2019年10月26日 更新

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要は?事件のその後も

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を知っていますか?5人の被害者のうち死亡したのは4名。壮絶なリンチの末、命を奪った凶悪事件のひとつです。この残酷な事件はたった11日間で行われました。この事件の概要や、事件のその後について紹介します。

目次

小森淳は大阪府松原市生まれ。主犯格の2人に比べると、比較的恵まれた家庭環境とも言えます。しかし3人姉弟の末っ子ということで、待望の男の子に対する両親の期待は大きかったようです。

甘やかされて育てられ、叱られることは無かったと言われています。中学時代からシンナー吸引や万引などの悪行を繰り返してきました。

高校も中退しふらふらとしていた中に出会ったのが、暴力団の元組員T。元組員Tに心酔し暴力団の準構成員となる際は、小森淳に手をやいていた両親も「よろしくお願いします」と言い預けたそうです。

主犯格・芳我匡由(河渕匡由)の生い立ち

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芳賀匡由は大阪府西成区にて7人兄弟の4人目として生まれました。両親はいたが父親は背中に入れ墨を入れている元暴力団員で母親はあまり家事をせず、育児に関しては放任していたそうです。

父親がサラ金に手を出してからは、夫婦が別居。母親はますます家事をしなくなり、芳賀匡由の家庭環境は荒んでいくばかりでした。身なりの汚さから小学校時代はイジメを受けていたと言います。

一時期少年野球にのめり込みますが、小学校でのイジメや家庭環境から逃避したいという気持ちから小学校6年生でシンナーに手を出します。

主犯格らの関係・事件前の動向について

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主犯格らが出会ったのは、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺害事件のわずか2週間ほど前でした。小林正人が愛知県で強盗致傷容疑で指名手配をされたことで、大阪に逃亡。逃亡先でふらふらとしていた時に、パチンコ店で偶然出会ったのが小森淳でした。

山口組に所属していることを打ち明けた小森淳に対し、自分も暴力団に入りたいと小林正人は願い出ます。この時に紹介したのが、自身の組を立ち上げようとしていた男性T。配下に入りたいと願った小林正人を、その場で受け入れました。

この1ヶ月後にTの配下に入ったのが、芳賀匡由です。この出来事をきっかけに、主犯格グループは行動を共にすることになります。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判

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事件があった翌年1995年5月に小林正人の初公判が、同年6月に小森淳の初公判が行われました。主犯格ら3人は全く反省の色が見られず、遺族者たちをさらに傷つけました。

被害者たちが命乞いをしていたにも関わらず、暴行を続け数々の命を奪った彼らは、自分たちは未成年だから死刑にはならないと高をくくっていたと言います。

11日間に渡り、4人の命を奪った彼らにくだされた判決は死刑。これに対して弁護側は判決訂正を申し立てていますが、棄却されました。

主犯格3人に反省の色は見られなかった

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公判中も主犯格ら3人は一切反省の色を見せることはありませんでした。小林正人は傍聴席にいる知り合いを顔を見つけた際や、遺族の顔を見た際にニヤニヤと笑ってたと言います。

入廷後は無意味にキョロキョロとしていたり、わざとらしいため息をついたりとふざけているとしか言いようが無い態度で遺族者たちの心を逆撫でしました。

「自分たちは未成年だから死刑にはならない」「俺の刑はどのくらいなのか」と、話していたそうです。

主犯格3人に対し死刑が確定

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結果的に主犯格である小林正人・小森淳・芳賀匡由の3人は死刑を言い渡されました。しかし第一審判決公判では、小林正人のみが死刑判決で残りの2人は、無期懲役という判決がくだされました。これに不服とした弁護側・検察側が控訴したことで控訴審が行われることとなったのです。

2005年10月に行われた控訴審判決で3人に言い渡されたのは、死刑。死刑を言い渡された3人の顔は青ざめていたと言われています。判決が不服として3人は上告したが、2011年3月10日に開かれた上告審判決において棄却されました。

芳我が文藝春秋に対し訴訟

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芳賀匡由は公判中に、週刊文春で報じられた内容に対し訴訟を起こしました。その内容というのは、自身が強盗殺人として起訴されているのは、長良川事件だけにも関わらず連続殺人犯のように報道されていることの相違。

また記事内に置いて仮名を使っているが、安易に実名が分かる内容になっていることや写真などでプライバシーが掲載されていることなどについて言及しました。

プライバシーの侵害と名誉毀損で訴訟を起こしましたが、最終的には文藝春秋が勝訴したことで幕を閉じています。

小林が接見妨害に対し訴訟

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死刑確定後にも小林正人は自らの意思主張を続けていました。拘置所に預けていた公判資料10箱分のうち3箱を、無断で破棄されたことによる心理的苦痛を受けたとして損害賠償を求める訴訟も起こしています。

また職員の立ち会い無しの接見を求めた際や、弁護士との接見を求めていた際にもかなわなかったことが何度かあることから、接見妨害として776万円の損害賠償を求めました。結果的に「接見交通権を侵害され心理的苦痛を受けていたのは明らか」ということで、国から63万円の損害賠償が小林正人に支払われています。

少年らが「犯罪者」になってしまった原因とは

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どんな凶悪犯でも、生まれてきた時は無垢な存在だったはずです。なぜ彼らはシンナーや万引き、恐喝などの悪事に手を染めることになってしまったのでしょうか?

彼らの生い立ちを見ていると家庭環境や生活環境が大きく影響していると言わざるを得ません。周りを取り巻く環境が性格を歪ませ一般的な感覚が作られることなく、このような事件を平気で起こせるような人格を形成してしまったと言えます。

決して彼らを擁護するつもりはありませんが、無条件に包み込む愛を幼少期から与えられていれば、このような結果には至らなかったかもしれません。

家庭環境

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小林正人と芳賀匡由の共通点は、劣悪とも言える家庭環境でした。小林正人は生まれてすぐに養子に出されてしまい、親からの本当の愛情を知らずに育っています。少年時代は大人の男性に怯え、女性に対しては以上に甘える極端な態度を見せる子供だったそうです。

芳賀匡由は学校ではいじめられ、家では1つのカップラーメンを兄弟で分けて食べるほどの悪環境のもと過ごしていました。心の拠り所が無く、小林正人と同じように親からの愛情を知らずに育ったのかもしれません。

生活環境

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