目次
- 罪を憎んで人を憎まずについて
- 罪を憎んで人を憎まずの意味
- 罪を憎んで人を憎まずの類語
- 孔子について
- 板垣退助について
- 罪を憎んで人を憎まずを使った例文
- あの人には色々嫌なことをされたけど罪を憎んで人を憎まずで我慢しよう
- 罪を憎んで人を憎まずを信念にして働こう
- 罪を憎んで人を憎まずがおかしいと言われる理由
- 罪を犯したのはそもそも人なため
- 加害者のための言葉だから
- 被害者を責めている言葉だから
- 人を憎むことはできないから
- 罪を憎んで人を憎まずが説かれている聖書
- ローマ「自分で復讐するな。復讐は神にゆだねよ」
- ヨハネ「あなたがたのうちで罪のないものが石を投げなさい」
- 「罪を憎んで人を憎まず」を主張した有名人
- 小泉元首相
- 茂木健一郎
- 罪を憎んで人を憎まずは寛容への道
罪を憎んで人を憎まずがおかしいと言われる理由としてまず浮かぶのが、罪を犯したのが人だからです。それなのに、罪と人を分けて考えなければいけないのですから、納得できないという人もいるでしょう。
なぜ罪と人を分ける必要があるのか?それは、罪を犯した人は罪を償った後に社会復帰しなければいけないからです。年月を経て社会復帰した時に、「あの事件を起こした人だ」と周囲から必要以上に攻撃されないために罪と人を分けているのです。
でも、考えてみてください。もし、その罪が殺人なら、被害者の未来を奪った人の未来など擁護する気になれますか?少なくとも被害者遺族には無理でしょう。第三者からしても「人の命を奪っておきながら」となるのですから。
なぜ罪と人を分ける必要があるのか?それは、罪を犯した人は罪を償った後に社会復帰しなければいけないからです。年月を経て社会復帰した時に、「あの事件を起こした人だ」と周囲から必要以上に攻撃されないために罪と人を分けているのです。
でも、考えてみてください。もし、その罪が殺人なら、被害者の未来を奪った人の未来など擁護する気になれますか?少なくとも被害者遺族には無理でしょう。第三者からしても「人の命を奪っておきながら」となるのですから。
加害者のための言葉だから
via pixabay.com
罪を憎んで人を憎まずという言葉は、加害者のための言葉と言っても過言ではないでしょう。確かに罪を犯したその背景にはいろいろな動機や出来事が存在するでしょう。貧困、虐待、病気など、自分ではどうすることもできないさまざまな出来事によって心が歪んでしまう場合もあるかもしれません。
だからと言って罪を犯していい理由にはなりません。中には同じ境遇でも法に触れることなく一生懸命生きている人もたくさんいます。
一度の失敗でその人の人格すべてを分かったつもりになるのも考えものですが、加害者の心情や背景を考慮して刑を決めることが必ずしも正しいとは言えないのではないでしょうか。再犯という結果を生む場合もあるのですから。
だからと言って罪を犯していい理由にはなりません。中には同じ境遇でも法に触れることなく一生懸命生きている人もたくさんいます。
一度の失敗でその人の人格すべてを分かったつもりになるのも考えものですが、加害者の心情や背景を考慮して刑を決めることが必ずしも正しいとは言えないのではないでしょうか。再犯という結果を生む場合もあるのですから。
被害者を責めている言葉だから
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「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は、時と場合によっては、被害者自身を責める言葉になることがあります。加害者が犯行に及んだ経緯の中で被害者にも過失があった場合、本来なら擁護されるべき被害者が必要以上に叩かれることがあります。
その他にも、被害者がいつまでも過去の事件にこだわっていると、「いい加減に忘れなさい」とか「もっと強くなりなさい」とか言われたりもします。例えそれが励ましのつもりで言われた言葉だったとしても、被害者からしたら責められているように聞こえるのではないでしょうか。
その他にも、被害者がいつまでも過去の事件にこだわっていると、「いい加減に忘れなさい」とか「もっと強くなりなさい」とか言われたりもします。例えそれが励ましのつもりで言われた言葉だったとしても、被害者からしたら責められているように聞こえるのではないでしょうか。
人を憎むことはできないから
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怒りや憎しみといった感情は誰の中にも起こりうるものです。特に被害者本人やその家族などは加害者に対して強い怒りと憎悪を抱くでしょう。それは至極当然のことなのではないでしょうか。
それなのに、罪を憎んで人を憎まずという言葉は、人として当たり前の感情を押さえつけるものです。無理やり押さえつけて、我慢して、行き場のない激しい感情を抱えたまま生きていくことを被害者やその家族に求めているのです。
