2019年9月17日 更新

金村剛弘の死の真相とは?関東連合や木村兄弟との関係についても

低身長にも関わらずタイマン最強と言われ壮絶な死を遂げた金村剛弘さんをご存知ですか?悲惨な金村さんの遺体を前に、付き合いのあった関東連合は復讐を誓ったと言われます。今回は金村さんの死の真相や女優の広末涼子さんと元夫の岡沢高宏さんとの関係についてご紹介します!

目次

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金村剛弘さんの学生時代についてですが、地元の小学校・中学校へ通った後、東京朝鮮高級学校へと進学しています。

ちなみに、東京朝鮮高級学校とは、日本の中学校と高等学校に相当する教育を行う学校機関で、全盛期には生徒数3000名を超えるマンモス校だったそうですが、近年の少子化や朝鮮総連から離反や脱退をする卒業生の増加、日本の中学校や高等学校へ入学する生徒の増加に伴い生徒数が減少しているのだそうです。

金村さんは理由は明らかにしていませんが、朝鮮高級学校を中退しています。

高校中退後父親の会社に就職

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金村さんは朝鮮高級学校中退後、父親が営むキムチやチャンジャなどの韓国食品の輸入・販売を行う卸会社「一力物産」に社員として入社し、父親の仕事を手伝っていたようです。

また金村さんは意外と商売人に向いていたらしく、金村さんの活躍で会社の売り上げがあがったと言われており、金村さん自身も実業家として成功し、歌舞伎町を中心に複数のビルを所有し、女性専用のサウナなども経営していたと言われています。

ゆくゆくは父親の後を継いで会社を経営する予定だったのでしょう。ビジネスに関しては「ヤリ手」として知られていたようですが、一方で不良としての一面も持っていました。

岡沢高宏とグループを設立

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金村剛弘さんは小学校5年生の頃に後に親友となる岡沢高宏さんと出会います。岡沢さんがイジメられている所を助けたことから、「アニキ」と慕われていたというエピソードが今でも残っているようです。

その後ケンカが強くタイマン最強と言われた金村さんは、親友であり弟分でもあった岡沢高宏さんと共に新宿ジャックスというチーマーのグループを結成します。当初は単なる不良グループに過ぎなかった新宿ジャックスは、次第に巨大化していったと言われています。

ちなみに岡沢高宏さんとは、広末涼子さんの元夫であり、長澤まさみさんとの交際も噂された男性ファッション誌のモデルですが、現在はファッションデザイナーとして仕事をしているようです。

創設グループとは

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金村剛弘さんと岡沢高宏さんが創設したグループ「新宿ジャックス」は、最初は単なる不良グループの集まりだったと言われています。

しかし、金村さんの後輩にあたり、後に因縁の相手ともなる木村孔次郎と言う人物がグループの顔役となってからは、暴走族やイベントサークルなどのネットワークをフルに活用して、振り込め詐欺や闇金などの非合法な経済活動を行う犯罪集団へと変貌していったとされます。

「新宿ジャックス」はこの非合法な経済活動で手にした資金を使って巨大化し、この頃すでにOBとなっていた金村剛弘さんと木村孔次郎は対立関係になっていたと言われています。

暴走族に所属する

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金村剛弘さんは「新宿ジャックス」結成後、暴走族の狂乱恋名に所属していたと言われています。「久我山狂乱恋命」は、1990年代の関東連合に所属するグループでした。

当時の関東連合には、他にも「上町小次郎」「上北沢鬼面党」「阿佐ヶ谷魔悪怒」「荻窪魔悪怒」「下北沢ブラックエンペラー」「千歳台ブラックエンペラー」「永福町ブラックエンペラー」「新宿十二社蛇女(メデューサ)」などが所属していたとされています。

関東連合はこの当時から組織で残虐な事件を起こしていたと言われ、1990年代後半からは実質的に暴力団と同じような統率力と組織力で不良少年たちの頂点に立ち、「手段を問わずケンカに勝ち、恐れられること」を目指し活動していたのだそうです。

関東連合の面倒見となる

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金村剛弘さんがど暴走族時代どのような活躍をしたのか定かではありませんが、その時の活躍から関東連合の面倒見と呼ばれる立場になったと言われています。

ちなみに、「面倒見」というのは、暴力団(ヤクザ)と暴走族の間を取り持ち、暴走族同士のトラブルが起きた時には暴力団員(ヤクザ)に仲裁に入ってもらいトラブルを強制的に収めてもらう代わりに、月々の活動費などを徴収する役目のことで、暴走族OBを示す言葉でもあります。

また、暴走族が市街地で行う集会や暴走行為なども事実上はこの「面倒見」がコントロールしているとされています。つまり金村さんは、暴力団と暴走族の間で微妙な立ち位置に置かれていたということです。そして、この面倒見という役割が、結果として金村さんの死に繋がっていったのではないかと推測されます。

2008年3月死亡

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異常に鍛え上げられた逆三角形の肉体で周囲を圧倒し、タイマン最強の男とも言われ東京の不良界隈では恐れられていた金村さんでしたが、2008年3月の早朝自宅付近の路上で何者かの襲撃に遭い大けがを負ってしまいました。

そして数日後に、搬送先の病院で32歳という若さで亡くなっています。一対一のタイマンであれば勝機もあったでしょう。しかし、いくらケンカや格闘技に精通し鎧のような筋肉で覆われた肉体を持っている金村さんであっても、武器を持って集団で襲いかかってきた男たちにはかないませんでした。

金村剛弘の性格・人柄

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ここまでは、金村剛弘さんが亡くなるまで歩んできた経歴を、出身地や家族、学生時代に高校中退後父親の会社に就職したこと、芸能人で親友の岡沢高宏さんと「新宿ジャックス」を創設、関東連合所属の暴走族「狂乱恋名」に所属し後に関東連合の面倒見になり、2008年3月に襲撃を受けるというところまでお話ししてきました。

父親の会社の経営も順調で、自身も実業家として成功し、何不自由なく生活していたように見える金村さんを、不良への道へ突き進ませたものは一体何だったのでしょうか?ここでは、そんな金村剛弘さんの性格や人柄について見て行きましょう。

情に厚い

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金村剛弘さんは、相手の置かれている状況や気持ちをきちんと理解し、それに沿って対応したり助言することの出来る、情に厚い人柄だったと言われています。

そのため、多くの後輩からは慕われていたそうです。確かに、岡沢高宏さんとの出会いも、岡沢さんがイジメられている所を金村さんが助けたところから始まっています。

情に厚い人の特徴として「約束はきちんと守る」「自分が受けた恩は忘れずに返す」「何かを断る時も相手を思いやった断り方をする」「家族や友人などを大切にする」「他者への思いやりが深く気遣うことが出来る」「損得関係なく動くことが出来る」といった傾向があるようです。

日和見

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情に厚いという一面を持つ一方で、金村さんは関東連合関係者や暴力団、反関東連合グループに対して日和見主義的な立場を貫いていたと言われています。

日和見とは、もともと空(天気)模様を窺うという意味から来ている言葉ですが、転じてその時の状況や形勢を見て、有利な方につくことを意味するようになりました。

その一見すると、どっちつかずに見える金村さんの態度が後の事件へと繋がっていったとの指摘もあるようですが、金村さん自身は長期的な目線で関東連合の事を考えていたのではないかと推測されます。そうでなければ、自分の立場をわざわざ悪くしてまで、面倒見なんていう立場にはならなかったのではないでしょうか?

社交的

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