2019年8月28日 更新

クリーブランド監禁事件の概要とその後!犯人の生い立ちについても

クリーブランド監禁事件は2013年にアメリカで発覚した事件で、女性3人が誘拐されて10年以上監禁されていました。犯人は社交的でしたが実際は妻へのDVで逮捕歴があり身内からはモンスターと呼ばれていました。事件の概要や犯人の生い立ちをご紹介します。

目次

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (587478)

被害者たちが脱出に成功したのはカストロが鍵をかけ忘れたからです。10年間の間に鍵をかけ忘れたのは初めての出来事でした。

過去にわざと鍵をかけなかったことがあるため、今回も罠の可能性がありましたがアマンダは「死んでも良い、ここにいるよりはまし」と決意してドアを開けました。

アマンダの助けを呼ぶ声を聞いた近所の住民が玄関のドアを蹴破ったことでアマンダとその子どもは外に出ることができたのです。救出に携わった男性は「汚い服を着て、髪がぼさぼさで歯が黄色かった」と振り返っています。

警察への批判が集まった理由

Squad Car Police Lights - Free photo on Pixabay (587480)

被害者と犯人が同じ町に住んでいたにもかかわらず10年以上事件が発覚しなかったことで警察には批判が集まりました。警察は通報を受けて15年の間にカストロ宅を2度訪れていましたが当初は通報を受けたことを隠していました。

近隣住民がカストロ宅の窓から女性と女児を目撃したため警察が訪れドアを何度もノックしましたが何も起こらなかったと言います。

カストロ宅の裏庭で全裸の女性を見たとする通報もあったものの警察が真面目に受け取りませんでした。他にも同様の通報をいくつか受けていたことが明らかになっています。

犯人・アリエル・カストロに下された判決

Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (587481)

アリエル・カストロの保釈金は800万ドルに設定されました。日本円にすると約8億円であり、保釈される可能性はほとんどないということを意味しています。

暴行や女性を長年監禁した罪など977件の罪に問われた結果、2013年8月1日に仮釈放なしの終身刑と禁固1000年を言い渡されました。終身刑の受け入れと引き換えに死刑を回避する司法取引に応じたため死刑にはなりませんでした。

2013年9月3日犯人・アリエル・カストロ自殺

Cliff Ledge Wonder - Free photo on Pixabay (587483)

2013年9月3日にアリエル・カストロは刑務所内の独房でベッドのシーツを使い首を吊って自殺しました。逮捕された当時は自殺する兆候が見られなかったため刑務所の監視体制を緩めた結果、受刑者たちから壮絶ないじめを受けたのが原因だとされています。

他の受刑者とは隔離されていて刑務官の見回りは30分に1回行われていました。

被害者3人のその後

Fence Metal Security - Free photo on Pixabay (587486)

被害者であるミッシェル、アマンダ、ジーナは救出された後病院へ入院していましたが現在は退院してそれぞれの生活へ戻っています。

3人のその後を見ていきましょう。

ミシェルさん

Sunset Poppy Backlight - Free photo on Pixabay (587487)

3人の中で一番長い監禁生活を送り暴力もひどいものを受けていたミシェルは事件後のインタビューに「地獄を歩いてきましたが笑顔が戻ってきました。皆さんの心遣いに感謝して新しい人生が歩めそうです。ありがとう。」と答えています。

ミシェルは激しい暴行を長年受けていたため片耳が聞こえなくなり顔の一部が変形していました。辛い監禁生活を乗り越えることができたのは息子のことを考えたからだと言います。

「死ぬのは簡単な逃げ道です。でも息子には、私が被害者ではなく勝者であり、生き残ったということ、息子を愛しているということを分かってほしかった。息子の愛のおかげで、私は耐え抜くことができたのです」と語りました。

アマンダさん

Rose Flower Love - Free photo on Pixabay (587488)

アマンダは監禁生活を送る間に子どもを出産しています。カストロのお気に入りだったので出産を強要されたのです。事件後のインタビューでは「私は今 家族や友人と幸せに過ごしています。本当に信じられないことです。みなさんが私のプライバシーを尊重してくれて普通の生活に戻れました。」と答えました。

事件が発覚するきっかけとなったのはアマンダが勇気を出して助けを求めたことにあります。ミシェルとジーナは門の外に出ることすら恐れている状態でした。

恐怖に打ち勝ち扉を開けたアマンダは勇敢な女性です。

ジーナさん

Flower Nature Flora - Free photo on Pixabay (587491)

ジーナはカストロの娘の親友だった人物です。事件後のインタビューには「皆さんにお礼を言いたいです。ありがとう。」と答えました。

ジーナたちが人生を取り戻せるようにと作られた基金には2億円もの寄付が集まり、寄付を利用してジーナは大学に行くそうです。

事件後に自宅へ戻り家族や親戚に歓迎されましたが、プエルトリコ系移民であり母国語だったスペイン語を約10年に及ぶ監禁生活中に忘れてしまったことが明らかになりました。

クリーブランド監禁事件を動機とした埼玉少女誘拐事件

Woman Forest Abducted - Free photo on Pixabay (587493)

2014年に起きた埼玉少女誘拐事件は犯人がクリーブランド監禁事件の影響を受けたと言われています。当時中学1年生の少女が誘拐されて2年にわたって監禁生活を送りました。

クリーブランド監禁事件と同様に少女自身が脱出して事件が発覚しています。事件の概要や犯人について見ていきましょう。

事件の概要

Question Mark Pile Questions - Free image on Pixabay (587496)

2014年3月10日に埼玉県朝霞市で当時中学1年生の少女が失踪しました。自宅ポストには「家も学校もちょっと休みたい。しばらく友達の家です。探さないで下さい」と書かれた手紙が投かんされていました。

同年の3月19日には「元気に過ごしている。迷惑をかけてごめんなさい。しばらくは帰らない」という手紙が届きます。警察は大規模な捜索を行いましたが少女を見つけることはできませんでした。

少女は当時大学生だった寺内樺風に誘拐されていて手紙は無理やり書かされたものでした。行方不明になってから2年後の2016年3月27日に犯人が出かけた隙を見て脱出し警察に保護されています。

犯人について

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