2019年8月21日 更新

ポーランドの兵隊熊ヴォイテクの生涯!熊と人間の友情物語

ヴォイテクは大二次世界大戦中、ポーランドの兵士たちに拾われた熊です。成長したヴォイテクは軍務を助けるだけではなく、そのかわいい仕草や優しい心で兵士たちの心を支えてきました。不思議でおもしろく、そして感動的な熊と兵士たちの友情物語をご紹介しましょう。

ヴォイテクは人に褒められたり、注目を浴びるのが好きで、時々行き過ぎた行動を取ってしまうこともありました。彼が有名になったモンテ・カッシーノの戦いの最中にも、驚くようないたずらをしています。

なんとクレーン車に上り、その上を滑ったり、逆立ちしたり、アームにぶら下がったりしたのです。兵士たちがそれを見て拍手をしたり歓声を上げたりしたので余計に得意になり、様々な芸当を披露しました。非常に危険な悪ふざけでしたが、戦場で暗澹とした日々を送ってきた兵士にとって、気晴らしになる素晴らしい時間だったに違いありません。

また、洗濯物を取り込むのが好きで、ある時には女性兵の宿舎に入り込み、下着を根こそぎ盗んでしまったこともあります。ヴォイテクがトラブルを起こすたび、ピョートルを始めとしたヴォイテクの友人たちは謝ったり対策を考えたりしなくてはなりませんでした。しかしそんないたずらっ子だからこそ、ヴォイテクをますます愛しく思っていたに違いありません。

ヴォイテクの戦後の生活

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戦争は1945年ようやく終わりましたが、ポーランド兵たちはまだ故郷に帰ることはできませんでした。イタリアの新しい宿営地にヴォイテクと共に移動し、そこで暮らすことになったのです。

ヴォイテクはアドリア海で海水浴を楽しみ、おいしい果物をたらふく食べました。恐ろしい戦場に出向くことはすでになく、大好きな仲間たちと毎日遊び、お腹いっぱい食べられた日々は、ヴォイテクにとって生涯最良の時だったかもしれません。

その素晴らしい日々の後には、悲しい別れが待っていました。戦争が終わった後、ヴォイテクはどのような運命をたどったのでしょうか。

スコットランド・ポーランド文化協会の名誉会員

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イギリス軍と共に戦ったポーランド兵たちは、スコットランドに迎えられることになりました。もちろんヴォイテクも一緒です。グラスゴーに到着した彼らは、バーウィックシャーのウィンフィールドに用意された宿営地に滞在することになりました。

そこで兵士たちとヴォイテクはスコットランド・ポーランド協会の会議に招かれ、ヴォイテクは協会の会員になりました。しかも、普通の会員ではなく終身名誉会員です。ヴォイテクがポーランド軍のために砲弾を運んだことももちろんですが、彼らの心の支えになったことがその理由でした。

ヴォイテクはスコットランドでも人気者になり、地元のパーティーに参加したり、町のダンスホールに出かけたりと、楽しい日々を過ごしました。

兵士たちとのお別れ

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スコットランドに到着して1年後、やっとポーランド兵たちは故郷に帰れることになりました。しかし、そこで問題になったのが、ヴォイテクをどうするかです。ポーランドは戦争から立ち直っておらず混乱状態で、またソ連の強い影響下に置かれていました。自分たち自身がポーランドへ帰ることが難しい中で、ヴォイテクを連れて帰れるわけもありません。

彼らは悩んだ末、イギリスのエディンバラ動物園にヴォイテクを託すことにしました。ヴォイテクは何もかも理解した様子で大人しくトラックに乗り込み、彼のために用意された新しい家に収まりました。愛してくれる仲間たちと一緒にのびのび自由に過ごす楽しい日々は終わり、平和ではあっても長く退屈な暮らしが始まったのです。

エディンバラ動物園での生活

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ヴォイテクは最初、ポーランド兵たちと別れ、今までと全く違った動物園での生活に戸惑っていたようです。エディンバラ動物園ではハーゲンベッグ方式と呼ばれる、柵や檻のない開放感のある飼育法がとられており、閉じ込められている感じはそれほどなかったでしょうが、兵士と一緒に海やダンスホールに出かけ、ビールやタバコを飲み放題だった生活と比べると、ずいぶん窮屈だったことでしょう。

