目次
- 好きの反対は無関心は元ネタがある
- 好きの反対は無関心の元ネタは?
- マザー・テレサ論
- エリ・ヴィーゼル論
- 人は嫌いから入ると好きになりやすい
- 嫌いから入るとハードルが下がる
- 嫌いだとつい目で追ってしまう
- 嫌いと思ううちに頭から離れなくなる
- 好きだからこそ嫌いになることもある
- 嫌いな人はどうでも良い
- 無関心の場合の感情の動き
- 好きにもならない
- 嫌いにもならない
- どうでも良い存在
- 好きか嫌いかさえ考えない全くの他人
- 無関心とは?
- 気にしない
- 見もしない
- 害がなければ何でも良い
- 空気のような存在
- 考える時間が数秒もない
- 全く関係のない存在
- 好きの反対は無関心を矛盾とさせる考え方
- 無関心の反対は好きではない
- 嫌いの反対は好き
- 無関心な人はそもそも好き嫌いの土俵にいない
- 好きの反対は無関心に関しての肯定意見
- 興味を持たれていないのは嫌いよりもキツイ
- 嫌いと好きは紙一重
- 無関心は嫌いの最上級
- 嫌いを通りこしてどうでも良い存在という意味
- 無関心だと何をしても好きにならない
- 好きの反対は無関心に関しての反対意見
- 無関心ならまだ良い方
- 嫌い以上のものはない
- 無関心は曖昧な立ち位置
- 愛の反対は憎しみだから無関心ではない
- 無関心にすると嫌いが薄くなる
- 「好きの反対は無関心」論争は終わらない
今まで仲の良かった友達と、ふとしたことで仲違いしてしまったという経験は多かれ少なかれ誰もが持っているものでしょう。そうした経験をした直後は、その友達のことを「昔は良かったのに」「変わってしまった」「〇〇なところが嫌い」だと色々と考えてしまいがちですが、時間の経過と共に徐々に忘れて過去の人になってしまうこともあるのではないでしょうか。
こうした経験のことを考えると、嫌いと無関心は決して違う存在ではなく、嫌いの延長線上や最上級の感情として「無関心」が存在していると考えることもできます。
こうした経験のことを考えると、嫌いと無関心は決して違う存在ではなく、嫌いの延長線上や最上級の感情として「無関心」が存在していると考えることもできます。
嫌いを通りこしてどうでも良い存在という意味
via pixabay.com
同様に、嫌いになった当初はその人のことを目で追っては「〇〇なところさえなければ仲直りしてあげても良い」と考えることもあるでしょう。自己嫌悪して「私にも〇〇という悪いところがあったかもしれない」と考えることもあるかもしれません。
しかし、それも時が経って相手となかなか会えない環境になったり、自分の生活が結婚や就職などで大きく変わることで、次第に相手は「どうでも良い存在」になっていきます。こうした心境を指して「好きの反対は無関心」という説が正しいと主張する人もいます。
しかし、それも時が経って相手となかなか会えない環境になったり、自分の生活が結婚や就職などで大きく変わることで、次第に相手は「どうでも良い存在」になっていきます。こうした心境を指して「好きの反対は無関心」という説が正しいと主張する人もいます。
無関心だと何をしても好きにならない
via pixabay.com
店で見かけるだけの人が誰かに親切にしているのを見ても、その人のことを大好きだと思う人はめったにいないでしょう。せいぜい「あの人は親切だな」という印象を抱いても、次の瞬間には違うことを考えてしまっている人が多いのではないでしょうか。
無関心な存在はそれと同じで、どれほど良いことをしても自分とは別の世界に存在している人のような気持ちを抱いている人も珍しくはありません。どんなに良いことをしても、好きになることがない存在という意味で「好きの反対は無関心」という言葉を使う人もいます。
無関心な存在はそれと同じで、どれほど良いことをしても自分とは別の世界に存在している人のような気持ちを抱いている人も珍しくはありません。どんなに良いことをしても、好きになることがない存在という意味で「好きの反対は無関心」という言葉を使う人もいます。
好きの反対は無関心に関しての反対意見
via pixabay.com
「好きの反対は無関心」という意見を肯定する人もいれば、一方で「好きの反対は無関心」という言葉の矛盾点を指摘して否定的にとらえているという人も少なくはありません。
