目次
- 共感性羞恥とは
- 他人の失敗をあたかも自分の失敗のように感じる
- 共感性羞恥の他の呼び方
- 決して病気ではない
- 発達障害と共感性羞恥には関係がある?
- 現段階では関係性は認められていない
- 共感性羞恥の特徴
- 現実でも物語でも他人に強く感情移入してしまう
- 恥ずかしい場面を見ていられず逃げてしまう
- お笑い番組などで芸人がスベっているとチャンネル変更
- 他人が笑っているところで笑えない
- 共感性羞恥になってしまう原因
- 他人を自分に脳内で置き換える
- 共感性が特に強い
- 恥ずかしいことになるのが怖い
- 共感性羞恥にならないためには
- 物語を見るとき自分と他人を割り切って考える
- もともとは心理学の世界からの言葉
- 共感性羞恥は心理学の世界からきた言葉
- 共感性羞恥の症状チェック
- 困難を乗り越えるドキュメンタリーが見ていられない
- ドッキリをかけられている人を見ていられない
- 他人がかわいそうな場面を見ていられない
- 笑うシーンなのに恥ずかしくなり見ていられない
- 他人の失敗などSNSの投稿を見ていられない
- 共感性羞恥の治し方
- 治し方は対策と同じで、「割り切って考える」
- 少しずつ慣れていくことが大事
- 他のことに注意をそらす
- 共感性羞恥の人には自覚症状がある?
- 周りの人もその感情を持っていると思っている
- そもそも共感性羞恥という症状を知らない
- 言葉を知らないだけで自覚はある
- 共感性羞恥でも形は様々
- 苦しいのは見れるけど恥ずかしいものは見れない人も
- コメディは大丈夫だけど、スベっているのはちょっと
- 共感性羞恥はいろいろ
- 共感性羞恥は悪いことではない!
恥ずかしい状況に陥るのではないかと思うシーンや、お笑い芸人がスベっているとき、すぐにチャンネルを変えたり消したりせずに、別の部分に視点をずらしてみましょう。
演者の着ている洋服が素敵だな、とか、このロケの場所はどのあたりなんだろう、とか、その中心人物の言動以外の部分に注視してみてください。画面を見ずになんとなく音だけ聞きながら何か別のことをするのも良いでしょう。あえて注意力を散らすところからゆっくり始めていくことも克服につながる手段です。
演者の着ている洋服が素敵だな、とか、このロケの場所はどのあたりなんだろう、とか、その中心人物の言動以外の部分に注視してみてください。画面を見ずになんとなく音だけ聞きながら何か別のことをするのも良いでしょう。あえて注意力を散らすところからゆっくり始めていくことも克服につながる手段です。
共感性羞恥の人には自覚症状がある?
via pixabay.com
なんとなく恥ずかしい場面を「見ていられない」「ハラハラドキドキする」と思っていても、それは自分だけなのか、誰にでも当たり前に感じることなのか、考えたことがない人が多いと思います。実際はどうなのでしょう。
周りの人もその感情を持っていると思っている
via pixabay.com
今まで自分が感じていた「他人の羞恥を自分のことのように思う」感情は、周りの人も同様に感じているものだと思っていた人はいませんか?これまでお話しした通り、共感性羞恥はその人の性格(性質)に起因する場合が多く、万人に当てはまることではないのです。
ですが、誰でも同じように感じていると思っていた人は、あえて話題にしない限りそれは特別な感情だとはとらえず自覚症状として認めていない人が多いでしょう。
共感性羞恥の感情は日本人特有のものではなく、世界中に共通する感情といわれています。ある調査では日本国内でおおよそ10%の人が経験があると回答しているため、身近な人も共感性羞恥を感じている場合、やはり万人共通の感情だと認識してもおかしくはないかもしれません。
ですが、誰でも同じように感じていると思っていた人は、あえて話題にしない限りそれは特別な感情だとはとらえず自覚症状として認めていない人が多いでしょう。
共感性羞恥の感情は日本人特有のものではなく、世界中に共通する感情といわれています。ある調査では日本国内でおおよそ10%の人が経験があると回答しているため、身近な人も共感性羞恥を感じている場合、やはり万人共通の感情だと認識してもおかしくはないかもしれません。
そもそも共感性羞恥という症状を知らない
via pixabay.com
そもそも共感性羞恥という症状や存在を知らなければ、自覚はできません。そういう意味で自覚がない人も多いのではないでしょうか。
