目次
- 山小屋OL殺人事件とは?
- 山小屋OL殺人事件詳細
- 事件の起きた場所
- 被害者が1人で登山へ
- 家族からの捜索願
- 遺体発見
- 事件の捜査
- 当初は自殺か遭難とみられていた
- 山小屋の管理人を事情聴取
- 事件当日の宿泊名簿
- 登山者の証言
- 大柴勉が犯行を認める
- 大柴勉の犯行詳細
- 殺害方法
- 死体遺棄
- 大柴勉の犯行動機
- 甲府地方にあった悪習の噂
- 悪習復活の噂
- 旅娘輪姦
- 旅娘輪姦の被害者
- 山小屋OL殺人事件との関連性
- 犯人の大柴勉について
- 富士見平小屋の管理人
- 大柴勉の人物像
- 大柴勉には以前から問題があった
- 事件後の裁判
- 甲府地裁の初公判
- 裁判での大柴勉の様子
- 裁判途中から犯行を否認
- 甲府地裁の判決公判
- 懲役13年で確定
- 犯人の大柴勉の現在
- 事件のあった山小屋の現在
- 事件のあった山はどんな所?
- 事件後の山小屋について
- 良くない管理人が続いていた
- 富士見平小屋の周辺の様子
- 宿泊料金やシステム
- 現在の山小屋の評判は?
- 現在の富士見平小屋の口コミ
- 類似する事件
- 比叡山女子大生殺人事件
- 別府秘湯女性看護師強盗殺人事件
- 女性1人旅は危険?危険を回避する方法
- 夜はなるべく出歩かない
- 人の少ない場所は避ける
- 男性と2人きりにならない
- 積極的に話しかけてくる男性には注意
- 旅先ではトラブルや事件に注意を
事件当日の宿泊名簿
via pixabay.com
大柴勉は事情聴取を受けている際、大変落ち着きがありませんでした。あまりの落ち着きのなさに山梨県警韮崎署の捜査員は、大柴勉に対して不信感を抱きました。
大柴勉の落ち着きのなさに不信感を抱いた山梨県警韮崎署の捜査員は、大柴勉に対して大変厳しく事情聴取を行いました。すると、今井忍さんが富士見平小屋にやってきた1983年(昭和58年)9月3日のみ宿泊名簿をつけていなかったことが判明しました。捜査は大きく前進しました。
大柴勉の落ち着きのなさに不信感を抱いた山梨県警韮崎署の捜査員は、大柴勉に対して大変厳しく事情聴取を行いました。すると、今井忍さんが富士見平小屋にやってきた1983年(昭和58年)9月3日のみ宿泊名簿をつけていなかったことが判明しました。捜査は大きく前進しました。
登山者の証言
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今井忍さんのご両親の懸命な捜索により登山者からの「女性の叫び声を聞いた」との証言を得ることができました。この証言により山梨県警韮崎署は事件性があると判断して捜索活動を行いました。
また、以前に富士見平小屋を利用した事がある別の女性の登山者からは、大柴勉に性的暴行を受けそうになったとの証言を得ることができました。この女性の登山者の証言は大柴勉(50歳)に任意同行を求める1つの判断材料になりました。
また、以前に富士見平小屋を利用した事がある別の女性の登山者からは、大柴勉に性的暴行を受けそうになったとの証言を得ることができました。この女性の登山者の証言は大柴勉(50歳)に任意同行を求める1つの判断材料になりました。
大柴勉が犯行を認める
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・今井忍さんが富士見平小屋にやってきた1983年(昭和58年)9月3日のみ宿泊名簿をつけていなかったこと
・別の女性の登山者による富士見平小屋を利用した際に、管理人である大柴勉に性的暴行を受けそうになったとの証言
以上の2点から山梨県警韮崎署は1983年(昭和58年)9月23日、大柴勉(50歳)の対して容疑者として任意同行を求めました。事情聴取を受けた当初は、大柴勉は今井忍さんに会いに来た男性の存在を口にし、容疑は否認していました。しかし、同日夕方に容疑を認めました。
・別の女性の登山者による富士見平小屋を利用した際に、管理人である大柴勉に性的暴行を受けそうになったとの証言
以上の2点から山梨県警韮崎署は1983年(昭和58年)9月23日、大柴勉(50歳)の対して容疑者として任意同行を求めました。事情聴取を受けた当初は、大柴勉は今井忍さんに会いに来た男性の存在を口にし、容疑は否認していました。しかし、同日夕方に容疑を認めました。
大柴勉の犯行詳細
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大柴勉はなぜ今井忍さんを殺害したのでしょうか。大柴勉が今井忍さんを殺害するに至った動機や殺害方法など詳細をまとめました。
殺害方法
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今井忍さんの死因は窒息死でした。1983年(昭和58年)9月3日に水牆山(みずがきやま)へ登山に出かけた今井忍さんは水牆山(みずがきやま)の中腹にある富士見平小屋へ宿泊していました。
大柴勉は、その日の夜お手洗いへ行くために外へ出た今井忍さんに性的暴行を加えようと近づきました。大柴勉は今井忍さんを傍らの草むらへ連れ込もうとしますが抵抗にあいました。
大柴勉は必死に抵抗し、逃げようとする今井忍さんを逃がさないようにとTシャツの襟をつかみました。運悪くそこは斜面であったため今井忍さんの首はきつく締められて、窒息し亡くなりました。
