2019年10月10日 更新

好きの反対は無関心は本当?元ネタは?この言葉の意味についても

「好きの反対は無関心」という言葉は漫画や小説、ドラマなどでよく耳にする人も多いのではないでしょうか。実は「好きの反対は無関心」という言葉は賛成派もいれば反対派もいます。それぞれの根拠や、言葉が広まるきっかけとなった元ネタを紹介していきます。

目次

「空気のような存在」というと「その人のことを意識してないだけで、いなくなると困ってしまうなくてはならない存在」という意味もありますが、無関心な人に対しては後半の意味は全くありません。単に「その人のことを意識していない」という感覚だけです。

日常生活を送る上で空気抵抗を感じない限りはその場の空気に関して強い興味を常に抱いているという人はまずいないでしょう。無関心な人も同じで、自分に影響を及ぼされる一瞬がない限りは空気のように意識しない存在でしかありません。

考える時間が数秒もない

Golden Cup Coffee - Free photo on Pixabay (698810)

先ほど解説したように、嫌いな人に対しては意識しないように意識したり接触しないように注意したりするあまり考えてしまうということもありますが、無関心な人に対してはそもそも意識の端にのぼることもないので考えることすらないでしょう。

たとえばすれ違いざまに肩がぶつかるなどのアクシデントがあれば反射的に謝罪をすることはあっても、基本的にはその人のことを考える時間すらありません。たとえ何かあっても一秒以内に忘れてしまう程度の存在でしかないのです。

全く関係のない存在

People Woman Travel - Free photo on Pixabay (698812)

ここからも分かる通り、無関心というのは自分にとって全く関係のない存在です。その人が良いことをしても悪いことをしても、自分の生活に対して悪い影響がなければすぐに記憶の中から消えてしまうことでしょう。たとえ少しだけ不快な思いをしても、数日後には忘れされられる存在であるとも言えます。

そのため「無関心な相手」というのは「自分にとって無関係な相手」と言い換えることもできます。会社や学校、サークルなどで同じ空間にいても全く関わり合いのない存在のことを表す言葉となるでしょう。

好きの反対は無関心を矛盾とさせる考え方

Nature Source Fountain - Free photo on Pixabay (698815)

「好きの反対は無関心」というのはよく使われる言葉で、元ネタを知らない人でも漫画などで聞いたことがある人も多い言葉です。しかし、一方で「好きの反対は無関心」という考え方は矛盾していると主張する考え方もあります。

では、「好きの反対は無関心」は矛盾していると考える人たちはどのように考えているのでしょうか。矛盾とする根拠を3つ紹介していきます。

無関心の反対は好きではない

Bitcoin Cryptocurrency Digital - Free photo on Pixabay (698817)

仮に「好きの反対は無関心」という考え方が成立するのであれば「無関心の反対は好き」という考え方も成立することになります。一枚のコインの裏表のようにその考え方が成立するのであれば「好きの反対は無関心」という考え方も矛盾していないと考えることができますが、残念ながら「無関心の反対は好き」ではありません。

「無関心の反対は好きではなく、関心があるや興味がある」という言葉になるでしょう。この考え方に基づくと「好きの反対は無関心」という考え方は矛盾していることになります。

嫌いの反対は好き

Hand Gift Bouquet - Free photo on Pixabay (698818)

「好きの反対は無関心」という言葉を矛盾するとする考え方の根拠として「嫌いの反対は好きだから」というものがあります。「無関心の反対は好き」が成り立たないのに対し「嫌いの反対は好き」という考え方は成立します。

そのため「好きの反対は無関心」という言葉には不自然な点があり、それよりも「好きの反対は嫌い・嫌いの反対は好き」と考えた方が受け入れやすく、自然な考え方であるとすることもできます。

「好きの反対は無関心」は矛盾していると主張する人の多くは、「好きの反対は嫌い」が当然だと主張しています。

無関心な人はそもそも好き嫌いの土俵にいない

Justice Right Case-Law - Free image on Pixabay (698820)

先ほど解説したように「無関心な人」とは「無関係な存在」と言い換えることができます。たとえ毎日同じ満員電車で会う人であっても、自分に対して影響を与えない人の場合はどれだけ顔を合わせる時間が長くても好きや嫌いといった感情を抱くこともなく、未来永劫「無関心な人・無関係な存在」から変わることはありません。

これと同じように、無関心な存在というのはそもそも好きや嫌いという感情を抱くことのない相手です。そのため、好きの反対語として無関心が出てくるのはおかしいと考える人も少なくはありません。

好きの反対は無関心に関しての肯定意見

Agree English Consent - Free photo on Pixabay (698821)

「好きの反対は無関心」という言葉は矛盾していると考える人も多いですが、一方で多くの人に知られていることからも分かる通り「好きの反対は無関心」という言葉を肯定的に受け取っている人も少なくはありません。

では、「好きの反対は無関心」という考え方に対して肯定的な意見を持っている人はどのような根拠を持っているのでしょうか。「好きの反対は無関心」を肯定する人たちの考え方を紹介していきます。

興味を持たれていないのは嫌いよりもキツイ

Person People Woman - Free photo on Pixabay (698822)

好きな人に「あなたのことが嫌いです」と言われるのは辛いものですが、それよりも「あなた自身に興味がないのでどうでも良いです」と言われる方がキツイと感じる人は少なくないでしょう。嫌いだと思われていれば行動によって感情を変えられる可能性もありますが、興味を持たれていない場合は何をしても興味を持ってもらえない可能性もあります。

そのため、「好き」という単語の反対語が「無関心」ではないことを認めながらも「それでも好きになってもらえる可能性がないということで、好きの反対は無関心という考え方は成立する」と主張する人もいます。

嫌いと好きは紙一重

Paper Romance Symbol - Free photo on Pixabay (698823)

最初に嫌なイメージを持ってしまった人に対しても、少しずつ良い面を見ていってその人の人となりを知ることでいつの間にか好きな気持ちに変わるということはフィクションの世界だけではなく現実世界でも珍しいことではありません。このことから、嫌いと好きは実は紙一重の存在であることが分かります。

一方、無関心な人はどのような行動や発言をしても数秒後には忘れ去られてしまうので好きになってもらえる可能性は嫌われている人よりも圧倒的に低いでしょう。そのため、「嫌い」よりも「好き」から遠い位置にあるのが「無関心」だとする人もいます。

無関心は嫌いの最上級

Woman Face Divorce Sadness - Free photo on Pixabay (698824)

3 / 4

関連する記事 こんな記事も人気です♪