目次
- 3つの県で発生したリンチ殺人事件
- 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要
- 事件の少し前に松本サリン事件が発生する
- 1994年9月28日男性1名がリンチにより死亡
- 1994年10月6日男性1名がリンチにより死亡
- 1994年10月7日男性2名がリンチにより死亡、1名負傷
- 被害男性の供述から犯行が明らかになる
- 警察が少年グループを指名手配
- 主犯格の小林・小森が警察に出頭
- 主犯格・芳我は逃走するも逮捕された
- 6つの罪で起訴される
- 【第一の事件】1994年9月28日発生「大阪事件」
- 繁華街で男性2名に対して因縁をつける
- 男性Bは逃走し男性Aをマンション一室に連れ込み監禁
- 仲間と共に男性Aを身動きできない状態にする
- 19時間にわたり暴行を繰り返す
- 男性Aの所持品を奪い押入れに閉じ込める
- 29日夜から更に過激な暴行になっていく
- 警察を恐れた3人は男性Aを絞殺
- マンションの借主の車で遺体を運び遺棄
- 11月22日男性Aの遺体が発見される
- 【第二の事件】1994年10月6日発生「木曽川事件」
- 10月1日高校生3人組を恐喝し1人を拉致監禁
- 被害者の通報により少年グループの1名逮捕
- 主犯格らは逃走
- 10月4日松原市で男性Vに声をかける
- 男性Vは主犯格らの仲間になる
- 10月6日少女W・少年Xと合流しシンナーパーティーを行う
- シンナーを吸う為に男性Z宅へと向かう
- シンナーを持った男性BがZ宅を訪れる
- 小林と男性Bが喧嘩を始める
- 主犯格らが男性Bに対し暴行を始める
- 7時間に及ぶ暴行を行った
- 午後10時にZ宅を後にし緑地公園へ
- 場所を変えながら更に暴行を加える
- 男性Bを雑木林で殺害
- 10月13日に男性Bの遺体が発見される
- 【第三の事件】1994年10月7日発生「長良川事件」
- 午後10時頃ボウリング場で男性3人を脅し暴行
- 軽自動車・金品を奪い拉致監禁
- 監禁した車内・移動先で暴行を加え続ける
- 男性C・Dに対し暴行を働き死亡させる
- 男性Eは男性C・Dがリンチされている間、別の車に監禁されていた
- 大阪市内で男性Eは解放された
- 事件のその後の動き
- 男性Eからの事情聴取で事件簿全貌が明らかに
- 10月9日男性Vと犯人グループの女性が取り押さえられる
- 少年X・少女Wが自供し逮捕される
- 10月14日に小林が逮捕される
- 10月15日に小森が出頭する
- 1995年1月17日芳我が逮捕される
- 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の真相
- 大阪事件の後、中華料理店で食事をしていた
- 木曽河事件を起こす前、芳我は恩師の下を訪れた
- 男性Bと交際していた女性を小林が強姦していた
- 男性のEの車には主犯格の指紋が残されていた
- 男性Eが殺害されなかった理由は「無抵抗だったから」
- 小林は10日の夜、知人男性に相談をしていた
- 主犯格・小林正人の生い立ち
- 主犯格・小森淳(大倉淳)の生い立ち
- 主犯格・芳我匡由(河渕匡由)の生い立ち
- 主犯格らの関係・事件前の動向について
- 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判
- 主犯格3人に反省の色は見られなかった
- 主犯格3人に対し死刑が確定
- 芳我が文藝春秋に対し訴訟
- 小林が接見妨害に対し訴訟
- 少年らが「犯罪者」になってしまった原因とは
- 家庭環境
- 生活環境
- 性格
- 実際に起きた少年少女による殺人事件
- 川崎中1殺人事件
- 佐世保小6女児同級生殺害事件
- 長崎男児誘拐殺人事件
- 山形マット死事件
- 西鉄バスジャック事件
- 少年らによる残忍な殺人事件を忘れてはいけない
次に逮捕されたのが小森淳でした。彼も殺人容疑で指名手配をされていましたが、別に起こした強盗事件で出頭したことにより逮捕。
主犯格らが集まった当時は、立場的なものもありリーダー格だったようです。しかし最後のながら事件においては、被害者の解放を促したり水分補給をさせたりと、被害者に同情をするような言動をみせています。
彼がもう少し、強い意思を示していれば長良川事件においては死者が出なかったのかもしれません。
主犯格らが集まった当時は、立場的なものもありリーダー格だったようです。しかし最後のながら事件においては、被害者の解放を促したり水分補給をさせたりと、被害者に同情をするような言動をみせています。
彼がもう少し、強い意思を示していれば長良川事件においては死者が出なかったのかもしれません。
