目次
- ほならね理論とは
- 「文句言うなら自分が作れ」
- 逆ギレから生まれたネット用語
- syamu gameの発言で一般に広がる
- ほならね理論は正論なのか否か
- 賛否両論あり水掛け論が続いている
- ほらなね理論に対して批判的な意見
- 論点のすり替えでしかない
- ほらなね理論肯定派の意見
- ほらなね理論は使う場が大事
- ほならね理論が最強たる所以
- ほならね理論は最強と言われている
- 批判者は何も言えなくなってしまう
- ほならね理論は論破ができないとも言われている
- ある意味正論だから論破ができない
- ほならね理論と反論
- ほならね理論を批判されたら反論ができない
- そもそもほならね理論は反論にさえなっていない
- ほならね理論は詭弁か
- 批判者と創作者の立場の違い
- 使い方を間違えれば相手を見下してしまう
- 批判者をまとめて黙らせるための詭弁
- 新海誠のほならね理論
- 君の名は。
- 君の名は。に寄せられた批判
- 批判に対する新海誠の発言
- クリエイターとほならね理論
- 本来であれば批判は真摯に受け入れるべき
- 新海誠の事例では正論である
- 受け入れずに一蹴するのは論点のすり替え
- ほならね理論は使いどころで最強となる
では、ほならね理論は実際は正しい言葉なのでしょうか。本当にこの言葉は、多くの人から共感を得ることができる言葉なのでしょうか。
実は、ほならね理論は使う場がとても大切になってくるのです。どのような場面で使用するかによって、相手の捉え方や意味合いが大きく変わってくるのです。
そのため、ほならね理論はどこでもいつでも使用して良いということにはなりません。状況を見極めて使用しなければ、ただの逆ギレをしている人という印象しか与えられないのです。
実は、ほならね理論は使う場がとても大切になってくるのです。どのような場面で使用するかによって、相手の捉え方や意味合いが大きく変わってくるのです。
そのため、ほならね理論はどこでもいつでも使用して良いということにはなりません。状況を見極めて使用しなければ、ただの逆ギレをしている人という印象しか与えられないのです。
ほならね理論が最強たる所以
ほならね理論は、結局最強なのでしょうか。さまざまな場面でこのほならね理論は使われますが、相手を論破するには、本当に最強の言葉なのでしょうか。
このことについても賛否両論ありますが、ほならね理論が通用する場面はたくさんありますので、本当に最強なのかどうかを次の説明で確認してみてください。
このことについても賛否両論ありますが、ほならね理論が通用する場面はたくさんありますので、本当に最強なのかどうかを次の説明で確認してみてください。
ほならね理論は最強と言われている
ほならね理論は、インターネットの中では最強だと言われています。ほならね理論は、どういった批判を受けても使うことができる言葉であり、相手はこの言葉を聞いてしまうと言い返しができない言葉でもあるのです。
確かに作った人に対して批判をした場合、ではあなたが作って見れば良い、自分でやってみろと言われると返す言葉は見つからなくなります。相手が何も言い返せなくなるこの言葉は、まさに最強だと呼べる言葉なのです。
言い返せなくなるという強さは、何事にも変えれない強さがあるのです。
確かに作った人に対して批判をした場合、ではあなたが作って見れば良い、自分でやってみろと言われると返す言葉は見つからなくなります。相手が何も言い返せなくなるこの言葉は、まさに最強だと呼べる言葉なのです。
言い返せなくなるという強さは、何事にも変えれない強さがあるのです。
批判者は何も言えなくなってしまう
ほならね理論は、相手が何も言い返せなくなることを前提に使っている言葉です。議論などというスタンスではなく、この言葉を使うことで相手を黙らせるという意味で使っているのです。
こうした言葉は他にもありますが、ある意味ではこのほならね理論は最強だと言えるでしょう。一瞬にして相手を黙らせることができますので、全ての力はこちらが握っていることになるのです。
ここまで強い言葉はなかなか見つからないと言っても、過言ではないでしょう。
こうした言葉は他にもありますが、ある意味ではこのほならね理論は最強だと言えるでしょう。一瞬にして相手を黙らせることができますので、全ての力はこちらが握っていることになるのです。