被害者やその家族の立場で考えると、それはあまりにも酷なのではないでしょうか。そもそも被害者やその家族が加害者本人より加害者の心情や背景に激しい感情を生じさせることなんて無理なのですから。
それなのに、罪を憎んで人を憎まずという言葉は、人として当たり前の感情を押さえつけるものです。無理やり押さえつけて、我慢して、行き場のない激しい感情を抱えたまま生きていくことを被害者やその家族に求めているのです。
被害者やその家族の立場で考えると、それはあまりにも酷なのではないでしょうか。そもそも被害者やその家族が加害者本人より加害者の心情や背景に激しい感情を生じさせることなんて無理なのですから。
罪を憎んで人を憎まずが説かれている聖書
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「罪を憎んで人を憎まず」という言葉に似た思想が聖書の中でも説かれています。それはキリスト教世界の普遍的価値観であり、日本でも広く知れ渡っています。
「自分で復讐するな。復讐は神にゆだねよ」という言葉を聞いたことがないですか?聖書を読んだことがない人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。「あなたがたのうちで罪のないものが石を投げなさい」という言葉はどうでしょうか?
ここでは、この二つの言葉について詳しく解説していきたいと思います。
「自分で復讐するな。復讐は神にゆだねよ」という言葉を聞いたことがないですか?聖書を読んだことがない人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。「あなたがたのうちで罪のないものが石を投げなさい」という言葉はどうでしょうか?
ここでは、この二つの言葉について詳しく解説していきたいと思います。
ローマ「自分で復讐するな。復讐は神にゆだねよ」
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新約聖書中の一書に「ローマの信徒への手紙」という書簡があります。これは信徒パウロによって書かれたものと言われています。この書簡はイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いが中心テーマになっています。
この書簡の12章に「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」という言葉が出てきます。パウロは、「可能な限り、キリスト教徒は皆と平和を保ち、仲良く暮らすべきだ」と説き、「キリスト教徒は受けた不当な仕打ちに対して自分で復讐すべきではない」と強調しています。
さらに、「悪に対して悪をもって報いてはいけない」と、「いかなる状況においても神の下す裁きに委ねるべきだ」と、「善をもって悪に勝つのがキリスト信仰者のやるべきことだ」とパウロはこの章で説いているのです。
この書簡の12章に「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい」という言葉が出てきます。パウロは、「可能な限り、キリスト教徒は皆と平和を保ち、仲良く暮らすべきだ」と説き、「キリスト教徒は受けた不当な仕打ちに対して自分で復讐すべきではない」と強調しています。
さらに、「悪に対して悪をもって報いてはいけない」と、「いかなる状況においても神の下す裁きに委ねるべきだ」と、「善をもって悪に勝つのがキリスト信仰者のやるべきことだ」とパウロはこの章で説いているのです。
ヨハネ「あなたがたのうちで罪のないものが石を投げなさい」
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新約聖書中の一書に「ヨハネによる福音書」という福音書があります。この福音書の8章に「あなたがたのうちで罪のないものが、まず彼女に石を投げなさい」という言葉が出てきます。
これはイエスを嵌めようとしている聖書学者たちとパリサイ人に「この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。モーセは律法の中で、そのような女は石打ちにするよう、わたしたちに命じています。ところであなたは何と言われますか?」と問いかけられた際に、イエスが言った言葉です。
それを聞いた聖書学者とパリサイ人たちは、一人また一人と去っていき、イエスと女だけがその場に残されました。「女よ、だれもあなたを罪に定めなかったのか?」と問いかけたイエスに「主よ、だれもいません」と女は言い、「わたしもあなたを罪に定めない」とイエスは女の罪を許したのです。
