2019年10月9日 更新

スーパーナンペイ事件の犯人や真相は?被害者はなぜ殺されたのか

夏、盆踊りのシーズンになると思いだしてしまう人もいるという「スーパーナンペイ事件」は、今だに事件の真相や犯人もわかっていません。しかも、ただのアンラッキーな強盗殺人事件ではなく『稲垣則子』という女性のセックスとお金が絡んだ悲劇の殺人事件でした。

目次

会社社長Aさんは、稲垣則子さんからナンペイでの仕事についても「店の警備が不十分で、毎日、レジの計算で1万円が合わなくて怖い」などと相談を受けたこともあったそうです。また、勤めて間もない頃に夜勤店長にならされ、お金を扱って帰るのに社員が誰もいないということでも怖がっていたそうです。

会社社長Aさんは「辞めれば」と勧めたことで、稲垣則子さんは一度パート店員を辞めましたが、ナンペイの役員が「なんとか戻ってくれないか」としつこく言うので、仕方なく復帰することにしたそうです。

しかし、この会話から稲垣さんが月に100万円もらっていたのは過去の話だと推測されますが、この話をすることで、また会社社長に貢いでもらいたいと思っていたのでしょう。もう昔のような付き合いではないけど、苦しい時には支えてくれるという不思議な関係だったようです。

復帰した日に事件が起こる

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稲垣則子さんからナンペイでの仕事についても「店の警備が不十分で、毎日、レジの計算で1万円が合わなくて怖い」などと相談を受けていた会社社長Aさんが「辞めれば?」と言って、パート勤務を辞めていたところに「どうしても」と言われて復帰した日に事件があり、稲垣則子さんは処刑スタイルで射殺されました。

そこで、なぜ「どうしても復帰してほしい」と言われていたのか不思議だったそうです。誰かが、稲垣則子さんを利用して、強盗しようと企んでいたとも考えられます。稲垣則子さんも、上手く乗せられて「犯人に協力すれば分け前をもらえる」という話であったとも言われています。

しかし、この社長は知っていたのか?知らなかったのか?どちらにせよ、稲垣則子さんが殺害されるとは寝耳に水だったようです。スーパーで働きたくて働くならともかく、スーパーで働きたくないのに「どうしても」と言われて戻るようなタイプの人間には思えません。何かしらの意図があったのです。

警察やマスコミから犯人扱いされる日々

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会社社長Aさんは、稲垣則子さんの葬儀に出向こうとしましたが、数多くのマスコミが葬儀場を取り囲んでおり、あらぬ疑いをかけられるのが嫌で参列をとりやめましたが、しだいに警察に、ナンペイ事件の捜査で追われ始め、霞ヶ関にある警視庁で取調べされるようになりました。

刑事はAさんに自信あり気に「銃に詳しいそうですね」と、Aさんには身の覚えがないことばかり質問し始め、常にAさんの行動を監視するようになったとか。2002年5月17日深夜、会社の窓ガラスに拳銃で発砲事件が発生した際には、被害者なのに、ナンペイの拳銃がないか探しに来られました。

Aさんと親しかった、右翼団体幹部宅でも発砲事件があり、また取り調べを受けさされ「依頼殺人の線もある」と言われ、2005年に知人の元暴力団に「病因に行く金が無い」と言われて10万円持たせると、別件で逮捕してナンペイの自白をさせようとするなど、ずっと警察とマスコミに追われる日々だったそうです。

稲垣則子さんが通っていたスナック店員の証言

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被害者が通っていたスナックのママの証言から、稲垣さんは中学を卒業後、集団就職で上京し、会社に勤めていましたが、30歳前後で水商売に転身していたそうです。

その後、八王子市内の高級クラブに務めるようになり、またたく間に実績を上げてNo.2にまでなりました。3年後に独立して、八王子市内の繁華街に『わかお』というスナックをオープンさせ、結婚もして子どもも授かり順風満帆の生活を送っていたようです。

しかし、3年後に離婚するなど、徐々に下り坂になり、独立から10年後に店を閉店し、スーパーでパート勤めをしながら、介護福祉士を目指すという生活を送っていたのです。

稲垣さんは男性トラブルが絶えなかった

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水商売から足を洗っても、水商売時代の派手な交友関係を改めたわけではなかったようです。常に4~5人のパトロンらしい男性がおり、事件の時に送り迎えしていた67歳の元公務員の森崎さんも、昔は男女関係にありましたが、その後に飲み友達になったそうです。

このスーパーにパート勤務することにしたのも夜間店長になったことも、一人のパトロンの強い勧めがあったそうで、スーパーの経営者で店長にも、自分との男女関係を持ちかけていたそうです。

とても気性が荒い性格

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水商売では有名であったというのも事実であったようで、クラブのホステス時代から同伴でお寿司屋さんを利用しており、同伴客がトイレに立った間に、仕入れで2~3万円するような高価なマグロのサクを新聞紙に包んで、ハンドバッグにしまい込み、そのまま男性客に支払わせようとすることがたびたびあったようです。

自分の店であるスナック『わかお』では値段をふっかけて請求することで喧嘩騒ぎが多く、しょっちゅうパトカーがやって来ており、時には救急車も来ていました。

スーパーナンペイ事件の真犯人は?

