2019年10月15日 更新

ゴイアニア被曝事故とは?発生した場所や犯人のその後についても

ブラジルのゴイアニアという場所で、1987年に被曝事故が発生しました。どこにでもあるごく普通の街で、その悲劇は起きてしまったのです。今回はゴイアニア被曝事故について、その詳しい経緯を時系列で紹介し、事故の原因や犯人たちのその後についても紹介します。

目次

通常であれば、廃品回収をした後はそれを分別し、買い取ってくれるところに売って利益を出すのが廃品回収の仕事ですが、Cは青白く光る物質を見てこのまま売ってしまっては勿体ないと自宅に線源容器を持って帰ってしまいました。

そしてすごいものを回収したと、数人の友人や親戚に見せびらかしたのです。仕事場ならまだしも、生活環境に放射物質を持ち運んでしまったことで事故の規模が大きくなってしまったと考えられています。

21日Cの友人が中から顆粒状のセシウムを取り出す

Flour Dust Hand - Free photo on Pixabay (709347)

数日にわたってCはあらゆる知人に線源容器を見せびらかしていました。そして21日に、この青白く物質をもっと近くで見たい、とCの友人が線源装置に入っていた顆粒状になっているセシウムを取り出しました。

この作業はCの自宅で行われ、まさか放射線が出ているとは微塵も考えていなかったため、誰も防護服を着るなどの予防はしていませんでした。このCの友人はドライバーを用いて、容器からセシウムを取り出したことが分かっています。

Cと友人はそれを持ち帰り親族に配る

Breakfast Delicious Drink - Free photo on Pixabay (709349)

この顆粒状のセシウムは、暗闇で青白く光るため、カーニバルの仮装で光らせるために使えるのではないかと考えたCの友人たちは、この物質を少し分けてもらうように頼みました。Cもこれを快諾し、数人に配ったようです。

そしてCの友人は帰って弟たちにお裾分けしました。また、Cも同様に数人の親戚に配っていたのです。珍しく青白く光る物質を、皆に分けてあげようという親切心が原因でCを中心とする知人や親戚に被害が拡大してしまいました。

Cの妻に下痢の症状が現れる

Body Woman Belly - Free photo on Pixabay (709382)

次第にAとB以外にも体調不良の症状が出始めます。Cよりも先に症状が出たのは、Cの妻でした。Cが自宅にセシウムを持ち帰ってしまったことで、直接触れることはなくても気づかない間に被曝していたのです。

Cの妻に見られた症状は、嘔吐と下痢でした。病院を受診しましたが、Bと同様食物アレルギーだと診断されてそのまま帰宅となりました。また、Cの妻が全く動けなくなったため、地方からCの妻の姉が看病のためにやってきました。

放射線が充満している空間にやってきたため、姉もまた被曝しています。

Cの従業員2名が回転遮蔽装置から鉛を抽出する

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9月22日から24日にかけて、Cの元で働いている従業員の2人がCの指示に従って、回転遮蔽装置から遮蔽体に使われている鉛を抽出しました。もちろんこの2人も鉛を抽出させる作業の途中に多量の放射線を浴びたため、被曝しています。

廃品回収業のため、日ごろから分解作業には慣れている従業員でしたが、回転遮蔽装置を分解するのは初めてのことだったのでやり方が分からず、鉛を抽出するのに時間がかかってしまったのでしょう。

23日Aが皮膚症状で入院

Elephant Skin African - Free photo on Pixabay (709385)

最初はBにしか症状が見られず、Aは嘔吐以外に変わった症状は見られませんでした。また、回転遮蔽装置を分解した後にはCに売却していたためそれ以降放射線を浴びることはありませんでした。

それでも最初に浴びていた放射線が原因で内部被ばくを起こし、24日には皮膚に症状が出てきたのです。病院に行き、原因不明の皮膚病として入院しましたが、誰もこれが放射線によるものであるとは思いもしませんでした。

また、この4日後にAは熱帯病病院に転院しました。

24日Cの隣に住む弟がセシウムの粉末を貰う

Colors Powder Color - Free photo on Pixabay (709386)

Cの隣には実の弟が住んでいました。青白く光る物質を弟にも譲り渡し、ちょうど食事の前に渡したので、それをそのまま食卓に置いた状態で食事がスタートしました。この弟の家には6歳の娘がおり、不思議な青白く光る物質を直接手で触って感触を確かめていました。

運が悪いことにこの日は夕食がサンドイッチであり、娘は手を洗わないまま放射線物質が付着した指を使ってサンドイッチを食べてしまいました。空気感染で被曝するのとは違い、直接物質を飲み込んでしまったためCの姪には早く症状が現れ出しました。

25日Cは回転遮蔽装置と鉛を別の解体業者に転売

Hdr Destroyed Area Old Factory - Free photo on Pixabay (709388)

25日には、Cが回転遮蔽装置と鉛を別の解体業者に転売しました。その時、これまで散々周りに見せびらかしていたセシウムも一緒に売りました。

解体業者もそのようなものを見るのは初めてだったため、それが放射装置であることや謎の粉から放射線が出ていることなどは知る由もなく、通常の業務のように買い取りました。これによって遂にセシウムがCの元から離れ、これ以降Cがセシウムに触れることはありませんでした。

この後すぐにCの妻が取り返しに来るため、幸いにもこの解体業者が被曝したのは少量であり、命に別条はありませんでした。

26日Cの従業員が再度施設に侵入し再び盗みを働く

Window Broke Glass - Free photo on Pixabay (709389)

解体業者に売った翌日、これは金儲けになるとCはAとBから聞いて、本当に廃病院にはお金になるものが残っていると確信し、従業員に廃病院で同じような装置を盗んでくるよう指示しました。

この町はあまり治安が良くなく、窃盗や盗難は日常茶飯事であったため、特別珍しいことではありませんでした。廃品回収業者なので大きな装置を運ぶことには慣れており、それ相応の機会も持っていたため、簡単に盗み出すことに成功しました。廃病院に残っていた総重量300kgもの装置を盗んだようです。

ゴイアニア被曝事故発覚までの経緯

Old Journey Adventure - Free photo on Pixabay (709390)

次々に被曝する人が増え、体調不良の症状も出始めました。しかし誰しもがそれを偶然時期が重なっただけであると解釈し、セシウムが原因であるとは考えませんでした。

では、どのようにしてこのゴイアニア被曝事故は発覚したのでしょうか。

28日同様の症状を訴える患者が急増

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