2019年8月24日 更新

池袋通り魔殺人事件を起こした造田博の生い立ちは?事件後の現在とは

池袋通り魔殺人事件は2名の死者と6名の重傷者を出した事件で、犯人の造田博は死刑を言い渡されて現在は東京拘置所に収監されています。複雑な生い立ちの持ち主ですが犯行動機は非常に身勝手なものです。事件の概要や生い立ちについてご紹介します。

目次

造田博が起こした池袋通り魔殺人事件

Knife Stabbing Stab - Free photo on Pixabay (578876)

池袋通り魔殺人事件は1999年9月8日に池袋で起きた通り魔事件です。2人の女性が亡くなり6人の重傷者を出す事態となりました。

犯人の造田博は両親が借金を抱えたまま失踪した複雑な生い立ちがあります。生い立ちが複雑だからといって犯行が許されるわけではありませんが社会へ心を閉ざすきっかけになったことは間違いないでしょう。

事件の概要や生い立ち、造田博の奇行についてご紹介します。事件を起こした理由からは両親の失踪が大きく影響を及ぼしていることがわかります。

池袋通り魔殺人事件の概要

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (578879)

池袋通り魔殺人事件は1999年に起きた事件で66歳と29歳の女性が包丁で刺されて亡くなりました。他に6人の重傷者を出しましたが通行人に取り押さえられ現行犯逮捕されました。

被害者に何の落ち度もなく犯行動機が身勝手だったことから造田博には死刑判決が言い渡されています。現在は再審請求中であるため死刑はまだ執行されていません。

池袋通り魔殺人事件の概要を見ていきましょう。

66歳の女性を殺害

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (578885)

1999年9月8日午前11時35分、造田博はサンシャインシティへ続く地下通路から地上へ出るためのエスカレーターを上ってきた老夫婦に突然襲い掛かりました。

「ぶっ殺す」と口走りながら66歳の女性を包丁で刺したのです。女性は左胸部を刺されて即死でした。女性の夫である71歳の男性は頭部を金槌で何度も殴られ、さらに右手を包丁で刺されました。

その後、事件に気づいて騒然としている人々を襲うために走り出します。

29歳の女性を殺害

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老夫婦を襲った後に造田博が目をつけたのは若い夫婦でした。29歳の女性は造田に気づき逃げようとしたところを包丁で刺されました。

女性は刺されたことに気づかないままパチンコ店に駆け込み、事態を飲み込めない夫は急いで後を追いました。パチンコ店の店員は背中が切れていることを伝え、34歳の夫が女性のカットソーをめくると骨が見えるほど深く切りつけられていることがわかりました。

司法解剖の結果、傷の深さは16cmにも達していたことが判明しています。女性は「死ぬのかな」という言葉を残して意識を失い午後4時20分に死亡が確認されました。

6人に重軽傷を負わせる

Food Kitchen Utensils - Free photo on Pixabay (578890)

女性2人を刺した後はわめきながら池袋駅方面に走っていき、造田に背を向けて歩いていた高校1年生の4人組のうち3人を切り付けました。さらに2人の通行人を切り付けた後にようやく取り押さえらることになります。

包丁で刺された29歳の女性は出血がほとんど見られなかったものの肝臓や腎臓を刺されていて血液が体内に充満している状態でした。

全身の血液が3回入れ替わる量に匹敵する13000ccを輸血されましたが再び目を覚ますことはありませんでした。

通行人に取り押さえられ逮捕

Police Arrest Detention - Free photo on Pixabay (578894)

2人を刺して6人に重軽傷を負わせた後に池袋駅東口ロータリーで通行人に取り押さえられ現行犯逮捕されました。逮捕後に造田は拘置所から知人に向けて手紙を送っています。

「私は造田博教の中で、神とか主ではなく、宣教者です。信仰の対象というものは無くて、私の話を知ってもらうというものです。岡山の実家を造田博教の礼拝地にします。献金を貰ってその金で会社を作り物を作って安く売ります。その収入から皆に給料を払います。」

続けて「私は献金の一部や会社の利益から3%から5%を貰います。造田博教と造田博教の会社は、私の所有物とします。」と理解不能な文章を書きました。

死刑判決が言い渡される

Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (578899)

2002年2月18日に死刑判決が言い渡されました。判決を不服として控訴をしましたが2003年9月29日に棄却されます。弁護側が不服だとして上告をしたものの2007年4月19日に上告が棄却され死刑が確定しました。

最高裁の横尾和子裁判長は「冷酷、非情、残忍で、被害者らには何一つ落ち度がない」と述べています。死刑判決を受けたことで造田博は廃人状態になっているそうです。

シャツを着替えないため黄ばみが目立ちトイレを流さないのでひどい匂いが充満している状態で過ごしていると言います。

造田博の生い立ち

Away Bridge Wood - Free photo on Pixabay (578903)

造田博は岡山県に4人家族の次男として生まれました。裕福な家庭で育ちますが父親が祖父の土地を相続して大金を手に入れたことで人生が狂い始めます。

両親がギャンブルにはまり多額の借金を抱えるようになるのです。毎日自宅へ借金取りが押し掛けるようになったため両親はあまり家へ戻らなくなり、造田は高校を中退することになりました。

その後両親が失踪したことで一人暮らしをしていた兄の元へ身を寄せて働き始めますがどの仕事も長続きしませんでした。造田博の生い立ちを詳しく見ていきましょう。

岡山県に4人家族の次男として生まれる

Baby Boy Hat - Free photo on Pixabay (578907)

造田博は1975年11月29日に岡山県倉敷市に生まれました。父親は大工、母親は被服工場で下請けの縫製のミシン内職をしていて4歳上の兄が一人いる家庭で育ちます。

1978年には隣り町の児島郡灘崎町に引っ越しました。家は中流を上回る裕福さでしたが造田が小学校高学年のときに父親が土地を相続したことで暮らしが変わり始めます。

祖父の代までは兼業農家をしていたため、造田の父親は六男でありながら祖父の土地を相続したのです。

父親が土地を相続し大金を手に入れる

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