ここまで強い言葉はなかなか見つからないと言っても、過言ではないでしょう。
ほならね理論は論破ができないとも言われている
ほならね理論は、その言葉を使われると、相手は言い返せなくなってしまうのです。つまりは、相手は論破をするために発した言葉であっても、ほならね理論を出されると、相手は論破ができなくなってしまうのです。
では、なぜ相手は論破ができなくなってしまうのでしょうか。本来であれば、相手を論破するべき言葉をたくさんぶつけたいはずですが、不思議と論破できなくなってしまうのです。
では、なぜ相手は論破ができなくなってしまうのでしょうか。本来であれば、相手を論破するべき言葉をたくさんぶつけたいはずですが、不思議と論破できなくなってしまうのです。
ある意味正論だから論破ができない
この、ほならね理論によって相手が論破できなくなるのは、この言葉がいわゆる正論だからです。作っている人に対して批判をした場合、ではあなたが作ってみろという言葉は誰が見ても正論です。
正論であるからこそ、相手は論破ができなくなってしまうのです。反対に正論でなければ、相手は言い返してくるはずです。
何も言えなくなってしまう事実こそが、正論を意味していると言えます。こういった意味からも分かるように、ほならね理論はやはり最強なのです。
正論であるからこそ、相手は論破ができなくなってしまうのです。反対に正論でなければ、相手は言い返してくるはずです。
何も言えなくなってしまう事実こそが、正論を意味していると言えます。こういった意味からも分かるように、ほならね理論はやはり最強なのです。
ほならね理論と反論
しかし、ほならね理論は、まっとうな反論の言葉なのでしょうか。ほならね理論は、あたかも相手を論破しているように感じるかもしれませんが、本当に相手を論破している言葉なのでしょうか。
こうした疑問を感じる人も少なくないはずです。
こうした疑問を感じる人も少なくないはずです。
ほならね理論を批判されたら反論ができない
ほならね理論は最強だと思っている人が多いかもしれませんが、実はほならね理論自体を批判された場合には、その反論に対しては反論ができなくなってしまうのです。
とても不思議に感じるかもしれませんが、ほならね理論に対しての批判はなぜか反論ができない事態になってしまうのです。おそらく、ほならね理論を打ち出してしまい、こうした場面に遭遇した人も中にはいるでしょう。
ほらなね理論を批判されたら反論ができなくなることは、多くの人が理解しているはずです。
とても不思議に感じるかもしれませんが、ほならね理論に対しての批判はなぜか反論ができない事態になってしまうのです。おそらく、ほならね理論を打ち出してしまい、こうした場面に遭遇した人も中にはいるでしょう。
ほらなね理論を批判されたら反論ができなくなることは、多くの人が理解しているはずです。
そもそもほならね理論は反論にさえなっていない
その理由として、そもそもほならね理論は反論にはなっていないという点があります。ほならね理論は、一見すれば真っ当であり、さらには正しい反論の言葉のように感じるかもしれませんが、実は論点をずらしているだけなのです。
本当の相手の批判に答えている内容ではありません。確かによく考えれば、作られたものに対して批判をしているのに、ほならね自分で作ってみろという言葉は議論になっていません。
こうしたことを相手が気が付けば、ほならね理論は破綻してしまうことになります。
本当の相手の批判に答えている内容ではありません。確かによく考えれば、作られたものに対して批判をしているのに、ほならね自分で作ってみろという言葉は議論になっていません。
こうしたことを相手が気が付けば、ほならね理論は破綻してしまうことになります。
ほならね理論は詭弁か
つまりは、ほならね理論はただの詭弁なのです。論点を匠にすり替えて、相手の注意をそらしているだけに過ぎないのです。
本当の議論は全く別のところにあるにもかかわらず、自分で作ってみろという言葉は、冷静に受け止めれば確かに詭弁であると言えるでしょう。
本当の議論は全く別のところにあるにもかかわらず、自分で作ってみろという言葉は、冷静に受け止めれば確かに詭弁であると言えるでしょう。
批判者と創作者の立場の違い
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