしょう。

夫の親族から差別的な扱いを受けてプライドを傷つけられたことも関係していると言われています。まずは筧千佐子の生い立ちを見ていきましょう。

福岡県の進学校出身

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筧千佐子は1946年に佐賀県で生まれ、福岡県立東筑高校へ進学しました。東筑高校の偏差値は70とも言われていて毎年京都大学や東京大学への進学者を出す九州では有名な名門校です。

有名な卒業生には高倉健さんがいます。高校の成績が優秀だったため、教師からは国立大学進学を進められていました。本人も大学進学を望んでいましたが両親に反対されて進学を断念せざるを得ませんでした。

進学を諦めた筧千佐子は銀行へ就職する道を選ぶことになります。

大学進学を断念して銀行に就職

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大学進学を断念した後は北九州市内の都市銀行に就職しました。結婚するまでの6年間は普通の銀行員として働いていましたが最初の夫と出会い結婚を決めたことで退職をしています。

筧千佐子は母親が未婚だったこともあり出産してすぐに養子に出されています。養子先の父親はとても厳しく、大学進学を望んだ際にも「女に大学進学は必要ない」と猛反対しました。

筧千佐子は最初の夫と旅行先の鹿児島県で出会いましたが当時トラックの運転手をしていた夫を父親に紹介した時も交際を反対されています。

結婚して子どもが2人生まれる

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大阪府に住んでいた夫とは遠距離恋愛をしていましたが交際を反対されたこともあり、1969年に2人は駆け落ち同然で結婚をします。結婚後は夫の出身地である大阪府貝塚市で生活を始めるとともに印刷業をスタートさせました。

1970年に長男、1971年に長女が誕生しています。印刷業を始めましたが中々軌道に乗らず経営は厳しい状態でした。安価な中国製品に影響を受けたと言われています。

金銭的に余裕がなく自転車操業をしている最中の1994年に夫が病気で亡くなりました。

夫を病気で亡くす

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夫は心臓病を患っていて入院していましたが、一時帰宅をした晩に自宅で亡くなりました。筧千佐子が48歳の時でした。夫の死後は印刷業を引き継ぎなんとか経営を立て直そうとします。

しかし資金繰りに苦労して2001年に廃業しました。経営を立て直そうとして実家や夫の親戚からお金を借りていたこともあり借金だけが膨らんでいく状態だったのです。

借金の額は3000万円にもなり、筧千佐子一人では到底返済できない額となってしまいます。

営んでいた印刷工場を廃業して借金を背負う

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2001年に廃業した後は担保になっていた自宅が競売にかけられました。多額の負債も抱えることになり、FXや不動産投資で借金を返済しようともがいていたと言います。

そしてこの時期に後妻業も始めるようになりました。複数の結婚相談所に登録をして資産家の男性や高齢者の男性にターゲットを絞り遺産を手に入れていくのです。

借金を返済するためのお金を得るはずが、実際はFXや不動産投資でほとんど溶かしてしまい逮捕されるまで借金を抱えたままでした。

夫の親族から差別的な扱いを受ける

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筧千佐子は夫の親族との関係が良好ではありませんでした。親族からは差別的な扱いを受けていたこともあり、「北九州は近代産業発展の中心になった八幡製鉄所がある地域。そこの出身者が、なんでこんな田舎の人に馬鹿にされなならんの?」と口にしていました。

早く借金を返済することが屈辱を晴らすために必要なことであったことから、後妻業に手を出していったのではないかと見られています。

プライドが高く親族から差別的な扱いをされたことが我慢できなかったのでしょう。結婚相談所で知り合った男性たちには有名高校出身であることや銀行に勤めていたことを強くアピールしていたようです。

筧千佐子が起こした関西青酸連続死事件の概要

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筧千佐子が起こした関西青酸連続死事件は、2013年に死亡した男性から青酸化合物が検出されたことで発覚しました。夫や恋人から合計して数億円の遺産を相続していたことがわかったのです。

多額の遺産を相続していたにもかかわらず逮捕時には借金があり夫の死亡後も複数人と交際していたことから、お金に溺れていたことがよくわかります。

なぜ多数の死者を出すまで周囲が気づかなかったのかは筧千佐子のターゲットの絞り方が影響しているでしょう。関西青酸連続死事件の概要を見ていきます。

2013年に死亡した男性から青酸化合物が検出されて事件発覚

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