2019年8月21日 更新

ポーランドの兵隊熊ヴォイテクの生涯!熊と人間の友情物語

ヴォイテクは大二次世界大戦中、ポーランドの兵士たちに拾われた熊です。成長したヴォイテクは軍務を助けるだけではなく、そのかわいい仕草や優しい心で兵士たちの心を支えてきました。不思議でおもしろく、そして感動的な熊と兵士たちの友情物語をご紹介しましょう。

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軍隊では伝令や警備を目的とした軍用犬がいることが多いですが、このシェパードの「アンティス」は軍用犬ではなく、軍のマスコットとして愛された犬です。

1940年、フランス空軍に属し、ドイツ軍と戦っているチェコの亡命兵士ヤンは、戦友のピエールと共に乗っていた偵察機を撃ち落とされ、軍へと退避する道中で廃墟に逃げ込みます。そこでヤンは、飢えと寂しさに苦しむ1匹の子犬と出会います。子犬が鳴けば敵に見つかる恐れもある中で、ヤンは子犬を連れて、無事に軍まで帰ることができました。

子犬は戦闘機の名前をもじって「アンティス」と名付けられ、軍のマスコットとなりました。アンティスは子犬の頃から砲撃の中を生きてきたので、振動や爆音を怖がりませんでした。そしてヤンの操縦する戦闘機に乗り、一緒に出撃もしていました。
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ある時には出撃中にお腹に被弾し大けがをしますが、それでも一声も鳴かずじっとヤンの足元に座っていたそうです。いつ死が訪れるか分からない戦闘機の中で、アンティスの温もりはヤンの心の支えになりました。

ヤンは退役後もアンティスと共に暮らし、冷戦時代に亡命する際にも、妻子は置いて行ったにも関わらずアンティスだけは連れていきました。アンティスが14歳で亡くなった後、ヤンは二度と他の犬を飼いませんでした。

ヒョウの「ハチ」

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「ハチ」は日中戦争がおこなわれていた1941年、中華民国湖北省の山中で、成岡正人率いる日本軍の小隊に保護され、マスコットとなったオスのヒョウです。成岡が率いていた小隊が第8中隊に属することから、その名前が与えられました。

ハチは生後20日で陣地内にあったヒョウの巣から保護されました。最初は何も口にせず鳴き続けるばかりでしたが、軍服の中に顔だけ出る形で入れ、人の食事を噛んで柔らかくすると食べるようになり、段々と固形物も口にするようになりました。
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とても人懐こく甘えん坊の性格で、ヴォイテクと同じく人と一緒に寝るのが大好きでした。兵士や慰問団の女性たちともすぐに打ち解け、一緒に遊びました。

また、炊事場を荒らす猫や野良犬を退治する他、兵士たちの夜間歩哨勤務にも付き合いました。夜目が聞き、力も素早さも人より勝る「猛獣」であるハチは、兵士たちにとってとても頼りがいのある「相棒」になったことでしょう。

しかし、ハチが成長し、また戦争が深刻化するに従い、成岡はハチの行く末が心配になり、上野動物園にハチを寄贈することにしました。ハチは日本までの船旅を楽しみ、上野動物園でも人気者になりました。
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ところが、戦争が激化した1943年8月、ハチは戦時猛獣処分の対象となり、毒餌を食べさせられ殺されました。2歳半という早過ぎる死でした。

成岡はハチの死を大変悲しみ、はく製となったハチを引き取りました。その後はく製は高知県に寄贈され、現在では高知科学みらい館に展示されています。大好きな人間たちに命を奪われたハチの姿は、戦争の愚かしさを私たちに伝えてくれます。

ヴォイテク兵士はヨーロッパ一有名な熊

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兵隊熊ヴォイテクは、5年間という短い軍隊生活の中で、多くの手柄を立てました。最前線で物資を運んだりスパイを捕まえたりしただけではなく、その愛らしい姿で兵士たちを癒し、戦いへ向かう勇気を与えたのも大きな功績です。

ヴォイテク、幸せな戦士の名前通り、彼は戦場で幸福に生き、そしてその後は動物園で不自由ながらも穏やかな日々を過ごし、その生涯を終えました。もしもポーランド兵たちがヴォイテクを見つけていなかったら、ヴォイテクは難民に連れまわされているうちに衰弱死していたか、見世物にされ惨めな生活を送っていたかもしれません。
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ポーランド兵たちもヴォイテクに勇気づけられ、最前線においてもひるむことなく物資を運び続け、勝利に結びつく大活躍をすることができました。偶然と呼ぶにはあまりにも不思議過ぎるこの出会いは、厳しく荒んだ戦場において小さな光となり、人々の心を打ちました。

ビールやタバコを飲み、食いしん坊でいたずらっ子、でも人の心に寄り添う優しさを持つヴォイテクは、ヨーロッパ一有名な熊と呼ばれ、愛され続けています。

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