2019年10月15日 更新

ゴイアニア被曝事故とは?発生した場所や犯人のその後についても

ブラジルのゴイアニアという場所で、1987年に被曝事故が発生しました。どこにでもあるごく普通の街で、その悲劇は起きてしまったのです。今回はゴイアニア被曝事故について、その詳しい経緯を時系列で紹介し、事故の原因や犯人たちのその後についても紹介します。

目次

28日になると、これまで症状が出ていた人はごくわずかでしたが、一気に体調不良を訴える人が多くなりました。そのうち多くの人が病院を受診し、いずれも風土病や食物アレルギーと診断されていました。

嘔吐や下痢、浮腫の症状が多く、いずれも風土病や食物アレルギーで起こる症状でもあるため、このように診断されたようです。

しかし、この症状が出た人には共通点があり、何らかの形であの青白く光る物質に触れていたのです。そのため、多くの患者はCの知人やその親戚たちでした。

Cの妻は「光る粉」が原因であると訴える

Abstract Blur Bright - Free photo on Pixabay (709394)

このゴイアニア被曝事故の発覚を少し早めたのはCの妻でした。放射線が原因であるとは気づかなかったものの、あの青白く光る物質が家にやって来てから次々に体調不良の人が周りで出始めたため、「光る粉」が原因であると確信していました。

そのため、Cがセシウムを転売した業者の所に行き、取り返したのです。それをそのまま地元の保健当局事務所に持っていき、「これがわたし達全員を殺そうとしている」と強く訴えました。

この時の担当者はすぐに2人を熱帯病病院に向かわせました。この熱帯病病院には同じような症状を訴える患者が数人来院していました。

29日8時放射線医師が線量計で計測を行う

Pressure Gauge Mechanical - Free photo on Pixabay (709395)

この一連の患者は最初、流行性の熱帯病と診断されていました。実際、事故当時はブラジルで風土病やアレルギーが流行していたため、この患者たちもそれらに感染したのだろうと思われていました。しかしある医師が放射性皮膚炎ではないかと疑い始めます。

この医師は、かつての同僚にこの症状について相談をします。するとその元同僚の医師は、同様の相談を保健当局からもされていたことを明かしました。この流れの中で放射線が原因である疑いが高くなったため、たまたまゴイアニアを訪れていた放射線医学専門家の医師に連絡を取り、線量計で計測が行われました。

建物の前で線量計が振り切れたため、故障であると思って代用の線量計を持って来ますが、同様に振り切れたことで測定できない程の放射線が蔓延していることを察知しました。

29日12時医師がCの解体工場に向かう

Lost Places Factory Old - Free photo on Pixabay (709396)

線量計で計測した結果、被曝事故が起きていることが発覚し、この放射線医師は、保健当局の医師からCの妻が持ってきたセシウムはCの解体工場から持ち出されたものであることが発覚しました。そのため、線量計を持ってCの解体工場へと急いで向かいました。

この解体工場一帯でも、線量計では測りきれない程の放射線量であり、被曝事故が起きていることが明らかになりました。線量計はウラン鉱脈探査の際に使用されるものであり、感度が良すぎたため振り切れてしまったようです。

この時点で2人の医師によってCをはじめとする周辺住民にその場から避難することが呼びかけられました。

29日22時Aが発見され事件の経緯が発覚

Hospital Ward Medical - Free photo on Pixabay (709397)

同日の午後10時になり、事件の発端であるAが、入院していた熱帯病病院で発見されました。幸いにも、放射性皮膚炎であると分かった病院にAも入院していたことで、病院側が同じ症状の患者を調べ出し、他の患者と比べて早めに熱帯病病院に入院していたため見つけ始めてから24時間以内に発見となりました。

Aから話を聞いたことで汚染が始まった場所やある程度の汚染範囲が絞りこまれました。後にAの証言を元に各地で測定が行われ、ゴイアニアの広い範囲で放射線が計測されました。

周辺住民は隔離されることに

Stadium Field Soccer - Free photo on Pixabay (709398)

ゴイアニアに住む住民は、一時的に市内にあるオリンピックスタジアムにブラジル原子力委員会の指示によって隔離されました。これは一刻も早く放射線から離れることで、被曝の可能性を減らすことや症状の重症化を抑え、被害がこれ以上広がらないようにするためです。

また、放射線医師が測定の結果をゴヤス州保健局の秘書官事務所に報告し、政府も発生から16日が経ってこの原子力事故を認識しました。そして世界にもこの事故が報道され、ゴイアニアの被曝事故は瞬く間に世界の話題になりました。

「セシウム137」とは

Poison Bottle Medicine - Free image on Pixabay (709399)

このゴイアニア被曝事故の原因となった放射線、「セシウム137」とは、ウランの核分裂によって生成されるものです。広島・長崎への原子爆弾投下や各国の大規模な核実験で多く検出された物質として知られており、自然界にはほとんど存在せず、そのほとんどが人為的に生成されたものです。

セシウム137が体内に入れば筋肉に集まりやすいという性質があり、内部被ばくを起こす可能性もあります。また、年齢が高いほど体外に排出するまでの日数がかかります。

治療薬であるプルシアンブルーはありますが、被曝してすぐに服用する必要があり、子供に対する使用に関しての安全性は未だ確立されていません。

ゴイアニア被曝事故の周囲・犯人のその後

Protection Of Minors Criminal - Free photo on Pixabay (709400)

ゴイアニア被曝事故が発覚してから、どのような動きが見られたのでしょうか。また、盗みを働いた犯人を含め、被曝した人々はその後どのようになったのでしょうか。

そして現在、解体工場があった場所はどのようになっているのでしょうか。

249名に汚染が認められた

Smoke Smoking Chimney - Free photo on Pixabay (709401)

ブラジル原子力委員会によってオリンピックスタジアムに集められた約12万人の住民は、9月30日から12月22日にかけて全身をチェックされ、汚染が見られないかを確かめられました。

チェックの方法は、放射線計測器によるものと、血液検査で細胞の遺伝子異常が見られないかの検査が行われました。そこで249名に汚染が見つかり、その内120人は幸いにも衣服や靴のみが汚染されており、内部への被曝は見つかりませんでした。

しかし129人からは肌への汚染及び内部被ばくがみられ、重症化した人はリオ・デ・ジャネイロにある海軍病院に入院して治療を受けることになりました。

除染作業が行われる

Hazmat Suit Hazardous Materials - Free photo on Pixabay (709402)

人間が汚染していないか調べると同時に、その人たちが生活していたゴイアニア全体で動植物や建物、乗り物などが汚染していないかも調べられました。今は汚染していなくても、そのような空間で生活することで気づかないうちに放射線を浴び、被曝する可能性があるためです。

除染作業は大規模に行われ、汚染が見つかった家屋の取り壊しや、汚染の認められた表土の入れ替え作業が行われました。汚染物は金属製の容器に密封され、保健所へと運ばれました。

その量は3,600m3にも及び、これによって盗み出された51TBqのセシウムのうち、44TBqが回収されました。また、この除染作業には430万ドル以上がかかったようです。

Aについて

Documentary Black And White Nikon - Free photo on Pixabay (709404)

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