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スーパーナンペイ事件が起きた当時は、外国人窃盗団なるものによる犯罪が出回り始めた頃でした。発展途上の外国人からすると「日本人は、みんなお金持ちなのに防犯意識がゆるい」と思って当然というほど、今ほど防犯に対する危機管理もなかったでしょうし、方法さえ知りませんでした。

今でも「日本は安全な国」ということで有名ですが、海外との交流する機会も増えたことで、少しずつ変わってきています。ここでは「スーパーナンペイの真犯人ではないか?」と考えられているさまざまな説や有力な証言をご紹介していきます。

暴力団関係者

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スーパーナンペイ事件とは別件で拘置されていた暴力団関係者が「犯人の実名を挙げた手紙が存在する」と別の拘置所の知人に宛てた手紙があり、自身が事件の一部に関与したことを示唆し「実行犯は、元自衛官で現在は清瀬市で新聞配達員かクリーニング店の店員をしている『小野寺トオル』だ」と名指ししされました。

この手紙には、報道されていなかった金庫の中の金額を正確に書かれていたのです。報道では金庫の中身は400~500万とされていましたが、当時の『ナンペイ大和田店』の専務兼店長によると「実は、交通事故の示談金で、もう300万円は入っていたが、警察には言っていなかった」と証言しています。

手紙はガセネタだとされましたが、なかなか犯人が特定できないのは、武器を用意する人・下見をする人・情報を集める人・実行犯など「分業制」だったから。実行犯は、案内役の日本のヤクザと手っ取り早く荒稼ぎしたい中国人の「日中混成強盗団』で、日本中を荒らしまわっていたからだそうです。

2002年に銀行強盗未遂で逮捕された男

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「国松長官狙撃事件への関与を認め、2001年に起きた三井住友銀行の現金輸送車襲撃事件と、旧UFJ銀行都島支店強盗殺人未遂事件でそれぞれ無期懲役、懲役15年の判決を受け、服役中の身で、報道当時77歳の男『中村泰』が、事件に関与しているのではないか?」との報道が行われました。

東京大学を中退しており「東大中退テロリスト」と呼ばれ、信用金庫や事務所に侵入し「金庫破り」をしていましたが、1956年26歳の時、都民銀行三鷹支店にも侵入し失敗。帰りに車で休憩中、警視庁の山川治男巡査から職質を受け、とっさに銃撃し殺害・逃走した「山川治男巡査殺害事件」の犯人でもありました。
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逮捕された時、15丁の銃器と1000発の銃弾を所持していたそうですが、これらの銃器が多くの事件で使われていたのではないかと言われ、警察庁科学警察研究所などで分析されました。

結果、この男が、1997年『大阪厚生信用金庫深江支店』で起こしたとされる強盗未遂事件で使用された銃弾の線条痕が、スーパーナンペイ事件の現場で見つかった銃弾の線条痕に酷似していると言われました。事件当時、男は八王子周辺に居住していましたが、証拠や具体的な関与は不明で逮捕に至っていません。

この男は、スーパーナンペイ事件の4ヶ月前に発生した『警察庁長官狙撃事件』でも名前が挙がり、長官狙撃犯を自称しますが、ナンペイ事件への関与は全面否定しています。2007年7月、大阪地方裁判所は、この男を殺人鬼と決め付けた『週刊新潮』に対して名誉毀損を認定し、賠償金80万円の支払いを命じています。

中国人強盗グループ関係者

Webley Scott Mark Vi Revolver Gun - Free photo on Pixabay (685574)

日本の9都県で資産家宅を狙い、被害額は約6億円で計17件の強盗事件を犯した日中混成強盗団のリーダー格で、覚醒剤所持の罪で、死刑が確定している日本人男性死刑囚が「スーパーナンペイ事件に関する情報を知っている」と『中国公安当局』に証言したと報じられ、2009年9月に日本の捜査当局も面会し事情を聴きました。

この日本人死刑囚は、日本警察の事情聴取で「日本で強盗団に加わっていた中国人の男が実行犯を知っているかも」「日本で一緒に強盗団にいた時、ナンペイ事件が話題になったが詳しく知っていた」と証言しました。この日本人死刑囚は、中国・大連刑務所にて2010年4月9日午前9時、死刑が執行されています。

日本警察は、この元日本人死刑囚が説明した中国人の男が「福建省出身で、1994年、日本での不法滞在が摘発され強制送還されたが、1995年、日本に密入国し中国人強盗グループのメンバーになった」ということを突き止めました。

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