目次
- カルマの法則をわかりやすく説明して!
- カルマとは?
- 仏典・日本語では「業」「羯磨」という意味
- サンスクリット語では「行為」「宿命」
- ヴェーダ哲学の思想
- ヒンズー教の思想
- カルマの法則とは?
- 因果応報
- 罪と罰の法則
- 悪いことだけではなく良いことも返ってくる
- 全ての事柄には「原因」「要因」「結果」がある
- 不幸事は「本人が過去に悪事を働いていた」は間違え
- 生前に限らず死後に及ぶ可能性も
- カルマ(業)の種類
- 身業(しんごう)
- 口業(くごう)
- 意業(いごう)
- 仏教的カルマ(業)の捉え方
- 心で思うだけでもアウト
- 「殺るよりも劣らぬものは思う罪」
- 業力不滅(ごうりきふめつ)
- 阿頼耶識(あらやしき)に業は積もっていく
- 「カルマ落とし」は存在しない
- カルマ(業)が結果として現れる時期
- 順現業(じゅんげんごう)
- 順次業(じゅんじごう)
- 順後業(じゅんごごう)
- 順不定業(じゅんふじょうごう)
- カルマの法則によって不幸を引き寄せやすい原因
- 他人の悪口
- 浮気・不倫
- 身勝手な中絶手術
- 悪意のこもった嘘
- いじめ・いじめの見て見ぬふり
- お金への執着心
- 前世の悪行
- カルマの法則で幸運を引き寄せる方法
- 感謝の気持ちを持つ
- あらゆる経験
- 受容する心
- 人・物への執着心をなくす
- 見返りを求めない
- カルマの法則を理解して幸運を引き寄せてみよう!
「殺るよりも劣らぬものは思う罪」
via pixabay.com
「殺るよりも劣らぬものは思う罪」とは、仏教で45年もの教えを説いていた釈尊の有名な言葉です。この言葉には、「殺る」つまり肉体を殺すよりも、もっと重い罪は「思い」であるという教えです。
いじめの見て見ぬふりしたり、親を邪魔もの扱いしてろくに口を聞かなかったりすることなどは、とても重たい罪であると意業の恐ろしさを説いています。
心の中で思うだけであれば大丈夫という考えで毒づいていたりすると、先ほどご紹介した「意業」というカルマになりますので、それ相応のことが不運となってのしかかってくるということです。
いじめの見て見ぬふりしたり、親を邪魔もの扱いしてろくに口を聞かなかったりすることなどは、とても重たい罪であると意業の恐ろしさを説いています。
心の中で思うだけであれば大丈夫という考えで毒づいていたりすると、先ほどご紹介した「意業」というカルマになりますので、それ相応のことが不運となってのしかかってくるということです。
業力不滅(ごうりきふめつ)
via pixabay.com
カルマは仏教では、「業力不滅」といって積り積もった業は、前世・現世・来世になっても決して滅びることなく運命として必ず表れるという意味を持ちます。
私たちは肉体が自分の物であり、滅びた時にカルマ(業)もチャラになるとどこかで思いながら生きてますが、目には見えない生命の深い河のようなところに業が蓄積され、果てしない過去から今の運命が創られ、来世に繋がっています。
私たちは肉体が自分の物であり、滅びた時にカルマ(業)もチャラになるとどこかで思いながら生きてますが、目には見えない生命の深い河のようなところに業が蓄積され、果てしない過去から今の運命が創られ、来世に繋がっています。
阿頼耶識(あらやしき)に業は積もっていく
via pixabay.com
業力不滅のところで述べた、「深い河のようなところ」を阿頼耶識と言います。今の心理学でういところの「深層心理」という意味合いが強いかもしれませんが、深層心理よりももっと深い生命のルーツ(根源)の部分にあたります。
この現世から来世、過去世の業力が不滅となってこんこんと流れて蓄積されているのです。そしてこの不滅の業力はとてつもなく強い力をもって幸福や不幸の運命へと引っ張ってしまうと言われています。
例えば、「わかっていても止められない」ような行いを続けている人は、自爆する人生に追いやられるように業力が働いているということです。阿頼耶識に悪業が蓄積されているからこのような人生を歩むと言われています。
この現世から来世、過去世の業力が不滅となってこんこんと流れて蓄積されているのです。そしてこの不滅の業力はとてつもなく強い力をもって幸福や不幸の運命へと引っ張ってしまうと言われています。
例えば、「わかっていても止められない」ような行いを続けている人は、自爆する人生に追いやられるように業力が働いているということです。阿頼耶識に悪業が蓄積されているからこのような人生を歩むと言われています。
「カルマ落とし」は存在しない
via pixabay.com
