2019年6月12日 更新

岡山地底湖行方不明事件の真相! 白米美帆たちの不可解な行動とその後

2008年に起きた岡山地底湖行方不明事件。洞窟探検サークルの男子学生の1人が、行方不明となり未だ未解決事件として扱われています。事件当時の流れや、その後の不可解な行動など多くの疑問を残す事件となりました。謎が多く残るこの奇妙な事件を徹底解析です。

目次

1955年に岡山県の天然記念物に指定された日咩坂鍾乳穴は、全長1,600メートルにもなる巨大な鍾乳洞です。観光洞にはなっておらず、誰もが気軽に立ち寄れる場所ではありません。

天候や季節によって水位が変わる神の池までは高さもあり水平な道中ですが、その先は匍匐前進をしないと通れない場所やロープを使わないと降りられない崖のような場所など難所が続きます。

外からの光が差し込む星穴・大穴など、自然が作り出す幻想的な美しさを体感できる貴重な場所です。

崩落の危険もある洞窟

Rock Wall Crevices Geology - Free photo on Pixabay (367003)

先述しているように神の池まで続く道のりの中には、星穴・大穴など頭上から光が差し込む場所があります。これらは天井が崩落したことにより誕生したものです。

洞内は大きな石が転がっていて、足場を悪くさせています。足場が悪いだけではなく、視界も悪いため最終地点となる地底湖までたどり着くのはかなりの至難の技と言えます。いつ崩落してもおかしくないような場所が少なくないため、奥まで進むのには、危険と隣り合わせと言っても過言ではありません。

入洞の届け出はしておらず

Writing Pen Man - Free photo on Pixabay (367093)

現在では日咩坂鍾乳穴に入ることができませんが、事件当時は入洞が可能でした。新見市教育委員会に届け出れば、入れる状態だったのです。しかし高知大学洞窟探検サークルメンバーは、事件当時入洞許可を得ていませんでした。

事件当時に限らず、教育委員会への届け出をせずに鍾乳洞に入っていたのが常習化していたようです。しかし残念なことに、このサークルメンバーに限らず、入洞届けをせずに立ち寄っている人も少なくありませんでした。

地底湖までの道のり

Falkensteiner Cave Caves - Free photo on Pixabay (367103)

名倉祐樹さんが行方不明となったのは日咩坂鍾乳穴入り口から、約1,600メートルほどの場所にある地底湖です。入洞して700メートル先にある神の池より先は、池の水が引いた時にしか入れません。

少しの間、晴れ間が続くだけではこの奥へ続く穴は見つからず、地底湖まで行こうとする人は冬の時期を狙って入洞します。道中の高低差も激しく、前へ進むにも一筋縄ではいかず片道約3時間かかる道のりです。

この場所の最終地点となっている地底湖は、水深32メートルもの巨大な湖となっています。

捜索活動について

Police Fog - Free photo on Pixabay (367126)

鍾乳洞から出てきたサークルメンバーの電話により、この事件が発覚しました。捜索を担当したのは岡山県の新見署です。通報された時間、行方不明となった場所の地形などを考えると、捜索に困難を極めることは容易に想像できます。

行方不明者を何としても見つけ出さなければならないといいう強い意思と共に、捜索活動の中で2次災害をだしてしまうことば絶対にあってはならないという気持ちで望んでいたようです。

場所が場所なだけに、捜索は難航しました。通報されてから、打ち切りまでの捜索活動の詳細を紹介します。

徹夜での捜索活動

Moon Full Sky - Free photo on Pixabay (367130)

行方不明になった人物がいると通報があったのは2008年1月5日の午後6時15分ころ。岡山県の1月日没時間は午後5時すぎなので、外はかなり暗くなっていると予想されます。暗い中での捜索は、いくら経験を積んだプロでもとても危険です。

本来であれば夜の捜索はせずに、次の日の朝から行動を開始するのが一般的ですが、現場は鍾乳洞内。日中でも暗闇に包まれている場所ということで、通報後すぐに捜索が開始されました。

帰りの体力を考えながら命を掛けた徹夜での捜索は、ここから始まったのです。

大学OBも参加

Castle Lawn Great Britain - Free photo on Pixabay (367133)

観光洞ではない日咩坂鍾乳穴。軽装備で入れるライトアップされた鍾乳洞のイメージとは全く異なります。まずは入り口から約1,600メートル先にある地底湖まで行き、ようやく捜索を始められます。

帰り道も容易ではないため体力を温存しながら、捜索をしなければなりません。そのためには、いかにスムーズに現場にたどり着くかが最初の条件でした。プロとは言え手探り状態のこの場所は、岡山県警機動隊だけでは難しく、大学OBにも捜索協力を依頼しました。

後に「彼らのサポートがなければ、とても地底湖までたどり着くことができなかった」と感謝を表しています。

隊員「16年の中で3本の指に入る大変さ」

Scuba Diver Diving - Free photo on Pixabay (367149)

岡山地底湖行方不明事件の捜索活動の中心となったのは、岡山県警機動隊・田村吉永警部補でした。洞内は闇が広がり、いつ崩れてもおかしくない岩を見て、不安を感じながらの捜索だったようです。

匍匐前進でしか通れない場所、胸まで浸かる水の深さ、高低差20メートルもある崖のような場所など、捜索隊の体力・気力をどんどん奪います。

地底湖での捜索を含めて田村吉永警部補は「隊員歴16年の中でも3本の指に入る大変さだった」と語っています。

捜査打ち切り

Sad Depressed Depression - Free photo on Pixabay (367159)

通報があった当日の1月5日より開始された捜索は、1月10日の夕方に捜索打ち切りが発表されました。6日間に渡り約200人体制で挑んだ甲斐も虚しく、名倉祐樹さんは見つかりませんでした。

事件現場となった危ない地域での捜索を続けることで、2次災害を懸念し出された結果だったようです。行方不明の命、捜索活動をしている人の命、どちらもかけがえのないもの。その考えが捜索に取り掛かるまでの早さ、捜索期間にあらわれています。

捜索活動が難航した理由

Questions Who What - Free image on Pixabay (367447)

この事件において捜索活動の中心人物となっていた田村吉永警部補が語った「3本の指に入る大変さ」と語ったのは、鍾乳洞内の危険な道のりを指しているわけではありません。ようやくたどり着いた地底湖でも、さらなく難関が待ち受けていました。

この地底湖の環境のいくつかが、捜索活動をさらに難航させました。この危険な状況が、捜索活動を早めに打ち切ることになった理由のひとつです。捜索活動が難航した理由をひとつずつ詳しく見ていきましょう。

水中ボンベを持ち込めない

Diver Scuba Underwater - Free photo on Pixabay (367170)

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