「好きの反対は無関心」自体が有名な言葉なので、良くも悪くも様々な意見を持っている人もいます。では「好きの反対は無関心」に対して反対の立場を取る人はどのような意見を持っているのでしょうか。5つの意見を紹介していきます。
「好きの反対は無関心」自体が有名な言葉なので、良くも悪くも様々な意見を持っている人もいます。では「好きの反対は無関心」に対して反対の立場を取る人はどのような意見を持っているのでしょうか。5つの意見を紹介していきます。
無関心ならまだ良い方
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「好きの反対は無関心」という言葉を聞くと「嫌われてもまだ大丈夫で、無関心になられるのが一番嫌だ」という印象を抱くでしょう。しかし「好きの反対は無関心」に反対する人たちにとっては「無関心」ならまだ挽回のチャンスはある良い感情だという認識になります。
「無関心」以上に嫌われると憎しみを抱かれたり、その人の行動全てを邪魔してくることもあるでしょう。逆に無関心にしてもらえることで、悪い印象を抱かれることもなく邪魔されることもないというのはある意味では幸福なことかもしれません。
そのため、無関心に思われるのは相手から蛇蝎のごとく嫌われていないという良い状態だと考えることもできます。
「無関心」以上に嫌われると憎しみを抱かれたり、その人の行動全てを邪魔してくることもあるでしょう。逆に無関心にしてもらえることで、悪い印象を抱かれることもなく邪魔されることもないというのはある意味では幸福なことかもしれません。
そのため、無関心に思われるのは相手から蛇蝎のごとく嫌われていないという良い状態だと考えることもできます。
嫌い以上のものはない
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「好きの反対は無関心」に否定的な考え方をしている人たちの中には「好きの反対は嫌い」という意見を支持する」人が多いと言われています。「嫌い」という感情が人間関係において一番困るもので、無関心はまだその域まで到達していないというのがその人たちの主張です。
「無関心」な人の場合は良いことをしても印象に残ることもなく良い感情を抱かれることもありませんが、「嫌い」な人の場合は良いことをしても「裏がある」や「偽善」だと思われて、せっかくの善行でも悪い印書を抱かれてしまうこともあります。
そのため「好きの反対は無関心」ではなく「何をやっても嫌われる可能性があり、挽回のチャンスもない嫌いという感情が好きの真逆」という考え方になります。
「無関心」な人の場合は良いことをしても印象に残ることもなく良い感情を抱かれることもありませんが、「嫌い」な人の場合は良いことをしても「裏がある」や「偽善」だと思われて、せっかくの善行でも悪い印書を抱かれてしまうこともあります。
そのため「好きの反対は無関心」ではなく「何をやっても嫌われる可能性があり、挽回のチャンスもない嫌いという感情が好きの真逆」という考え方になります。
無関心は曖昧な立ち位置
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確かに「無関心」という感情を抱かれてしまうと、無関係ない相手だと認識されて悪い感情を抱かれることもない代わりに良い感情を抱かれることもなく、どうでも良い存在だと認識されてしまうでしょう。しかし、裏を返せば「無関心」は強烈な印象を残すことができれば良い感情を抱かれることも悪い感情を抱かれることも可能な、曖昧な立ち位置にいるとも言えます。
「好き」という感情も「嫌い」という感情も相手に対する好悪がはっきりと判断される非常に分かりやすい感情です。それに対して「無関心」は前述のように曖昧な感情でしかありません。
そのため、そういった曖昧な感情でしかない「無関心」では「好き」という感情の正反対の立ち位置には立てません。「好きの反対は嫌い」の方が分かりやすく自然であると主張する人もいます。
「好き」という感情も「嫌い」という感情も相手に対する好悪がはっきりと判断される非常に分かりやすい感情です。それに対して「無関心」は前述のように曖昧な感情でしかありません。
そのため、そういった曖昧な感情でしかない「無関心」では「好き」という感情の正反対の立ち位置には立てません。「好きの反対は嫌い」の方が分かりやすく自然であると主張する人もいます。
