2019年10月15日 更新

ゴイアニア被曝事故とは?発生した場所や犯人のその後についても

ブラジルのゴイアニアという場所で、1987年に被曝事故が発生しました。どこにでもあるごく普通の街で、その悲劇は起きてしまったのです。今回はゴイアニア被曝事故について、その詳しい経緯を時系列で紹介し、事故の原因や犯人たちのその後についても紹介します。

目次

ゴイアニア被曝事故が起きてから、これまでブラジル国外にはあまり知られていなかった都市にもかかわらず、世界中が注目するようになりました。知名度が上がった反面、放射線で汚染された街としてあらぬ噂も立てられていました。

また、ゴイアニア市民=被曝者であるという目で見られ、皮膚に異常がないか上から下までじっくり見られるなど、好奇の目にさらされることも多くありました。

「放射線は怖い」という偏った知識だけで解釈されることで、たまたま住んでいた地域がゴイアニアだったというだけで、ゴイアニア市民は苦しい思いをしました。

汚染していない産物が売れない

Vegetables Vegetable Basket - Free photo on Pixabay (709421)

ゴイアニア被曝事故の前年、ロシアのチェルノブイリでは原子力発電所の事故が起こっており、世界中が放射線に敏感になっていました。もちろん、放射線は怖いもので、知らないうちに被曝する恐れも十分あります。

汚染していない産物までもが放射線に汚染しているのではないか、それを摂取してしまうのではないかという恐怖から人々は買うのを控えるようになりました。

その結果、ゴイアニアだけではなくブラジル全土での風評被害が広まり、農産物は価格が50%に減少、工業製品も40%近くも減少したようです。たとえこれらが放射線検査を受けていても、恐怖心の方が勝り、購入を控えるケースは日本で起きた福島原子力発電所の事故でも起こりました。

ホテル・タクシーの利用を拒否される

Taxi Vehicle Road - Free photo on Pixabay (709422)

ゴイアニア市民は、放射線に汚染されていない人でも他の地域の人からは放射線が移り自分も被曝するのではないかという先入観から、ホテルやタクシーの利用を制限されることも少なくありませんでした。

誰もが放射線に怯えるあまり、ゴイアニア市民というだけで被曝しているというレッテルを張られていたのです。この人たちがホテルやタクシーを利用するには、公的機関の「非汚染証明書」を持ち運んでいなくてはならないほどでした。

また、この扱いが不当であると憤慨したゴイアニア市民は、その後の除染活動や放射線測定作業を妨害することも度々起きたようです。

ゴイアニア被曝事故の再現ドラマは放送され続けている

Nature Panorama Sky - Free photo on Pixabay (709423)

ゴイアニア被曝事故は決して他人事ではありません。一般人ではたとえ傍に放射線を出している物質があったとしてもそれに気づくことはできません。と言う事は、放射装置の扱い方を間違えば、今回のような事故が起こる可能性はどこにでもあるのです。

そこで、ゴイアニアではこの事故を風化させないように、再現ドラマやドキュメンタリーが放送され続けています。また、事故の被害者や盗んだ犯人であるAも当時の様子をカメラの前で語っており、この事故を経験していない人でも、この事故を印象強く持っている人が多いです。

このような事故に遭わないように工夫することは難しいですが、放射線に関する正しい知識を付けることや、危険物の管理は徹底すること、おかしいと感じたらすぐに届け出ることなど各々ができることを実践しましょう。

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