これらの症状が一般的に広まったきっかけは、約3年前に「マツコ&有吉の怒り新党」という番組内で、視聴者からの「恥をかきそうなシーンを見ていられない」という投稿に対して、マツコが同調したことにより、このような心理現象は「共感性羞恥」と呼ばれるものであることが周知されました。
このことにより、このような感情はきちんと名称があり、特有の症状なんだと初めて認知した人が多かったようです。ただし、同じ状況でも相手によって共感を感じたり感じなかったりすることは「個人的な同情」であり、共感性羞恥とは異なるので注意しましょう。
これらの症状が一般的に広まったきっかけは、約3年前に「マツコ&有吉の怒り新党」という番組内で、視聴者からの「恥をかきそうなシーンを見ていられない」という投稿に対して、マツコが同調したことにより、このような心理現象は「共感性羞恥」と呼ばれるものであることが周知されました。
このことにより、このような感情はきちんと名称があり、特有の症状なんだと初めて認知した人が多かったようです。ただし、同じ状況でも相手によって共感を感じたり感じなかったりすることは「個人的な同情」であり、共感性羞恥とは異なるので注意しましょう。
言葉を知らないだけで自覚はある
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これは何か特別な感情なのでは?こんな風に思うのは自分だけ?など、症状として自覚をしていても、正式な名称がついている心理現象とはわからずにいる人もいるかもしれません。
テレビや映画の観賞中、見ていられない心理状況が発生していても、嫌なシーンなどを飛ばせば特に問題はないため、生活に支障をきたすほど病的に過剰反応を示さない限りは、この症状をわざわざ追求する人は少ないでしょう。
先ほどの「マツコ&有吉の怒り新党」で、自覚していたこの症状が心理学的に証明されている心理現象なんだということがわかり、腑に落ちた人も多いようです。
テレビや映画の観賞中、見ていられない心理状況が発生していても、嫌なシーンなどを飛ばせば特に問題はないため、生活に支障をきたすほど病的に過剰反応を示さない限りは、この症状をわざわざ追求する人は少ないでしょう。
先ほどの「マツコ&有吉の怒り新党」で、自覚していたこの症状が心理学的に証明されている心理現象なんだということがわかり、腑に落ちた人も多いようです。
共感性羞恥でも形は様々
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共感性羞恥は「相手の感情を自分で推測して自分に当てはめて考えてしまう」心理状態のことなので、そのように感じたならそれは共感性羞恥です。人によってその感じる強度や、感じるポイントは様々です。
苦しいのは見れるけど恥ずかしいものは見れない人も
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相手に起こっている「どの状態」に共感するかによってその症状も異なります。特に「苦しい状況」「辛い状況」よりも「恥ずかしい状況」に敏感に反応する人の場合は、他人の苦しい状況は見ていられますが、恥ずかしい状況は見ていられないでしょう。
苦しみを乗り越える状況よりも恥ずかしい思いをしている状況のほうが「自分もあんな風に見られたらいやだ」「笑われたくない」といった共感性羞恥を喚起する要因が多く含まれているからだと考えられます。
また、共感性羞恥の特徴である失敗やミスに対する極度の恐怖心が、恥ずかしいと思う感情に密に結びついていることの顕著な例といえるでしょう。
苦しみを乗り越える状況よりも恥ずかしい思いをしている状況のほうが「自分もあんな風に見られたらいやだ」「笑われたくない」といった共感性羞恥を喚起する要因が多く含まれているからだと考えられます。
また、共感性羞恥の特徴である失敗やミスに対する極度の恐怖心が、恥ずかしいと思う感情に密に結びついていることの顕著な例といえるでしょう。
コメディは大丈夫だけど、スベっているのはちょっと
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コメディのように笑わせようとして笑われていることよりも、笑わせようとしたのにスベってしまったという状況のほうが、いたたまれない気持ちになる人もいます。これは経験上スベってしまうことが恥ずかしいということを知っているため、無意識に脳内で羞恥を感じやすく設定してしまっているからです。