1995年1月17日芳我が逮捕される
via pixabay.com
主犯格3人の中で、最後まで逃走をしていたのが弟分的な存在だった芳賀匡由でした。彼は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の混乱の中で和歌山県へと逃走。
逃走先である和歌山市内のラブホテルに女性をいるところを、大阪府警南署に逮捕されました。世間は大震災に注目していたため、最後の主犯格が逮捕された瞬間というのはメディアに大きく報じられませんでした。
主犯格が全員逮捕されたのは、最初の事件発生から約3ヶ月後。これが早いと感じるか、遅いと感じるかは人それぞれの感覚によるかもしれません。
逃走先である和歌山市内のラブホテルに女性をいるところを、大阪府警南署に逮捕されました。世間は大震災に注目していたため、最後の主犯格が逮捕された瞬間というのはメディアに大きく報じられませんでした。
主犯格が全員逮捕されたのは、最初の事件発生から約3ヶ月後。これが早いと感じるか、遅いと感じるかは人それぞれの感覚によるかもしれません。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の真相
via pixabay.com
本来の感覚の持ち主であれば、人を殺害した後は取り乱し普通の生活を送れなくなるのではないかと考える人も多いでしょう。しかし大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺害事件に関わった人物たちは、通常では考えられない行動を起こしています。
それは自らが起こした事件に対する罪悪感を抑えるものなのか、本当に何も感じずに生活をしているのか知る由もありません。
各事件の前後の行動や、木曽川事件のきっかけとなった出来事をみていきましょう。
それは自らが起こした事件に対する罪悪感を抑えるものなのか、本当に何も感じずに生活をしているのか知る由もありません。
各事件の前後の行動や、木曽川事件のきっかけとなった出来事をみていきましょう。
大阪事件の後、中華料理店で食事をしていた
via pixabay.com
この連続リンチ事件は11日間に渡り、3ヶ所で起きています。最初の現場となったのが、大阪事件。これは主犯格ら3人が最初に殺害を犯した事件とも言えます。
初めて人を殺したとなると、通常であればかなりの動揺をしそうなものですが、彼らは被害者をリンチにより殺害した後に現場の1階にある中華料理店で食事をしていてそうです。
中華料理店で食事をした後に、車を借りて息を引き取った被害者男性を遺棄する場所を探し始めました。
初めて人を殺したとなると、通常であればかなりの動揺をしそうなものですが、彼らは被害者をリンチにより殺害した後に現場の1階にある中華料理店で食事をしていてそうです。
中華料理店で食事をした後に、車を借りて息を引き取った被害者男性を遺棄する場所を探し始めました。
木曽河事件を起こす前、芳我は恩師の下を訪れた
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大阪事件を起こした主犯格らは、愛知方面へと足を伸ばします。その道中で立ち寄ったのが、芳賀匡由の少年野球チーム在籍時代の恩師が居るグラウンドでした。
芳賀匡由は、恩師を兄のように慕っていて心を許していた相手だったのかもしれません。恩師が千円札を何枚か芳賀匡由に手渡して「少年らにジュースを」と伝えましたが、そのお金を持ったまま小林正人らが待つ車に乗り込み帰ってこなかったそうです。
その際に芳賀匡由は事件については一切語ろうとはせずに「こんな生き方しかできない」と話し、恩師の元を後にしています。
芳賀匡由は、恩師を兄のように慕っていて心を許していた相手だったのかもしれません。恩師が千円札を何枚か芳賀匡由に手渡して「少年らにジュースを」と伝えましたが、そのお金を持ったまま小林正人らが待つ車に乗り込み帰ってこなかったそうです。
その際に芳賀匡由は事件については一切語ろうとはせずに「こんな生き方しかできない」と話し、恩師の元を後にしています。
男性Bと交際していた女性を小林が強姦していた
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木曽川事件の被害者となったのが、小林正人の昔からのシンナー仲間であったBでした。昔からの仲間であったにも関わらず、今回の事件当日に出会った時から一触触発の状態であったのは女性トラブルが原因。
当初Bが付き合っていた彼女を、小林正人が強姦していたことで恨みが募っていたようです。その恨みが残った状態での再会となったため、小林正人に対して被害者Mは挑発的だったとか。
