2019年10月26日 更新

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要は?事件のその後も

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を知っていますか?5人の被害者のうち死亡したのは4名。壮絶なリンチの末、命を奪った凶悪事件のひとつです。この残酷な事件はたった11日間で行われました。この事件の概要や、事件のその後について紹介します。

目次

主犯格の中で、長期間に渡り逃亡し続けたのが芳賀匡由です。芳賀匡由が逮捕されたのは、和歌山市内のラブホテルでした。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の混乱を利用して地元の神戸から和歌山へ逃走したと言われています。

ここから事件の真相はさらに明らかとなり、衝撃的な内容が暴かれることとなるのです。

逮捕当時、加害者の少年たちは反省の色を見せる気配がありませんでした。これらの言動が、遺族たちの心を深く傷つけています。

6つの罪で起訴される

Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (711960)

大阪・愛知・岐阜連続リンチ事件に関与した人間は何人もいますが、最も悪質だとされたのは主犯格である3人でした。この3人に対しては、恐喝・強盗致傷・監禁・殺人・強盗殺人・死体遺棄の6つの罪により起訴されています。

たった11日間で未成年の少年が、ここまで重い罪をいくつも犯したことは日本犯罪歴史においても最恐クラスといえるのではないでしょうか?

事件発生当時には、他の事件によりクローズアップされていませんでしたが、ネット上では恐ろしい事件の1つとして語り継がれています。

【第一の事件】1994年9月28日発生「大阪事件」

Japan Osaka Dotombori - Free photo on Pixabay (711961)

今まで紹介したのは、この凶悪事件のほんの一部分です。先述しているように、わずか11日間という短い期間で若者の尊い命が奪われたことを決して忘れてはいけません。

大阪・愛知・岐阜で発生した事件の流れをさらに詳しくみていきましょう。まず最初に説明するのが、1994年9月28日に発生した大阪事件です。この大阪事件ですでに、小林正人・小林淳・芳賀匡由の3人は犯行に大きく関与しています。

この3人が知り合うきっかけとなった出来事は、後に説明します。

繁華街で男性2名に対して因縁をつける

Japan Osaka Night - Free photo on Pixabay (711964)

大阪事件が起きたのは、1994年9月28日深夜1時。小林正人と芳賀匡由の2人が大阪府の道頓堀ですれ違った当時26才の2人に因縁をつけたことが、事件のきっかけとなりました。

因縁をつけられた2人が口にした言葉に逆上し、加害者である2人は何度も殴りつけたと言われています。当初は強盗目的だったが、暴行をしている中でいわゆる「タコ部屋」で働かせようと考えて拉致をしました。

この時にすれ違わなければ、逆上したきっかけとなる一言を発することが無ければ命を落とすことはなかったのかもしれません。しかし、被害者には命を落とさなければならない理由は何ひとつないはずです。

男性Bは逃走し男性Aをマンション一室に連れ込み監禁

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (711966)

当時26才だった被害者2人は、暴行された後に小林正人と芳賀匡由の2人により暴力団事務所まで連れてこられました。事務所前に来た時に、被害者の1人が逃げたため残った1人だけをたまり場であるマンションの1室に連れて行くことを決意。

結果的に死亡するまでの19時間、被害者はこのマンションで監禁されることとなりました。結果論に過ぎませんが、命を落としたこの青年もどこかのタイミングで逃走することができなかったのかと悔やまれるばかりです。

仲間と共に男性Aを身動きできない状態にする

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被害者男性をたまり場としているマンションの1室に連れ込んだ後は、着ている服を脱がせて裸にしました。その上、両手首・両足首を縛り声が出ないように、顔にもガムテープを巻きつけて逃走どころか一切の身動きをできない状態にしたのです。

この辺りのタイミングで、大阪・愛知・岐阜連続リンチ事件の主犯格の1人である小森淳が合流したと思われます。彼が合流したことが、暴行をエスカレートさせるきっかけとなったのは間違いないでしょう。

19時間にわたり暴行を繰り返す

Hand Faust Violent - Free photo on Pixabay (711968)

被害者男性を連れ込んだマンションの1室での暴行は、約19時間にも及びました。小林正人の少し幼さの残る風貌のせいか、被害者は彼に犯行的な態度に出ていたようです。

この反抗的な態度が、小林正人の暴行をエスカレートさせるきっかけとなりました。小林正人が行った暴力に対し、後から合流した小森淳が「お前の生まれた土地ではそんなものか?」という挑発をきっかけに、2人は競争するかのように暴行を加え続けています。

男性Aの所持品を奪い押入れに閉じ込める

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エスカレートした暴行の末、ぐったりとした被害者男性を持て余した加害者たちは、当初の目的通りにタコ部屋(飯場)に売り飛ばそうと考えます。

すでに犯行する力の残っていない被害者の携帯電話や指輪を強奪した後に、押し入れに閉じ込めて取引相手に連絡を取りました。連絡を取ったものの「今はクルマが出せない」「上のものがいないから、すぐに判断できない」など、思うような返事はもらえなかったそうです。

加害者グループは、次第に焦りを苛立ちを募らせることとなります。

29日夜から更に過激な暴行になっていく

Crime Criminal Murder - Free image on Pixabay (711971)

被害者を売るために取引先を連絡を取ったものの、なかなか回答を得られなかった加害者少年たち。回答を待っている間は、時間つぶしにシンナーを吸引したり賭けトランプに興じていたようです。

しかし取引先から一項に連絡が来ないことと、賭けトランプに負けた腹いせに再び暴行がスタートします。この時には事件発生時から日付も変わり、10月29日の夜となっていました。

想像するだけでも目を覆いたくなるような過激な暴行は、留まることがありませんでした。

警察を恐れた3人は男性Aを絞殺

Man Dead Death - Free image on Pixabay (711975)

苛立ちが最高潮となっている加害者たちは、殴る・蹴るの暴行だけでは収まりませんでした。被害者の体にできた傷口をペンでつついたりオイルを垂らして火をつけたりと、むしろ過激さを増しています。

シンナーを吸引したことにより、この空間には正常な判断ができる人間は存在しませんでした。

また仲間内での虚勢心やその場のノリで、この暴力をやめるどころかヒートアップしていったのは容易に想像できます。被害者はどのような思いで、この地獄のような時間を過ごしたのでしょうか。

マンションの借主の車で遺体を運び遺棄

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