2019年8月24日 更新

池袋通り魔殺人事件を起こした造田博の生い立ちは?事件後の現在とは

池袋通り魔殺人事件は2名の死者と6名の重傷者を出した事件で、犯人の造田博は死刑を言い渡されて現在は東京拘置所に収監されています。複雑な生い立ちの持ち主ですが犯行動機は非常に身勝手なものです。事件の概要や生い立ちについてご紹介します。

目次

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9月5~7日にかけては赤坂から池袋へ出かけましたが実行には移せませんでした。実行を躊躇した理由としては兄のことを考えたためだとしています。普段から兄のことを「小汚い者たちの代表」、「努力しない人」と考えていたもののさすがに事件後の兄のことを思って躊躇したのでしょう。

しかし9月8日、ついに犯行を決意して午前10時頃カプセルホテルを出発して電車で池袋へ向かいました。9月4日に出たアパートには書置きとは別に、レポート用紙へ殴り書きを残していました。

殴り書きの内容は「わし以外のボケナスのアホ殺したるけえのお、わしもボケナスのアホ殺したるけえのお、アホ、今すぐ永遠じごくじゃけえのお」です。

9月8日に犯行を決意し実行にうつす

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池袋へ到着した造田は駅のコインロッカーにCDプレイヤーや着替えを預けた後、ハンバーガーショップで食事をしました。そして午前11時35分、カバンから包丁と金槌を取り出して犯行に及びます。

右手に包丁を持ち左手に金槌を持って「ウオー!むかついた。ぶっ殺す」と叫びながら若い男女を追いかけていきました。逃げる2人を追いかけている最中にエスカレーターを上ってきた老夫婦に目が向いてターゲットを切り替えます。

老夫婦を刺した後に若い夫婦の妻に襲い掛かりその後も取り押さえられるまで通行人を次々に刺していきました。

造田博が事件を起こした理由

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造田博の犯行は無言電話に怒りを覚えたことがきっかけだと言われています。努力をしても認められることがない社会に嫌気が差したことや日頃の兄に対する恨みも事件を起こした理由だと考えられます。

両親が造田を捨てて失踪したことが事件に大きく関係しているのは間違いありません。少しずつ精神に異常をきたしていき爆発してしまったのです。

事件を起こした理由について見ていきましょう。

無言電話に怒りを覚えたから

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携帯電話を持ち始めた当初は所長にしか電話番号を教えないつもりでしたが、同僚にしつこく聞かれたためやむなく番号を教えています。

同僚は努力しない人として造田が嫌悪している人物でした。同僚に電話番号を教えたその日に無言電話がかかってきたため、かけてきたのは同僚に違いないと決めつけて激しい怒りを覚えたのです。

努力しない人に対する怒りがいつの間にか街を歩く人々に向けられた結果、池袋通り魔殺人事件を起こすことになりました。

死刑になりたかったから

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逮捕後に造田が廃人同然になってしまったことからも現実に絶望して死刑になりたかった可能性が考えられます。「大学を出て、事務系の仕事に就きたかった」という供述をしており両親の借金が原因で高校を中退せざるを得なかったことが絶望につながったのでしょう。

また「アメリカ人はほとんどが努力している人」、「キリスト教徒は全員努力している人」とも供述していて努力している人のことは評価する一方努力しない人についてはかなりの嫌悪感を抱いていました。

誰も自分を認めてくれないから

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「真面目に働いているのに評価されず、腹がたった」と供述していて自分のことを認めてくれない社会へ不満を募らせていたことがわかります。

事件を起こす直前まで勤めていた新聞販売店では真面目に働いていて新規購読の拡販でも相応の成績をあげていましたが、同僚と飲みに行った際に無理やり酒を勧められることに腹立たしさを覚えていたと言います。

しっかりと働いていたのに同僚から無理強いをさせられて不快感を味わされたことが許せなかったのかもしれません。

日頃からの兄に対する恨み

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兄は万引きや無賃乗車をした造田に代わって支払いをしたり謝罪をしたりしていましたが造田は兄に対して恨みを持っていました。

外務省や警視庁に送った手紙には兄を名乗って送っているものもあります。「助けてください。造田博にレイプされました。僕の彼女も造田博にレイプされました。造田博が僕の彼女のお腹に子供をつくりました。世界中の人たちに助けてもらいます。国際裁判をします、僕達にはどうすればいいのかわかりません。」

この一文を兄とA子からだとして送り付けたことから兄に対して強い思いがあったことが伺えます。

事件後の造田博の現在は?

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裁判では死刑判決を言い渡されましたが再審請求を行い現在も最高裁で係属中です。現在は死刑囚として東京拘置所に収監されています。

再審請求の決着がつくまでは死刑が執行されないので東京拘置所で過ごすことになるでしょう。両親は未だに失踪したままで行方はわかっていません。造田博の現在を見ていきましょう。

再審請求を行う

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2002年2月18日に死刑判決を言い渡されましたが判決を不服として控訴しました。2003年9月29日に控訴は棄却され、9月30日に弁護側が上告します。

しかし2007年4月19日に上告も棄却されて死刑が確定しました。2009年に再審請求を行いましたが2015年に棄却されていて現在は最高裁で係属中の状態です。

造田に刺されて亡くなった29歳の女性の父親は全国犯罪被害者の会の幹事を務めています。死刑が執行されたとしても遺族の苦しみが消えることはありません。

現在は東京拘置所に収監されている

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (579024)

現在は東京拘置所に収監されています。死刑判決を受けると刑務所には送られず、拘置所で刑の執行を待つことになるのです。

ただし現在は再審請求中なので最高裁に棄却されるまでは死刑が執行される事はありません。拘置所では一日中何もしゃべらずに下を向いて過ごしているそうです。

シャツを着替えずトイレは流さない状態ですべてを放棄している状態です。事件当時は23歳でしたが、事件から20年が経過して造田は43歳となりました。

両親は未だに失踪したまま

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