スベることはある意味「ミスをしてしまった」とも考えられます。失敗してしまった場面を見ることに拒否反応が生じているともいえるでしょう。
また想定外にスベってしまうと、見てはいけないものを見てしまったという感情にもなります。相手もこんなはずではなかったと考えているだろうと容易に推測できてしまうからです。
スベることはある意味「ミスをしてしまった」とも考えられます。失敗してしまった場面を見ることに拒否反応が生じているともいえるでしょう。
また想定外にスベってしまうと、見てはいけないものを見てしまったという感情にもなります。相手もこんなはずではなかったと考えているだろうと容易に推測できてしまうからです。
共感性羞恥はいろいろ
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同じ状況でも、共感性羞恥を感じやすい条件があることも分かっています。羞恥の現場で実際に対象となる人物(相手)と観察している人物(自分)との心理的距離が近いと、共感性羞恥はより強く喚起されます。
例えば、誰かが酔っ払って居酒屋で大声で歌いだしたとき、その対象者が自分の家族だった場合、羞恥は非常に強く感じるでしょう。次に親しい友人、知人、そして全く知らない別の席にいる人、といった順番になります。このように共感的羞恥は、心理的距離が近い相手ほど感じやすいのです。
さらに、個人的に「恥ずかしいこと」への感受性が強い人ほど共感性羞恥も感じやすく、自分に起こり得るミスや失敗に対する恐怖心が強いので、他人に対しても同様に羞恥感情が敏感に反応してしまうのです。
例えば、誰かが酔っ払って居酒屋で大声で歌いだしたとき、その対象者が自分の家族だった場合、羞恥は非常に強く感じるでしょう。次に親しい友人、知人、そして全く知らない別の席にいる人、といった順番になります。このように共感的羞恥は、心理的距離が近い相手ほど感じやすいのです。
さらに、個人的に「恥ずかしいこと」への感受性が強い人ほど共感性羞恥も感じやすく、自分に起こり得るミスや失敗に対する恐怖心が強いので、他人に対しても同様に羞恥感情が敏感に反応してしまうのです。
共感性羞恥は悪いことではない!
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共感性羞恥を感じることは気持ちよいこととは言えないため、ネガティブなイメージを持っていた人もいるかもしれませんが、決してそんなことはないのです。
共感性羞恥を感じやすい理由として、器質的にも性格的にも他人への「共感力」と「同情心」の強い傾向があることをお話ししました。それは言い換えれば、相手に共感し思いやれる心が豊かな人であるとも言えます。
相手の気持ちを推測し、実際に予測される通りになった場合に、気持ちを察してフォローしてあげることもできるでしょう。非常に優れた魅力的な能力といえます。
共感性羞恥を感じやすい理由として、器質的にも性格的にも他人への「共感力」と「同情心」の強い傾向があることをお話ししました。それは言い換えれば、相手に共感し思いやれる心が豊かな人であるとも言えます。
相手の気持ちを推測し、実際に予測される通りになった場合に、気持ちを察してフォローしてあげることもできるでしょう。非常に優れた魅力的な能力といえます。
via pixabay.com
ただし、親しい相手に限らず、他人のミスや羞恥に対して共感し続けてしまうと、無意識に多くのストレスを抱えることになってしまいます。他人への共感が過度で敏感な場合、自分自身も苦しめてしまう場合があるので注意が必要です。
共感性羞恥は決して病気ではないので、上手にコントロールしながら少しずつ慣れていくことをお勧めします。相手と自分の境界線を明確にすることで、共感力と同情心はより一層有効なコミュニケーション能力として発揮されていくでしょう!
共感性羞恥は決して病気ではないので、上手にコントロールしながら少しずつ慣れていくことをお勧めします。相手と自分の境界線を明確にすることで、共感力と同情心はより一層有効なコミュニケーション能力として発揮されていくでしょう!
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