2019年8月24日 更新

池袋通り魔殺人事件を起こした造田博の生い立ちは?事件後の現在とは

池袋通り魔殺人事件は2名の死者と6名の重傷者を出した事件で、犯人の造田博は死刑を言い渡されて現在は東京拘置所に収監されています。複雑な生い立ちの持ち主ですが犯行動機は非常に身勝手なものです。事件の概要や生い立ちについてご紹介します。

目次

Couple Bride Love - Free photo on Pixabay (578935)

1996年2月に電気工事会社の面接を受けた際には「大学生の彼女がいるので結婚資金を貯めたい」と話したと言います。大学生の彼女とは間違いなくA子さんのことであり妄想の世界では付き合っていたのでしょう。

小学生のときに告白されたと思い込み、大学生になったA子さんに突如思いを寄せる手紙を出したり自宅を訪れたりといった行動はストーカー行為です。

A子さんと結婚するためだと思い込まなければ仕事に精を出すことができなかったのでしょうか。

造田博の奇行

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造田は職を転々としているうちに奇行が目立ち始めます。万引きや銃刀法違反で逮捕されたり無賃乗車を繰り返したりしました。

また、本名で公機関に意味不明な文書を100通ほど送り付けたこともあります。A子さんを追いかけてアメリカへ行った際にはパスポートを破り捨てて錯乱状態に陥りました。

アメリカで錯乱状態に陥ったときには統合失調症だと診断されています。造田の奇行を詳しく見ていきましょう。

万引きや銃刀法違反で逮捕

Teddy Bear Lost - Free photo on Pixabay (578944)

1996年11月に上京したときは仕事を見つけることができずに所持金を使い果たしてしまいました。その結果、野宿をしながら万引きを繰り返すようになります。

スーパーで食品や衣類を万引きして店員に取り押さえられた際には交番へ連れていかれました。警察による所持品検査でナイフが見つかり、万引きと銃刀法違反で現行犯逮捕されます。

「護身用に持っていた」と釈明したものの1996年12月17日に罰金10万円の略式命令を受けました。

無賃乗車を繰り返す

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造田は上京する前後で無賃乗車を繰り返していました。岡山駅などで無賃乗車が発覚するたびに兄が呼び出されて謝罪をしています。

東京でもタクシーにお金を支払わなかったことがあります。横須賀の米軍基地で働こうとして横須賀までタクシーに乗りましたが料金を支払わなかったため警察へ通報されました。

兄が代金を支払ったので刑事事件になることはありませんでした。造田のことを思い一生懸命支えてきましたが、造田は唯一連絡が取れる親族である兄に対して恨みを募らせていくのです。

公機関に文書を送り付ける

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1997年7月頃から外務省や警察庁に意味不明な文書を送り付けるようになります。出した手紙は100通にも上り、すべて本名で住所も正確なものでした。

手紙で国際的なことに触れているのは1997年3~4月にかけて教会の日曜礼拝に出かけていたことが影響しています。教会通いで造田は、キリスト教徒やアメリカ人に対する偏った親和性をはぐくみ始めました。

外務省への手紙では兄のことを「小汚い者たちのボスです」と書いています。自分のことは大統領と名乗っていました。

具体的な文書の内容について

Letter Handwriting Written - Free photo on Pixabay (578956)

「日本人のほとんどは小汚いものです。この小汚い者達は歌舞伎町で、人間でなくなっても、動物でなくなっても、生物でなくなっても、存在しなくなっても、レイプし続け、暴行をし続けると言っています。存在、物質、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人がもつべきです。」

続けて「この小汚い者達には剥奪する必要があります。国連のプレジデントに届けて下さい。」と書き連ねた手紙を送り付けています。

他にも「BreathingOKは愛情です。国連のプレジデントに届けてください。世界中のプレジデントの方々に届けました。国際平和に役立ててください。強力な後押しになります。」と書いた手紙も送っています。

アメリカへ行きパスポートを破り捨てる

Passport Luggage Trolley - Free photo on Pixabay (578962)

1998年6月に造田は200ドルの所持金でオレゴン州ポートランド市を訪れています。しかし英語が話せるわけではなく仕事をするための条件も満たしていなかったため働くことはできず、パスポートを破り捨てるという奇行に及びました。

日本領事館に保護された際は錯乱状態で会話をすることさえ困難だったと言います。その後領事館の斡旋によって、ジャパニーズ・パブテスト教会の援助を受けた造田は平静を取り戻し9月に帰国しました。

帰国できるようになるまでは教会の手伝いをしていて、後にこの期間が一番充実していたと語っています。

造田博が事件を起こすまでの4日間

Calendar Wall Days - Free photo on Pixabay (578965)

1999年9月8日に事件を起こすまでの4日間、造田は事件を起こすか逡巡していました。毎日池袋を訪れていたもののバッグから凶器を取り出すことができなかったのです。

4日間の行動を見ていきましょう。

9月4日に務めていた新聞販売店へ出勤するのをやめる

Bundle Jute Rope Newspaper Old - Free photo on Pixabay (578972)

造田は1999年4月25日から足立区の新聞販売店で働き始めました。店から徒歩5分ほどの場所にアパートを借りて、遅刻や欠勤をほとんどすることなく働きます。

9月1日に寝坊が原因で遅刻をしたことをきっかけに、連絡が取れるようにと所長から勧められて携帯電話を持ち始めました。

9月3日の夜に無言電話がかかってきたことに激しい怒りを覚えて眠ることができず、日付が変わった4日の午前3時頃「努力しない人間は生きていてもしかたない」と書き残してアパートをでます。以降仕事へ行くこともアパートへ戻ることもありませんでした。

9月4日に東急ハンズで包丁や金槌を購入

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アパートを出た造田は唯一土地勘のあった池袋を訪れます。ハンバーガーショップで朝食を取った後に東急ハンズを訪れて包丁やまな板、金槌、ドライバーを購入しました。

まな板やドライバーまで購入したのは店員に怪しまれないためのカムフラージュです。この日に通り魔事件をおこす予定でしたが実行することができずCD屋やゲームセンターで過ごしました。

4日の夜は赤坂のカプセルホテルに宿泊しています。カムフラージュで購入したまな板とドライバーは買ってすぐにサンシャインシティのゴミ箱に捨てました。

9月5~7日は池袋に行くが実行できず

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