暴力で解決しようとした小林正人に対し「(昔の出来事を)警察にばらすぞ」と言った一言が事件の引き金のひとつとなりました。主犯格らはこの時点で、警察という言葉にとても敏感になっていたと思われます。
当初Bが付き合っていた彼女を、小林正人が強姦していたことで恨みが募っていたようです。その恨みが残った状態での再会となったため、小林正人に対して被害者Mは挑発的だったとか。
暴力で解決しようとした小林正人に対し「(昔の出来事を)警察にばらすぞ」と言った一言が事件の引き金のひとつとなりました。主犯格らはこの時点で、警察という言葉にとても敏感になっていたと思われます。
男性のEの車には主犯格の指紋が残されていた
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最後の事件となった長良川事件では、被害者Eの車も主犯格らに取り上げられました。Eが大阪で解放されてからすぐに、車も愛知県一宮市内で発見されています。
証拠隠滅をしようとしたのか、車には消火剤をかけていましたがこれが主犯格らにとっては逆効果。消火剤によって小林正人の指紋が、車のガラスにくっきりと浮かび上がりました。
彼らの短絡的かつ衝動的な行動をし続けていたことが、この一見でも強く納得できる内容です。
証拠隠滅をしようとしたのか、車には消火剤をかけていましたがこれが主犯格らにとっては逆効果。消火剤によって小林正人の指紋が、車のガラスにくっきりと浮かび上がりました。
彼らの短絡的かつ衝動的な行動をし続けていたことが、この一見でも強く納得できる内容です。
男性Eが殺害されなかった理由は「無抵抗だったから」
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長良川事件ではC・D・Eの3人がターゲットにされていたにも関わらず、Eだけは命を奪われることなく解放されました。後にその理由を「Eは暴行されている間も抵抗することが無かった」と語っていたようです。
C・Dは暴行されている間に、必死に抵抗をしていたため両腕はボロボロに骨折していたことがわかりました。
Eは主犯格グループからボウリング場で声を掛けられた時点で、自分の財布からキャッシュカードと現金11,000円を抜き取りトレーナーの袖口に隠していたそうです。
C・Dは暴行されている間に、必死に抵抗をしていたため両腕はボロボロに骨折していたことがわかりました。
Eは主犯格グループからボウリング場で声を掛けられた時点で、自分の財布からキャッシュカードと現金11,000円を抜き取りトレーナーの袖口に隠していたそうです。
小林は10日の夜、知人男性に相談をしていた
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小林正人は長良川事件を起こした後に、地元にある愛知県一宮市に戻りました。警察の目を気にしているのか、一点には留まらずシンナー仲間などの家を転々としていたようです。
その中の1人である女性が紹介したのが男性XX。小林正人は10月10日に、その男性XXの家へ相談へ行きました。「人を殺してしまった。逃げられる場所を教えてほしい」という内容でしたが、その話をする小林正人は一切の動揺をみせなかったと言います。
その中の1人である女性が紹介したのが男性XX。小林正人は10月10日に、その男性XXの家へ相談へ行きました。「人を殺してしまった。逃げられる場所を教えてほしい」という内容でしたが、その話をする小林正人は一切の動揺をみせなかったと言います。
主犯格・小林正人の生い立ち
via pixabay.com
本籍は愛知県稲沢市ですが、生まれたのは愛知県一宮市。母親は高齢出産ということもあり、小林正人が生まれてすぐに死別してしまいました。父親はいたが、育児に不安を感じ親戚の家に養子に出すことを決意。
養子先となったのが、養母の弟4人のうち3人が暴力団員という凄まじい環境でした。養子に預けられてすぐに、養父の事業が失敗し破産に追い込まれたことで、小林正人を取り巻く環境はますます劣悪なものとなったようです。
養母にはタバコの火を手に押し付けられるなど、日常的に虐待を受けていました。
養子先となったのが、養母の弟4人のうち3人が暴力団員という凄まじい環境でした。養子に預けられてすぐに、養父の事業が失敗し破産に追い込まれたことで、小林正人を取り巻く環境はますます劣悪なものとなったようです。
養母にはタバコの火を手に押し付けられるなど、日常的に虐待を受けていました。
主犯格・小森淳(大倉淳)の生い立ち
via pixabay.com
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