愛の反対は憎しみだから無関心ではない
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「好き」という感情の反対の感情を考えると「無関心」でも良いと思えるかもしれません。しかし、「愛」という感情の反対を考えると「無関心」では少し弱いと感じる人も多いのではないでしょうか。信じていた配偶者に裏切られた場合などに抱く感情は「無関心」よりも「憎しみ」や「憎悪」といった強い感情になるでしょう。
「好き」と「愛」は少し違いますが、それでも似た感情だと考えることができます。そのため「愛の反対は憎しみ」であると考えると「好き」の反対も「無関心」という少し弱い感情よりも「嫌い」や「嫌悪」などと考えた方が自然であるという考え方もできるのではないでしょうか。
「好き」と「愛」は少し違いますが、それでも似た感情だと考えることができます。そのため「愛の反対は憎しみ」であると考えると「好き」の反対も「無関心」という少し弱い感情よりも「嫌い」や「嫌悪」などと考えた方が自然であるという考え方もできるのではないでしょうか。
無関心にすると嫌いが薄くなる
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先ほどから解説しているように「無関心」という立場は「好き」という感情を抱かれない代わりに、よほど迷惑をかけるようなことをしなければ「嫌い」という感情を抱かれることもない立場です。そのため「好きの反対は無関心」が成り立つと仮定してしまうと「嫌い」という感情が薄くなってしまうと考える人もいます。
「好き」という感情には「その人を守ってあげたい」や「その人のために何かしてあげたい」という気持ちが含まれます。一方、「無関心」という感情にはそういったものは何も含まれません。
しかし、「嫌い」には「その人に不幸が訪れれば良い」や「その人が苦しんでも構わない」という気持ちが含まれることもあるでしょう。この観点から見ると「好きの反対は無関心」という言葉は「嫌い」という意味が薄れているという主張も妥当だと思えることもあるのではないでしょうか。
「好き」という感情には「その人を守ってあげたい」や「その人のために何かしてあげたい」という気持ちが含まれます。一方、「無関心」という感情にはそういったものは何も含まれません。
しかし、「嫌い」には「その人に不幸が訪れれば良い」や「その人が苦しんでも構わない」という気持ちが含まれることもあるでしょう。この観点から見ると「好きの反対は無関心」という言葉は「嫌い」という意味が薄れているという主張も妥当だと思えることもあるのではないでしょうか。
「好きの反対は無関心」論争は終わらない
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フィクションの場でもたびたび登場し、知っている人が多いからこそ「好きの反対は無関心」という言葉に対する関心はどの世代からも幅広く寄せられています。当然ながら「好きの反対は無関心」を肯定する人もたくさんいれば「好きの反対は無関心」を否定する人も多いため、正しいかどうかといった論争が終わることはないでしょう。
「好き」に「愛しているから振り向いて欲しい」という意味を見出すか「好き」は単に「良い人だと思う」という気持ちだけだと解釈するかによっても「好きの反対は無関心」が成立するかどうかは変わってきます。
「好きの反対は無関心」という言葉に対しては、日常会話の中はもちろん、色々な人がそれぞれの立場から異なる意見を発信しています。「好きの反対は無関心」が正しいかどうか気になる人は、そういった意見を参考に自分なりの意見を持ってみると面白いのではないでしょうか。
「好き」に「愛しているから振り向いて欲しい」という意味を見出すか「好き」は単に「良い人だと思う」という気持ちだけだと解釈するかによっても「好きの反対は無関心」が成立するかどうかは変わってきます。
「好きの反対は無関心」という言葉に対しては、日常会話の中はもちろん、色々な人がそれぞれの立場から異なる意見を発信しています。「好きの反対は無関心」が正しいかどうか気になる人は、そういった意見を参考に自分なりの意見を持ってみると面白いのではないでしょうか。
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