2019年9月25日 更新

チャールズ・マンソンとは?彼の生い立ちや息子についても

自分の信者達を利用して7人の命を奪ったチャールズ・マンソン。彼はその残虐性とある種のカリスマ性から映画の題材になるなど、2017年に死しても尚、人々の関心を得続けています。今回はそんなチャールズ・マンソンの犯した罪、結婚から息子のことまで丸ごと紹介します!

目次

日常的にLSDを使用していたチャールズ・マンソンは、素面になると本音を漏らす傾向があったようです。

その本音とは、ミュージシャンとしてデビューさせてくれると思ったテリ・メルチャーに対する殺意はあったが、他の被害者を殺害する意思はなかったというものでした。

殺害現場にさえいなかったチャールズ・マンソンは、人を殺す喜びを感じるタイプの人間ではなかったようでしたが、実行犯として逮捕されたスーザン・アトキンスは「殺せば殺すほど喜びが増す」と発言しており、信者とマンソンの間に感覚のズレがあったことが想定できます。

自身の発言を誤解した女性たちの一方的な犯行

Girl Woman Emotions - Free photo on Pixabay (644207)

ジョージ・ハープの著書に登場するチャールズ・マンソンはこんなことも語っています。

「豚を殺せ!とか言ったのかもしれないけど、ドラッグがキマっちゃってるような状態で自分が何を言ったかなんて覚えてない。だけど俺の信者の女たちは俺の言葉を本気にしてしまったんだ。」

チャールズ・マンソンは陶酔状態でめちゃくちゃなことを言って、それを信者の女性たちが真に受けて勝手に犯行に及んだというのが彼の本心の主張なのです。

本当のチャールズ・マンソン

Fantasy Light Mood - Free photo on Pixabay (644209)

悪の象徴とされ、死んでもなお恐怖のイメージを纏ったチャールズ・マンソンですが、素顔の彼はいったいどんな人物だったのでしょうか。

臆病

Guy Man People - Free photo on Pixabay (644210)

チャールズ・マンソンの本当の姿を表現する上で、まず挙げられる言葉が「臆病」です。幼少期から施設や刑務所に入っていることが多かった彼は、悪に憧れる強い気持ちを抱いていました。実際彼が自ら手を下した犯罪は窃盗などの小さな犯罪が多く、刑務所のような悪事への階級がはっきりしている場所で、彼は小物だったのです。

またLSDを使用することでチャールズ・マンソンは怖いもの知らずとなり、本来の自分とは違う強い人間になれました。そしてその状態でいたい気持ちからドラッグを常用し続けたのです。

神経質

Man Portrait Gloomy - Free photo on Pixabay (644211)

次に挙げられるチャールズ・マンソンの本当の性格は「神経質」です。自分が臆病であることにチャールズ・マンソンは気付いていたと推測でき、また自分のそんな性格に気づくことほど、本当のチャールズ・マンソンは神経質だったのです。

そんな自分に嫌悪感を抱いていたからこそマンソンはLSDを常用していましたが、テート=ラビアンカ事件時に殺害現場にいなかった、すなわちいることを避けたことからも、臆病で神経質という性格は真実であることが推測できます。

刑務所では常にいじめの対象

Prison Cell Slammer - Free photo on Pixabay (644212)

チャールズ・マンソンは自身が告白しているように、13歳の頃に入った矯正施設でいじめ、暴行、強姦の被害に遭っています。その後の刑務所生活でもいじめに遭っていたのかは分かりませんが、もともと小柄なチャールズ・マンソンはこれらの経験から、強い男になりたいという気持ちを膨らませました。

またジョージ・ハープが「刑務所の王」を書いた当時のアメリカの刑務所では、LSDなどのドラッグが秘密裏に取引されており、本に登場するチャールズ・マンソンは度々恍惚状態であったようです。

チャールズ・マンソンの息子

Baby Handle Tiny - Free photo on Pixabay (644222)

チャールズ・マンソンには2回の結婚でそれぞれ男児を授かりましたが、他にももう1人息子がいました。マイケル・ブルンナーという名前のその息子が歩んできた数奇な人生を紹介します。

マイケル・ブルンナー

Babyboy Kids Kid - Free photo on Pixabay (644226)

生まれた時「ローレンス・アレキサンダー」と名付けられたチャールズ・マンソンの息子は、生まれてすぐ養子に出されたこと、そして何より父親があまりにも悪名高いことで有名なことからマイケル・ブルンナーと名前を変えました。

現在50代のマイケル・ブルンナーは、157センチと小柄だった父親チャールズ・マンソンと異なり、180センチの長身です。そんな彼は一度も父親に会うこともなく、手紙を出すことさえありませんでしたが、25歳と50歳の時、二回だけ取材に応じました。

生まれてすぐ養子に出される

Baby Child Hand - Free photo on Pixabay (644227)

1969年8月8日、マイケルが1歳2ヶ月の時母親メアリー・テリーザ・ブルンナーは、盗んだクレジットカードを不正使用した罪で逮捕され拘留されました。このことがきっかけで幼いマイケル・ブルンナーは、ウィスコンシン州のオークレアに住む母親方の祖父母の養子となります。

祖父母ジョージ&エルシー・ブルンナーはマイケルに父親の存在を隠し、彼のことを実の子のように可愛がり沢山の愛情を注ぎました。

祖父母に対するマイケルの愛情も深く、これまで2回の取材に応じたのも祖父母につきまとうマスコミから彼らを守る為だったと語っています。

母親はチャールズ・マンソンに強姦され妊娠

Girl Sadness Loneliness - Free photo on Pixabay (644229)

マイケルの母親メアリー・テリーザ・ブルンナーは1967年、マンソン・ファミリーのドラッグパーティーでチャールズ・マンソンと知り合いました。マンソンを崇拝していたメアリーでしたが、彼女はマンソンに強姦されて妊娠しました。

祖父母を両親、生みの母親を姉として育ったマイケルでしたが、メアリーが毎週日曜に姉と称し刑務所から電話してくることから、彼女が実の母親だと気付いていたそうです。メアリーが母親であるならば、では実の父親は誰なんだろうという疑問が湧いたのはこの時からでした。

29歳で真実を知り父親に手紙を送る

Old Letters Letter - Free photo on Pixabay (644232)

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