2019年9月17日 更新

深川通り魔殺人事件の概要や犯人の生い立ちとは?犯人の現在の様子も

通行人を次々に殺害し、人質を使って立てこもりを続けた犯人。この事件は、犯人の逮捕される姿が世間に大きな衝撃を与えますが、それ以上に逮捕後の供述や落語家小遊三との関係も注目された事件です。この記事では、犯人の生い立ちから現在の様子など詳細にご紹介していきます。

目次

無差別殺人が起こった商店街、及び立てこもりを続けた中華料理店の前には、多くのメディアが詰めかけました。そのため、加害者男性が逮捕された直後の様子も、カメラを通して全国に中継されます。

中華料理店から連れ出された加害者男性は、上半身裸で下半身は白いブリーフ、白い靴下という異様な姿で登場しました。口には、猿ぐつわと呼ばれる器具を付けられ、発言はできなかったものの、その異様な姿は日本中から失笑をかいます。

逮捕された犯人の素性

Arms Arrest Crime - Free vector graphic on Pixabay (636466)

深川通り魔殺人事件は、1人の男性が引き起こした事件です。多くの人々を傷つけ殺害し、長時間立てこもりを続けたのは、当時30歳に満たない男性でした。深川通り魔殺人事件で逮捕された男性の素性を洗い出すと、等事件を起こした理由や、背景を読み解くことができます。

ここからは、深川通り魔殺人事件で逮捕された男性の素性や、当時の状況などを詳細にご紹介していきましょう。

川俣軍司

Police Arrest Handcuffs - Free photo on Pixabay (636468)

深川通り魔殺人事件で逮捕されたのは、川俣軍司という男性です。逮捕直後、29歳という年齢でした。川俣軍司は、茨城県神栖市で産まれ育ちます。決して、裕福な家庭ではありませんでした。

川俣軍司は、あらゆる仕事に就くものの、どれも長続きしません。そのため、頻繁に就職活動、面接を行っていました。深川通り魔殺人事件の当日も、面接の合否を聞いた直後と言われています。面接の合否が、事件のきっかけだったとも言われているのです。

傷害事件など7回の逮捕歴がある

Penitentiary Jail Police - Free photo on Pixabay (636469)

深川通り魔殺人事件で逮捕された川俣軍司には、多くの逮捕歴がありました。道路交通法違反という車に関するものから、深川通り魔殺人事件のような傷害罪など、逮捕歴は計7回です。逮捕歴の多さを考えると、普段から粗暴で、危険な人物という印象となります。

川俣軍司を以前から知る人々の中には、「危険」「乱暴」「短気」という印象を持っていた人も少なくありません。しかし、これらとは真逆で「真面目」「気が小さいが言えば素直に従う」などの印象を持つ人もいました。実際に、川俣軍司を雇った人の印象です。

事件の2か月前に出所したばかり

Prison Fence Razor Ribbon Wire - Free photo on Pixabay (636470)

川俣軍司は、深川通り魔殺人事件を引き起こすまでに、多くの罪を犯し、服役と出所を繰り返していました。運送業者として働いていた時代、酒を飲み暴れたり、母親の葬儀で兄弟に暴力を振るい逮捕されたこともあります。

深川通り魔殺人事件を引き起こしたのは、傷害事件で逮捕され、刑期を終え出所した約2か月後でした。出所直後に、このような大事件を引き起こしたことから、加害者本人だけではなく、量刑や司法にも批判が集まります。

覚せい剤の常習者

Drugs Cocaine User - Free photo on Pixabay (636472)

深川通り魔殺人事件の逮捕直後、薬物検査を行ったところ、川俣軍司の体内から覚せい剤の反応が出ます。恐らく、言動が不審であったため、薬物検査を行ったのでしょう。

当時は、第二次覚せい剤乱用期とも呼ばれる時代であり、多くの人々が覚せい剤に溺れていました。川俣軍司も、例外ではなかったのでしょう。中学を卒業し、就職の為に東京へ上京するも挫折した前後から、覚せい剤を使用していたようです。

覚せい剤反応が出たことから、深川通り魔殺人事件は、覚せい剤の影響ではないかとも考えられました。

川俣軍司の犯行動機

Hacker Kopûšon Light - Free photo on Pixabay (636476)

深川通り魔殺人事件で川俣軍司は、見ず知らずの女性、そしてその女性が連れていた小さな子供たちに危害を加え、殺害しています。そのため、覚せい剤の使用により思考が混乱し、場当たり的な無差別殺人事件だと言われました。

しかし、川俣軍司の証言をもとに身辺を確認すると、覚せい剤の使用だけが原因ではない可能性が浮上します。ここからは、川俣軍司が深川通り魔殺人事件を引き起こした動機について解説していきましょう。

電波に操られた

Radio Telescope Astronomy - Free photo on Pixabay (636477)

深川通り魔殺人事件を引き起こした直後、川俣軍司は人質をとり中華料理店に立てこもります。その際、駆け付けた警察官に「俺には電波がついている」と、理解不能な言葉を発信しました。また、立てこもった理由についても、「電波で監視している人物たちをあぶり出すため」と発言しています。

さらに、裁判中も「電波で指示された」「電波がひどい」など、「電波」を頻繁に使用しました。「電波に操られる」「電波によって指示された」等の発言は、覚せい剤乱用者が頻繁に使う言葉です。そのため、犯行動機には、覚せい剤乱用の影響が強いという見方もされました。

しかし、川俣軍司の「電波」発言は、覚せい剤使用以前から見られたという意見もあり、覚せい剤の使用だけが事件の動機とは考えにくいでしょう。

面接が不合格だったことに腹がたった

Writing Pen Man - Free photo on Pixabay (636482)

川俣軍司は、非常に短期間で職を転々としていました。職場でトラブルを起こしてクビになったり、居心地が悪く自ら退職する場合もあったようです。しかし、「働かない」という選択肢は取らず、すぐに就職活動を始め、面接を複数件受けていました。

事件の数日前もすし屋の面接を受け、事件当日に合否の確認をしています。この面接が不合格だったことから、事件に及んだとも言われているのです。川俣軍司は、人生の再起をかけ面接に臨んだものの、採用とはならず、落胆した思いが事件を引き起こしたのではないかと考えられています。

実際、事件に使用された包丁は、すし屋で使用するために所持していたものであり、以前から事件を引き起こそうと考え用意していたものではありません。

家族連れが羨ましかった

Child Family Love - Free photo on Pixabay (636483)

川俣軍司は事件の動機について、「家族連れが羨ましかった」とも発言しています。川俣軍司には、両親もいますし、4人の兄弟もいました。しかし、川俣軍司が暴力的であったことから、両親は実家を出ています。兄弟とも揉め事を起こしていたことから、親しい親族はいなかったと考えられるでしょう。

仕事もなく、親しい親族もいなかったことから自暴自棄になり、幸せそうな家族を選んで襲ったのではないかとも考えられています。しかし、川俣軍司が襲ったのは母子であり、「家族」ではありません。ただ単に自分に反抗しない、力の弱い女性や子供を狙ったのではないかとも言われています。

祖父の敵討ちという説もある

Grandparents Love Married - Free photo on Pixabay (636484)

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