目次
- 山小屋OL殺人事件とは?
- 山小屋OL殺人事件詳細
- 事件の起きた場所
- 被害者が1人で登山へ
- 家族からの捜索願
- 遺体発見
- 事件の捜査
- 当初は自殺か遭難とみられていた
- 山小屋の管理人を事情聴取
- 事件当日の宿泊名簿
- 登山者の証言
- 大柴勉が犯行を認める
- 大柴勉の犯行詳細
- 殺害方法
- 死体遺棄
- 大柴勉の犯行動機
- 甲府地方にあった悪習の噂
- 悪習復活の噂
- 旅娘輪姦
- 旅娘輪姦の被害者
- 山小屋OL殺人事件との関連性
- 犯人の大柴勉について
- 富士見平小屋の管理人
- 大柴勉の人物像
- 大柴勉には以前から問題があった
- 事件後の裁判
- 甲府地裁の初公判
- 裁判での大柴勉の様子
- 裁判途中から犯行を否認
- 甲府地裁の判決公判
- 懲役13年で確定
- 犯人の大柴勉の現在
- 事件のあった山小屋の現在
- 事件のあった山はどんな所?
- 事件後の山小屋について
- 良くない管理人が続いていた
- 富士見平小屋の周辺の様子
- 宿泊料金やシステム
- 現在の山小屋の評判は?
- 現在の富士見平小屋の口コミ
- 類似する事件
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- 夜はなるべく出歩かない
- 人の少ない場所は避ける
- 男性と2人きりにならない
- 積極的に話しかけてくる男性には注意
- 旅先ではトラブルや事件に注意を
山小屋OL殺人事件とは?
via pixabay.com
今から36年前の1983年(昭和58年)9月19日水牆山(みずがきやま)の中腹にある登山道の雑木林で東京都武蔵村山市在住のOL今井忍さん(22歳)の腐乱した遺体が発見されました。
今井忍さんは1983年(昭和58年)9月3日の早朝に山梨県の北巨摩郡須玉町にある奥秩父山系水牆山(みずがきやま)へ1人で登山へ出かけました。帰宅予定は翌日の1983年(昭和58年)9月4日と家族には伝えていました。しかし、今井忍さんは1983年(昭和58年)9月4日の夕方になっても帰宅しなかったことから家族が捜索願を提出しました。
被害届を受理した警察は当初、事件性は低いと考えていて捜査を行いませんでした。しかし、今井忍さんのご両親はあきらめずに独自に捜しました。水牆山(みずがきやま)にある山小屋から宿泊名簿を入手しました。そして、宿泊名簿に記載されていた宿泊者達に今井忍さんの写真を見せて回りました。
今井忍さんは1983年(昭和58年)9月3日の早朝に山梨県の北巨摩郡須玉町にある奥秩父山系水牆山(みずがきやま)へ1人で登山へ出かけました。帰宅予定は翌日の1983年(昭和58年)9月4日と家族には伝えていました。しかし、今井忍さんは1983年(昭和58年)9月4日の夕方になっても帰宅しなかったことから家族が捜索願を提出しました。
被害届を受理した警察は当初、事件性は低いと考えていて捜査を行いませんでした。しかし、今井忍さんのご両親はあきらめずに独自に捜しました。水牆山(みずがきやま)にある山小屋から宿泊名簿を入手しました。そして、宿泊名簿に記載されていた宿泊者達に今井忍さんの写真を見せて回りました。
via pixabay.com
ご両親の努力の甲斐があり、1人の登山者から「女性の叫び声を聞いた」との証言を得ることができました。その証言をもとに山梨県警韮崎署は事件性があると判断し捜索を行いました。捜索の結果、今井忍さんは水牆山(みずがきやま)へ登山に出発してから16日後の1983年(昭和58年)9月19日に腐乱した遺体となって発見されました。
山梨県警韮崎署が捜査を進めるうちに今井忍さんの遺体発見現場近くにある富士見平小屋の管理人大柴勉(50歳)が容疑者として浮上しました。
大柴勉は山梨県警韮崎署の捜査員による事情聴取の際、落ち着きがなかったことや過去に宿泊者に性的暴行を加えようとしたなどの情報により1983年(昭和58年)9月23日、大柴勉に任意同行を求めました。
当初、大柴勉は今井忍さんに会いに来た男の存在を主張し、今井忍さんの殺害を否定していました。しかし、夕方になり大柴勉は今井忍さんの殺害を認めました。その後、大柴勉には懲役13年の刑が下されました。
山梨県警韮崎署が捜査を進めるうちに今井忍さんの遺体発見現場近くにある富士見平小屋の管理人大柴勉(50歳)が容疑者として浮上しました。
大柴勉は山梨県警韮崎署の捜査員による事情聴取の際、落ち着きがなかったことや過去に宿泊者に性的暴行を加えようとしたなどの情報により1983年(昭和58年)9月23日、大柴勉に任意同行を求めました。
当初、大柴勉は今井忍さんに会いに来た男の存在を主張し、今井忍さんの殺害を否定していました。しかし、夕方になり大柴勉は今井忍さんの殺害を認めました。その後、大柴勉には懲役13年の刑が下されました。
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山小屋OL殺人事件詳細
via pixabay.com
1人の若い女性が犠牲になった山小屋OL殺人事件はいったいどのような場所で発生したのでしょうか。また、事件が判明した経緯などみていきましょう。
事件の起きた場所
via pixabay.com
山小屋OL殺人事件が発生した場所は山梨県北巨摩郡須玉町にある水牆山(みずがきやま)です。水牆山(みずがきやま)は標高2、230mで奥秩父の山域の主脈の1つです。日本百名山の1つにもなっている山です。
水牆山(みずがきやま)はとても眺めがよく、登山口から3時間ほど登ると金峰山や富士山、大無間山や南アルプス連嶺がみえてきます。また、中央アルプスや八ヶ岳、北アルプスは白馬岳までまさに見ることができるまさに絶景スポットです。