大柴勉は、その日の夜お手洗いへ行くために外へ出た今井忍さんに性的暴行を加えようと近づきました。大柴勉は今井忍さんを傍らの草むらへ連れ込もうとしますが抵抗にあいました。
大柴勉は必死に抵抗し、逃げようとする今井忍さんを逃がさないようにとTシャツの襟をつかみました。運悪くそこは斜面であったため今井忍さんの首はきつく締められて、窒息し亡くなりました。
死体遺棄
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今井忍さんを殺害後、大柴勉は遭難したと見せかけようと画策しました。殺害現場から100mほど離れた場所へ今井忍さんの遺体を遺棄しました。その後、今井忍さんの持ち物は焼却しました。
大柴勉は今井忍さんが遭難したと見せかけようと富士見平小屋から少しでも離れた場所へ今井忍さんの遺体を遺棄したにもかかわらず、持ち物を全て焼却するなど詰めの甘さを露呈しています。このようなことから、突発的な犯行だとうかがえます。
大柴勉は今井忍さんが遭難したと見せかけようと富士見平小屋から少しでも離れた場所へ今井忍さんの遺体を遺棄したにもかかわらず、持ち物を全て焼却するなど詰めの甘さを露呈しています。このようなことから、突発的な犯行だとうかがえます。
大柴勉の犯行動機
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大柴勉が今井忍さんを殺害した動機はいったい何だったのでしょうか。大柴勉は、過去にも富士見平小屋を利用した女性の登山客に性的暴行を加えようとしています。
事件が発生した1983年(昭和58年)9月3日も大柴勉は、夜にトイレへ行こうと外へ出た今井忍さんに性的暴行をしようとしました。しかし、今井忍さんが抵抗し逃げようとしたため咄嗟にTシャツの襟もとを掴みました。運悪く傾斜のある場所であったため今井忍さんの首がきつく締まり窒息死という結果になりました。
当初、大柴勉は今井忍さんに性的暴行を加えることだけが目的だっと推測されます。性的暴行後、殺害することまで計画はしていなかったが、今井忍さんが抵抗し逃げようとしたことで、焦りの気持ちが出たのではないでしょうか。
逃げようとする今井忍さんのTシャツの襟もとを咄嗟に掴んだとしても、窒息死するまでには時間がかかります。その間離すことなく襟元を掴んでいたということは、大柴勉はこの時今井忍さんへの性的暴行が発覚することを恐れて殺意が芽生えたのではないでしょうか。
事件が発生した1983年(昭和58年)9月3日も大柴勉は、夜にトイレへ行こうと外へ出た今井忍さんに性的暴行をしようとしました。しかし、今井忍さんが抵抗し逃げようとしたため咄嗟にTシャツの襟もとを掴みました。運悪く傾斜のある場所であったため今井忍さんの首がきつく締まり窒息死という結果になりました。
当初、大柴勉は今井忍さんに性的暴行を加えることだけが目的だっと推測されます。性的暴行後、殺害することまで計画はしていなかったが、今井忍さんが抵抗し逃げようとしたことで、焦りの気持ちが出たのではないでしょうか。
逃げようとする今井忍さんのTシャツの襟もとを咄嗟に掴んだとしても、窒息死するまでには時間がかかります。その間離すことなく襟元を掴んでいたということは、大柴勉はこの時今井忍さんへの性的暴行が発覚することを恐れて殺意が芽生えたのではないでしょうか。
甲府地方にあった悪習の噂
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山小屋OL殺人事件が発生した当初、水牆山(みずがきやま)付近の住民の間では、甲府地方にあった悪しき風習が復活したのではないかと噂されました。その悪しき風習とはどのようなものだったのでしょうか。また、なぜ、そのように噂されたのかなどまとめました。
悪習復活の噂
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山小屋OL殺人事件が発生した水牆山(みずがきやま)がある甲府地方周辺では、その昔旅人を襲って輪姦するというなんとも恐ろしい悪しき風習がありました。この旅人を襲って輪姦するという悪しき風習はしだいになくなっていきました。
しかし、山小屋OL殺人事件が発生した当初、登山へやっていた女性が行方不明になったとことで、水牆山(みずがきやま)の付近の人々は旅人を襲って輪姦するという悪しき風習が復活したのではないかと噂するようになりました。
しかし、山小屋OL殺人事件が発生した当初、登山へやっていた女性が行方不明になったとことで、水牆山(みずがきやま)の付近の人々は旅人を襲って輪姦するという悪しき風習が復活したのではないかと噂するようになりました。
旅娘輪姦
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甲府地方周辺で行われていた旅人を襲って輪姦する悪しき風習は、旅娘輪姦ともいわれています。なぜこのような事が行われるようになったのか詳細についてはわかっていませんが、昔甲府地方は鉱山事業が盛んでそこで働くためにやってきた労働者によっておこなわれたのではないかとの説があります。
旅娘とあるように主に若い女性の旅人が狙われていました。若い女性の旅人を見つけると連れ去り複数の男性で性的暴行を加えていました。このような旅娘輪姦と言われる悪しき風習は昭和10年ころまで行われていたと言われています。
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