それでも飼育係が親身に世話を焼き、段々動物園での生活になじんでいきました。しかし、仲間の熊と触れ合うことはできませんでした。子供の頃から人間に飼われていたため、同種の熊との関わり合い方が分からなかったのです。

ヴォイテクはいつも岩山の上で、ぽつんと寂しそうに独りでいました。そして観客の中からポーランド語が聞こえてくると興味を示していたそうです。

兵士たちが動物園を訪れた際のエピソード

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そんな孤独で退屈な日々の中にも楽しみはありました。それは元ポーランド兵の仲間たちの訪問です。彼らが来て声をかけるとヴォイテクは手を振ってこたえました。彼らが近づくと二本足で立ち、歓迎する仕草を見せました。彼らは檻の中に入って、ヴォイテクとレスリングを楽しむこともありました。時には大好きなタバコをヴォイテクに渡しもしました。

ヴォイテクを最も愛した兵士ピョートルは、戦後故郷に帰らず、イギリスのロンドンで働いていたと言われています。彼も時々ヴォイテクに会いに来ていたそうですが、その後の消息ははっきりしていません。

1963年22歳で死去

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そうした兵士とヴォイテクの交流も、戦後時が経つごとに段々減っていきました。相変わらず熊仲間とはなじめないヴォイテクは、退屈と寂しさのためか、年を取るごとに扱いづらい気難しい熊になっていきました。

また、関節のリウマチと、タバコを食べ続けたことによると思われる食道の損傷にも悩まされていました。最後は療養のために小さな檻に移り、1963年に22歳で亡くなりました。ヒグマが飼育下で30年以上生きることを考えると、やや早い死だと言えるでしょう。
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兵士たちはいつかポーランドにヴォイテクを連れ帰ることを夢見ていましたが、それは遂にかないませんでした。しかし、2015年、エディンバラのウエストプリンセスストリートガーデンに、彼とピョートルの銅像が建てられました。

銅像の下にはポーランド産の花こう岩が敷かれていました。ヴォイテクは遂に、愛する兵士たちの故郷であるポーランドの大地を踏むことができたのです。

人間と熊の友情

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巨体とすさまじいパワーを持ち、人に恐れられる熊ですが、時にはヴォイテクのように人と心を通わせ、友情を育む個体もいます。大きな熊が人と触れあう様子はとても愛らしく、癒されると同時にそれだけ力の差があっても決して人を傷つけない熊の優しさに心を打たれずにはいられません。心温まる熊と人との友情エピソードをいくつかご紹介しましょう。

ブルータスとケーシー

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米モンタナ州出身の動物学者ケーシー・アンダーソンの親友は、体重400kgを超す巨大なグリズリー(ハイイログマ)の「ブルータス」です。

ケーシーは国立公園の研究員をしていた頃、熊の保護施設で出会った母親を亡くした2頭の赤ちゃん熊と出会いました。引き取って大切に育てたものの1頭は残念ながら亡くなりましたが、もう1頭は元気に成長し、「ブルータス」と名付けられました。

ブルータスは赤ちゃんの頃から人間に育てられているため、人間に全く警戒心を抱かず、野生に帰ることができなかったことから、ケーシーの暮らしを続け、ケーシーが結婚した際には付き人も務めました。
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毎年ブルータスの誕生日には盛大なバースディパーティーが開かれます。風船で飾り付けられた大きなプレゼントを目の前にし、リボンを器用に外して中のぬいぐるみを取り出すブルータスの仕草は、プレゼントをもらって大喜びする子供と全く同じです。

他にもケーシーとサーモンでできたパックでアイスホッケーをしたり、釣りに行ったり、時にはタレントとしてテレビに出演するなど、「人」としての生活を楽しみつつも、「野生の本能を忘れないように」と狩りの訓練もうけているそうです。

ケーシーはブルータスを単なるペットではなく、家族として、親友として、そして自然に生きる野生動物として、愛し尊敬しているのです。

ユーソとスロ

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