2019年9月17日 更新

金村剛弘の死の真相とは?関東連合や木村兄弟との関係についても

低身長にも関わらずタイマン最強と言われ壮絶な死を遂げた金村剛弘さんをご存知ですか?悲惨な金村さんの遺体を前に、付き合いのあった関東連合は復讐を誓ったと言われます。今回は金村さんの死の真相や女優の広末涼子さんと元夫の岡沢高宏さんとの関係についてご紹介します!

目次

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金属バッドで何度も執拗に頭を殴打され亡くなった金村さんの遺体は、とても痛ましい状態だったと言われています。金村さんの頭部は頭蓋骨陥没という通常ではありえないほどの衝撃を受けていたため、脳が崩れて出血する脳挫傷を起こしていたそうです。

出血によりパンパンに腫れあがてしまった頭部は、おそらく原型をとどめていなかったことでしょう。また、犯人たちは頭以外に金村さんの足も殴っていたと言われています。目撃者の骨が折れる音がしたという証言から、もしかしたら足の骨も折れていたかもしれません。

復讐を誓う見立真一

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金村剛弘さんの葬儀には多くの人が参列し、その参列者の中には金村さんの友人でもあり、1990年代に関東一体で悪名をとどろかせていたという元カリスマのアウトロー谷山秀行氏が来ていたそうです。

谷山氏はすでに不良の世界から足を洗っており、現在は宗教家としても活動しているようですが、金村さんの遺体と対面した関東連合のメンバーが犯人への復讐を口にした時「これを機にみんなで堅気になろう」と復讐をとめるアドバイスをしたそうです。

しかし関東連合のリーダー見立真一(みたて しんいち)は涙ながらに反論し「このまま終わるわけには行かない。分かってはいるが決して引き下がることは出来ない。必ず復讐してやりますから」と囁いたそうです。

東京の伝説と言われた木村兄弟の関連

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この金村剛弘さんを死に至らしめた西新宿事件に関与していたと考えられているのが、関東連合が長年に渡って敵対してきた反関東連合グループを率いる木村兄弟でした。

関東連合は、杉並や世田谷を拠点に活動していた暴走族が中心となって結成された組織でしたが、その組織に対抗する形で反関東連合というグループが作られました。そして長年に渡り、関東連合と反目しながらグループを率いてきたカリスマ的存在が木村兄弟だったのです。

事件に関与していると言われる木村兄弟とは

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関東連合は、金村さん殺害事件に関与したのが反関東連合を統率する木村兄弟だと断定し、彼らに報復することを誓いましたが、そもそも木村兄弟とは一体どんな人物なのでしょうか?

10代の頃から関東連合と木村兄弟の争いは続いていたとも言われており、両者は犬猿の仲でありながらも、パワーバランスを保ち、大きな抗争には至らなかったそうです。しかし、金村さん殺害事件を機に、状況は一変して行きました。

ここでは、金村さん殺害事件の裏で手を引いていたと言われる、関東連合も恐れるカリスマ木村兄弟についてご紹介します。

関東連合を恐れさせるカリスマ的兄弟

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関東連合を恐れさせるカリスマ的存在だった木村兄弟について、まずは兄についてご紹介しましょう。木村兄弟の兄である木村泰一郎は1987年生まれ、弱きを助け強きをくじくヒーローのような存在で、ケンカは化け物級に強いと言われ、東京の不良界隈では伝説的な存在として知られていました。

ですが、むやみやたらとケンカをするようなタイプではなく、売られたケンカは買うというスタイルだったようです。そこに、抜群のルックスも加わり、泰一郎の元には彼を慕う仲間が多く集まり、女性からもモテていたと言われています。

一方、泰一郎より一歳年下の弟木村孔次郎は兄泰一郎とは違い、相当の策士だったと言われています。ケンカも兄に負けず劣らず強かったようですが、それ以上に頭も切れ、なおかつ兄よりも血の気の多い性格をしていたと言います。

金村剛弘が結成した不良グループに所属

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そんなカリスマ的な存在であった木村兄弟と関東連合最強の男と言われた金村剛弘の間には、因縁があったと言われています。木村兄弟の弟、木村孔次郎は金村剛弘さんがかつて岡沢高宏さんと結成した「新宿ジャックス」のメンバーだったのです。つまり、金村剛弘さんにとって木村孔次郎は直属の後輩だったというわけです。

そして、木村孔次郎からすれば金村剛弘さんは直属の先輩でもありましたが、当時の金村さんのやり方は木村孔次郎にとって正直気にくわない部分もあり先輩として慕ってはいなかったようです。

関東連合との対立

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「新宿ジャックス」を結成した金村剛弘さんは、その後暴走族グループの狂乱恋命に所属し、関東連合のOBとして面倒見になりました。金村剛弘さんは関東連合側の人間となり、木村孔次郎が所属する「東京ジャックス」は反関東連合を掲げていたため、両者の間には対立が生まれて行きました。

そんな中、金村さんが殺害される前々日に西麻布のちゃんこ屋で、反関東連合のグループ「打越スペクター」のメンバーと山口組秋良連合会一連会の組員と鉢合わせし、相手の組員を殴るという事件が起こりました。

その場は暴力団と反関東連合グループが立ち去るという形で収まりましたが、その後六本木の牛丼屋で木村孔次郎が関東連合の幹部の一人、石本太一(いしもと たいち)と鉢合わせし、石本に暴行を加えてとりあげた携帯電話から、金村さんに「宣戦布告」の電話をしたと言われています。

返り討ちとして金村が襲撃された

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そして、金村剛弘さんと反関東連合との間にイザコザがあった数日後、金村さんが返り討ちにあい襲撃され殺害されるという事件が起こりました。関東連合のメンバーは、この西新宿事件を木村兄弟の仕業と断定していたようですが一方で犯人は別の人物との説もあります。

事件前ちゃんこ屋で金村剛弘さんが殴り倒した、山口組秋良連合会一連会の武田修という人物ではないか?という説もあれば、「打越スペクター」の関係者ではないかという噂も浮上していたようです。

特に「打越スぺクター」は、集団で襲撃するのを常套手段としているとされ、実際に打越スペクターの斎藤と言う人物は、平成23年(2011年)6月に、八王子市内のファミリーレストランの駐車場で、山口組系の組員を約20人の集団で金属バットなどを使って襲うという事件を起こしています。

裏で手を引いたのは木村兄弟?

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金村剛弘さんが殺害された西新宿事件の裏で手を引いていたのは本当に木村兄弟なのでしょうか?確かに、関東連合と木村兄弟が揉めていたタイミングを考えれば、可能性は高いと言えるでしょうが、この事件にはある噂も流れているのです。

それは、金村さんがある暴力団組織と覚せい剤がらみで揉めていたという噂です。金村さん自身は、どこの組にも所属していなかったと言われていますが、警察の調べによれば暴力団山口組「弘道会」の準構成員であり、裏ではかなり非合法な行為を行っていたという情報もあるのだそうです。

関東連合の報復

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金村さん殺害事件に対する報復として、関東連合が起こしたのが六本木クラブ襲撃事件でした。この事件は、金村さんが亡くなった事件から4年経った2012年9月2日の午前3時40分頃、東京都港区六本木のクラブ「フラワー」で発生しました。

クラブに来店していた男性が、金属バッドを持ち目出し帽を被った10人ほどの男性に突然襲われ袋叩きにされて殺されてしまうという痛ましい事件で、男性の死因は頭蓋骨損傷による失血死あるいは脳幹部損傷と見られています。

それでは、六本木クラブ襲撃事件について見て行きましょう。

2012年に起きた六本木襲撃事件

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