水牆山(みずがきやま)はとても眺めがよく、登山口から3時間ほど登ると金峰山や富士山、大無間山や南アルプス連嶺がみえてきます。また、中央アルプスや八ヶ岳、北アルプスは白馬岳までまさに見ることができるまさに絶景スポットです。
被害者が1人で登山へ
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山小屋OL殺人事件の被害者となった今井忍さんは1983年(昭和58年)9月3日の早朝に山梨県北巨摩郡須玉町にある水牆山(みずがきやま)へ登山に向かいました。今井忍さんは普段はOLとして勤務しているので休日を利用して水牆山(みずがきやま)へ登山を行ったのでしょう。
若い女性が1人で登山を楽しみ山小屋へ宿泊することは珍しくありませんし、今井忍さんも登山を趣味としていたのでしょう。先ほどもありましたが水牆山(みずがきやま)は登山口から3時間ほどで様々な山が見ることができる絶景スポットですし女性が登山するにはぴったりの条件です。
若い女性が1人で登山を楽しみ山小屋へ宿泊することは珍しくありませんし、今井忍さんも登山を趣味としていたのでしょう。先ほどもありましたが水牆山(みずがきやま)は登山口から3時間ほどで様々な山が見ることができる絶景スポットですし女性が登山するにはぴったりの条件です。
家族からの捜索願
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1983年(昭和58年)9月3日の早朝に水牆山(みずがきやま)へ向かった今井忍さんは家族には翌日の1983年(昭和58年)9月4日に帰宅する予定であると伝えていました。
しかし、帰宅予定日の1983年(昭和58年)9月4日の夜になっても今井忍さんが帰ってこないことを心配した家族によって捜索願が提出されました。当時は、今のようなポケベルや携帯電話などの手軽に連絡を取ることができる手段がありませんでしたのでご家族としては当然の決断です。
しかし、帰宅予定日の1983年(昭和58年)9月4日の夜になっても今井忍さんが帰ってこないことを心配した家族によって捜索願が提出されました。当時は、今のようなポケベルや携帯電話などの手軽に連絡を取ることができる手段がありませんでしたのでご家族としては当然の決断です。
遺体発見
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被害届を受けた山梨県警韮崎署は、当初は自殺か遭難だと考え捜査を行いませんでした。しかし、今井忍さんのご両親の努力の甲斐があり重要な証言を得て捜索を開始しました。
山梨県警韮崎署の捜査員が捜索を行ったところ、今井忍さんは登山に出発してから16日後の1983年(昭和58年)9月19日に腐乱した遺体となって発見されました。せめて、ご両親から捜索願が提出された段階で捜索していれば、今井忍さんのご遺体はきれいなままでご両親の元へ帰ったかもしれません。
山梨県警韮崎署の捜査員が捜索を行ったところ、今井忍さんは登山に出発してから16日後の1983年(昭和58年)9月19日に腐乱した遺体となって発見されました。せめて、ご両親から捜索願が提出された段階で捜索していれば、今井忍さんのご遺体はきれいなままでご両親の元へ帰ったかもしれません。
事件の捜査
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山梨県警韮崎署は、ご両親からの被害届が提出された当初は、自殺か遭難だとしてまともに取り合いませんでした。初動捜査の杜撰さは否めませんが、その後山小屋OL殺人事件はどのようにして解決していったのでしょうか。
当初は自殺か遭難とみられていた
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山梨県警韮崎署は、ご両親から被害届が提出された当初は、自殺か遭難だと考えまともに取り合わず、今井忍さんの捜索を行いませんでした。
しかし、今井忍さんのご両親はあきらめることなく、自らの手で娘を捜そうと奮闘します。今井忍さんが宿泊した山小屋の名簿を入手したご両親は名簿に記載があった宿泊者に今井忍さんの写真を見せて回りました。
そのうちの1人の登山者から「女性の叫び声を聞いた」との証言を得ることができました。今井忍さんのご両親はこの証言を山梨県警韮崎署へ提出し、ようやく山梨県警韮崎署も事件性があると判断し今井忍さんの捜索を開始しました。
しかし、今井忍さんのご両親はあきらめることなく、自らの手で娘を捜そうと奮闘します。今井忍さんが宿泊した山小屋の名簿を入手したご両親は名簿に記載があった宿泊者に今井忍さんの写真を見せて回りました。
そのうちの1人の登山者から「女性の叫び声を聞いた」との証言を得ることができました。今井忍さんのご両親はこの証言を山梨県警韮崎署へ提出し、ようやく山梨県警韮崎署も事件性があると判断し今井忍さんの捜索を開始しました。
山小屋の管理人を事情聴取
via pixabay.com
今井忍さんのご両親から「女性の叫び声を聞いた」という登山者の証言を得た山梨県警韮崎署は他殺と事故の両方から捜査を開始しました。
今井忍さんの遺体発見現場近くにある富士見平小屋の管理人である大柴勉に事情聴取しました。大柴勉は、今井忍さんは1983年(昭和58年)9月3日の16時頃に富士見平小屋に来たが、その後17時頃に若い男性が今井忍さんを呼びにきて一緒に出て行ったまま帰ってこなかったと証言しています。
今井忍さんの遺体発見現場近くにある富士見平小屋の管理人である大柴勉に事情聴取しました。大柴勉は、今井忍さんは1983年(昭和58年)9月3日の16時頃に富士見平小屋に来たが、その後17時頃に若い男性が今井忍さんを呼びにきて一緒に出て行ったまま帰ってこなかったと証言しています。
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