目次
- 被差別部落の意味と存在のあり方
- 歴史上の史上最悪な制度
- 江戸幕府が作った制度
- 史上最悪な差別の始まり
- 明治政府の身分制度撤廃
- 今なお残る黒歴史の爪痕
- 被差別部落の特徴と決めつけ
- 川の近くが多い
- 地区の名前に似通った文字がある
- ご年配の方の思い込み
- 癖のある人が多いという決めつけ
- 一覧が今なお残る事の意味とは
- 歴史上では大切な歴史の一つ
- 一覧から学ぶ郷土の風習
- 被差別部落への反発
- なくならない差別の原点
- 被差別部落への差別
- 同等な扱いをされない
- いじめの標的
- 努力しても認めてもらえない
- 何もしていないのに人間性を疑われる
- 所在地から調べられる
- 親の実家から割り出される
- 地元の人だと地名だけで分かる
- 出身地を言うと検索出来る
- 苗字から被差別部落が分かる場合も
- 近所に同じ名前が密集している
- 同じ町内だと名前を覚えられている
- 苗字の文字で疑われる
- サイトに載っている
- 結婚における被差別部落の影響
- 祖父母や両親の反対
- 違う種族のような扱いをされる
- 隠しても調べられる
- 先祖をさかのぼってまで調べられる
- 同和教育は必要なのか
- 同和教育で学ぶものは差別
- 知らない内に軽蔑心を植え付ける
- 同情と差別
- 知らない方が平和
- 気にしない事で歴史の一駒にしてしまおう
被差別部落の意味と存在のあり方
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被差別部落。皆さんはこの言葉をどかで耳にしたことがあるかもしれません。被差別部落をインターネットで調べてみると、「中世末期または近世初期の封建社会において、身分的・社会的に差別された人達が限定された地域に定住することによって、形成された集落」とあります。つまり、何らかの理由によって差別を受けた人達が集められて住んでいた場所のことを被差別部落と呼んでいたのです。
さらに詳しく調べてみると、「何らかの理由」という言い方をしましたが、それは当時の権力者が作り出した支配制度や身分だったり、職業だったり、あるいは人間の根底にある差別意識から来ていたりなど、理由は様々です。
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しかし、どんな理由であれ、差別をしていいわけではありません。現に今も被差別部落の影響で苦しんでいる方々も大勢いるのです。被差別部落が出来た原因やその歴史をたどっていき、被差別部落について考え直してみましょう。
歴史上の史上最悪な制度
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先ほどの説明から、被差別部落とは差別された人達が住んでいた地域のことをさすということが分かりました。しかし、一言に差別と言っても、差別を受けてきた方々は私たちが想像出来ないような辛い思いをしなければならなかったのです。それは史上最悪な制度とも言われているほど。一体どんな理由で被差別部落に住まされるという制度が作られたのか、順を追って見ていきましょう。
江戸幕府が作った制度
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被差別部落ができるおおもとの原因となったのは、かの有名な江戸幕府でした。江戸時代、幕府は「士農工商えたにひん」という身分制度を作りました。士農工商とは、士=武士、農=農民、工=職人、商=商人という意味です。人民を4つに分け、朱子学にもとづいて武士が最も偉く、その下に農民と職人、商人を置きました。この3つの種には上下関係はありません。
そして、当時はそのさらに下に穢多(えた)そしてさらに下に非人(ひにん)を置きました。穢多と呼ばれる人々は、お肉屋さんや死刑執行人、葬儀屋さんなど血や遺体を扱う、当時は不浄とされる職業に就いていだ人が多く、差別される表向きの理由は不浄だから、ということでした。
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また、非人と呼ばれる人々は、親子代々続けて非人という身分にいたり、もとは庶民だったけれど貧困や犯罪などからそれまでの身分を取り上げられ、非人の身分になったりとした人々のことを言います。非人と呼ばれる人々は、農工商身分に復帰することも可能でした。
しかしそれだけではなく、農工商の身分の人たちの下にさらに低いと言われる立場を設けることで、農工商の身分の人たちが何らかの不満を持っていたとしても幕府にぶつけるのではなく、穢多・非人にぶつけたり、自分より弱い立場の人々がいるという安心感を感じさせるためなどに作ったのではないかという一説もあります。
史上最悪な差別の始まり
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こうして江戸時代では穢多・非人と呼ばれる身分が出来上がり、その身分に該当する人々は、その身分であるという理由だけで差別をされてしまったのです。住むところや職業、そしてさらには食べるものや着るものでさえも制限をかけられ、自由に生きられなかったと言われています。他の人々と変わらないのにも関わらず、このような無意味な理由で差別を受けなければならないとは、まさに史上最悪の制度です。
明治政府の身分制度撤廃
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こうして江戸時代に出来た身分制度は、明治時代に入ると「四民平等」と呼ばれるスローガンが掲げられ、江戸時代に作られた士農工商を廃止する政策を政府が打ち出すようになりました。四民平等の四民とは、江戸時代の士農工商の4つの身分の人々のことです。
しかしこの時、士族つまり武士の身分は農工商と呼ばれた人々と同じになりましたが、ここで新しく華族という身分が加えられ、平民と華族の間には身分の差がありました。そして、四民平等になったといえども、戸籍には士族などといった身分の呼称はされたのです。
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このとき、穢多・非人と呼ばれていた人々も、平民の中に組み込まれました。これでやっと根拠のない差別は終わったかと思いますが、一度根付いた差別はなかなか消えませんでした。平民の中に組み込まれた後も、「新平民」という新たな差別用語を用いられ、差別されてしまうこともあったのです。
江戸時代は不浄だからという理由で祭りには参加できませんでしたが、明治時代になると教育やお祭りなども参加できるようになりました。
しかし法律上は平等が認められましたが、歴史上の伝統的な差別はなかなか消えませんでした。学校に通えるようになっても、部落だけ違う学校だったり、教室で部落の子は隣に座らせなかったりなど江戸時代の差別が明治時代になって形を変えて残っていました。
しかし法律上は平等が認められましたが、歴史上の伝統的な差別はなかなか消えませんでした。学校に通えるようになっても、部落だけ違う学校だったり、教室で部落の子は隣に座らせなかったりなど江戸時代の差別が明治時代になって形を変えて残っていました。
今なお残る黒歴史の爪痕
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明治時代は表面的には差別を無くそうとしていましたが、実際は新たに差別が生まれたり差別は無くなりませんでした。そしてだいぶ時間が経った今でも、被差別部落の人とは付き合ってはいけない、結婚を破棄されてしまうなど、根拠もなく差別は無くならずあちこちに残っているのです。
被差別部落の特徴と決めつけ
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