カルマを消せると言って「カルマ落とし」なるものが存在すると言われていますが、阿頼耶識に業力が溜まっていく法則をしれば、カルマ落としは存在しないといえます。
カルマは一旦現実に現れて実行されないと消えません。その現実がまた苦痛なものであるため、煩悩(ぼんのう)といった悩みを生み出し、また苦悩するという悪循環に陥るのです。
この悪循環を、仏教では「惑業苦(わくごっく)」と言われています。惑は煩悩のことをいい、惑が業を生み、業によって苦しみが生まれ、また惑にハマり込んでしまうという循環のことです。
カルマは一旦現実に現れて実行されないと消えません。その現実がまた苦痛なものであるため、煩悩(ぼんのう)といった悩みを生み出し、また苦悩するという悪循環に陥るのです。
この悪循環を、仏教では「惑業苦(わくごっく)」と言われています。惑は煩悩のことをいい、惑が業を生み、業によって苦しみが生まれ、また惑にハマり込んでしまうという循環のことです。
カルマ(業)が結果として現れる時期
via pixabay.com
人はどんな物事でも、頑張れば頑張るほどその努力が「いつ実になるのか?」や「本当に実がなるのだろうか?」と不安に思う時期を過ごしますよね。
そして善いカルマも悪いカルマも結果として目に見える運命に現れるのはいつの時期なのか?気になりますよね。カルマの現れる時期は順番に「順現業(じゅんげんごう)」「順次業(じゅんじごう)」「順後業(じゅんごごう)」「順不定業(じゅんふじょうごう)」の4つがあると言われていますがその時期について詳しくご紹介していきます。
そして善いカルマも悪いカルマも結果として目に見える運命に現れるのはいつの時期なのか?気になりますよね。カルマの現れる時期は順番に「順現業(じゅんげんごう)」「順次業(じゅんじごう)」「順後業(じゅんごごう)」「順不定業(じゅんふじょうごう)」の4つがあると言われていますがその時期について詳しくご紹介していきます。
順現業(じゅんげんごう)
via pixabay.com
順現業とは、種を蒔いてすぐに実がなるような行いのことをいいます。草木で例えるのなら、お米がそうですね。お米は種蒔きをしたらその年に実を付けて収穫できます。
善悪のカルマの行いにも、こうした割と早い段階で結果が出てくる業のものがあります。仏教では、今世で結果が出るものが「順現業」だと言われているのです。
善悪のカルマの行いにも、こうした割と早い段階で結果が出てくる業のものがあります。仏教では、今世で結果が出るものが「順現業」だと言われているのです。
順次業(じゅんじごう)
via pixabay.com
順次業とは、種を蒔いてから少し時間が経って結果として現れる時期のことをいいます。草木で例えると、麦のようなもので、麦は今年に種を蒔けば収穫は来年になります。
仏教では、こうした結果が出るのに少し時間が経つ善悪のカルマや業のことを順次業と言われ、今世ではなく来世の人生で影響する業力のことを指します。
仏教では、こうした結果が出るのに少し時間が経つ善悪のカルマや業のことを順次業と言われ、今世ではなく来世の人生で影響する業力のことを指します。
順後業(じゅんごごう)
via pixabay.com
順後業とは、蒔いた種がずいぶん後の方で実になるカルマのことをいいます。草木で言えば柿木で例えられますが、柿木は実がなるのに8年経つと言われています。
そして仏教で「順後業」はずっと先の世で結果が出てくるカルマのことを言います。なかなか結果が見えずに苦しい時期を過ごすこともありますが、業は阿頼耶識に蓄積されていますから結果のでるときは必ず訪れるのです。
そして仏教で「順後業」はずっと先の世で結果が出てくるカルマのことを言います。なかなか結果が見えずに苦しい時期を過ごすこともありますが、業は阿頼耶識に蓄積されていますから結果のでるときは必ず訪れるのです。
順不定業(じゅんふじょうごう)
via pixabay.com
順不定業とは、結果がいつ現れるのかが決まっておらず、突然に結果がでるようなことをいいます。
人生には時々、奇跡的なタイミングで善い結果が何の前触れもなく突然現れるようなことがありますが、これは過去に善い行いをしたカルマの法則が働いているということなのかもしれません。
人生には時々、奇跡的なタイミングで善い結果が何の前触れもなく突然現れるようなことがありますが、これは過去に善い行いをしたカルマの法則が働いているということなのかもしれません。
カルマの法則によって不幸を引き寄せやすい原因
via pixabay.com
カルマには色んな考え方や種類がありましたね。次に、カルマの法則によって、具体的にどのような悪い言動をとってしまうと、不幸を引き寄せてしまうのかについて解説していきます。
3 / 5