これはイエスを嵌めようとしている聖書学者たちとパリサイ人に「この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。モーセは律法の中で、そのような女は石打ちにするよう、わたしたちに命じています。ところであなたは何と言われますか?」と問いかけられた際に、イエスが言った言葉です。
それを聞いた聖書学者とパリサイ人たちは、一人また一人と去っていき、イエスと女だけがその場に残されました。「女よ、だれもあなたを罪に定めなかったのか?」と問いかけたイエスに「主よ、だれもいません」と女は言い、「わたしもあなたを罪に定めない」とイエスは女の罪を許したのです。
「罪を憎んで人を憎まず」を主張した有名人
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日本にも「罪を憎んで人を憎まず」を主張した有名人がいます。小泉元首相や茂木健一郎さんです。ここでは、小泉元首相や茂木健一郎さんがどういう経緯で「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を使ったのか解説していきたいと思います。
小泉元首相
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小泉元首相は日本の政治家で、第87、88、89代内閣総理大臣(在任期間2001年4月26日~2006年9月26日)です。厚生大臣、郵政大臣、自由民主党総裁、農林水産大臣なども歴任しました。
小泉元首相が「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を使ったのは、小泉元首相の靖国神社参拝が日中問題となっている最中の2005年5月16日の衆院予算委員会でした。靖国神社参拝問題について「ほかの国が干渉すべきではない」と参拝自粛を求める中韓両国に反論したのです。
さらに、第二次世界大戦のA級戦犯祀と参拝の関係についても、「罪を憎んで人を憎まずというのは中国の孔子の言葉だ。一個人のために参拝しているのではない」と言明しました。中国政府はこれらの発言を受け「論語を曲解している」と小泉元首相に強い不信感を抱き、事態は悪化してしまったのです。
小泉元首相が「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を使ったのは、小泉元首相の靖国神社参拝が日中問題となっている最中の2005年5月16日の衆院予算委員会でした。靖国神社参拝問題について「ほかの国が干渉すべきではない」と参拝自粛を求める中韓両国に反論したのです。
さらに、第二次世界大戦のA級戦犯祀と参拝の関係についても、「罪を憎んで人を憎まずというのは中国の孔子の言葉だ。一個人のために参拝しているのではない」と言明しました。中国政府はこれらの発言を受け「論語を曲解している」と小泉元首相に強い不信感を抱き、事態は悪化してしまったのです。
茂木健一郎
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茂木健一郎さんは脳と心の関係について研究している脳科学者です。脳と神経に関する著書を多く発表しています。テレビ番組や雑誌や週刊誌などのマスメディアに多数出演しており、その名は広く知れ渡っています。
茂木さんが「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を使ったのは、2016年の1月に「システムを憎んで人を憎まず」というテーマで連続ツイートした中の1つです。これは、辺野古に座り込みをしていた女性が機動隊員に暴言を受けたというニュースを受けてのツイートでした。
茂木さんはそのツイートの中で、座り込みをしている側も排除する側もストレスを感じる現場で暴言が出てしまったのだろうが、罪を憎んで人を憎まずではないが、システムを憎んで人を憎まずというか、そのような対立の構造を作っているシステムのことを考えないと、問題は解決しないだろうと言及しています。
茂木さんが「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を使ったのは、2016年の1月に「システムを憎んで人を憎まず」というテーマで連続ツイートした中の1つです。これは、辺野古に座り込みをしていた女性が機動隊員に暴言を受けたというニュースを受けてのツイートでした。
茂木さんはそのツイートの中で、座り込みをしている側も排除する側もストレスを感じる現場で暴言が出てしまったのだろうが、罪を憎んで人を憎まずではないが、システムを憎んで人を憎まずというか、そのような対立の構造を作っているシステムのことを考えないと、問題は解決しないだろうと言及しています。
罪を憎んで人を憎まずは寛容への道
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